要望に対して市長がどう反応したかを吟味

 昨日紹介した服部嘉雄議員の新聞折込みチラシ。栢木市長が公約断念後、半年あまり時間とお金と職員の働きを費やして強引に進めてきたBブロック病院を断念に追込んだ要望書の内容が詳しく書かれていました。これまでは、新聞折込みチラシの市長のメッセージや1月14日の全員協議会についての報道でしか市民には分かりませんでした。そういう意味では、どのような内容の要望に対して市長がどう反応したかを吟味する材料を提供してくれます。

 

「創政会」の要望書の内容は論理破綻 市長はなぜ応じたのか?

 要望書の内容を細かく論評する気にはなりませんが、Bブロック病院だけでなく、そもそも病院の展望までも一瞬にして打ち砕いてしまった「創政会」の要望書。それを副会長である服部議員が、わざわざお金をかけてチラシを発行し詳しく広報しているので、いくつかチェックしてみます。

 「チラシでは、「基本構想につきましては、診療体制や駐車場及び経営計画等が現時点で具体性に欠ける」、「病院整備後においても、毎年必要となる繰出金(毎年数億円の巨額が想定される)が明確でなく」等の理由でBブロック病院を断念し、「新たな用地に整備することが賢明と判断する。」となっている。

 この論理は、普通、だれが読んでも論理がつながっていない。なぜなら、基本構想が具体性に欠ける事は当然であって、それはないものねだり。一段の具体性は、1月14日に予定されていて、実質的には市長が中止した特別委員会で示されることになっていた基本計画案を待たなければならない。これでは、試験の答案用紙が出てくる前に、答案内容がダメだと言うのと同じ。

 また、「病院整備後においても、毎年必要となる繰出金(毎年数億円の巨額が想定される)が明確でなく」についても、上記と同じだし、加えて、繰出金についてはAブロック病院の計画ですでにかなりの精度で明らかになっている。

 服部議員が示す要望書の内容から見る限り、その論理はまったく破綻している。なぜ、これに対して市長は質問や説明と反論をしなかったのかまったく不可解。これまた、このことが、今回の騒動が市長の自作自演であったことを濃厚に示すことになる。

「何年か先の建て替え時」、これは正気? 何でもかんでも駅前病院反対の理由に

 また、チラシでは議員の私見として、一般的に駅前病院反対の理由として、「何年か先の建て替え時にはまた『敷地が狭く、現地での建て替えは困難である』ことが目に見えています。入院患者が療養・リハビリのため周辺を散歩しようにも駅前では落ち着いて散歩もできません。」 などと書かれている。

 「何年か先の建て替え時」、これは正気かと疑います。また、「入院患者が療養・リハビリのため周辺を散歩」、これも、かつて駅前病院反対の理由としてあげられたものですが、非現実的。要するに、市民を見くびって、何でもかんでもかき集めて駅前病院反対の理由にあげている。

服部議員の公式コメントはつく前からバレている嘘 要望書の信頼性の低さが良く分かる

 そして、チラシは昨日紹介した「現在の市立野洲病院は必要な機器の導入や建物の修繕も行っており、当分の間、使用に支障はないとのことです。」と結ばれている。現状は、建物の修繕レベルで済む状態ではない。

 これには、何人かの知人から、メールや電話でひどいという反応がありました。なかには、「公式コメントか?」というメールも。チラシでは、要望書の内容紹介とは縁が切られていますが、いずれにしても、市議会議員という公人がわざわざチラシを発行して市民に知らせた公式コメント。

 ついた後からすぐにバレる嘘というものがありますが、服部議員のコメントはつく前からばれている、珍しい嘘。

 現市立病院が耐震強度が不足し、かつ老朽化が激しいことは公式に確認済み。

最近も、「福山秀直病院長は『現病院は雨漏りがひどく、傾き、手術室は狭い。郊外で建て替えるなら、また十年かかる』と整備を急ぐよう訴えた。」(中日新聞2022年1月8日)。「小西常起会長は取材に『老朽化が顕著で、早期の整備が必要。収益を考えると駅前での整備が望ましい』と話した。」(中日新聞2021年11月23日)と報道されている。

 以上のことからも、「創政会」の要望書の信頼性の低さが良く分かります。

結局、滋賀県庁の角野理事の主張どおりになった 

 ところで、寄り道が長くなりました。今日は、根拠も論理も関係なく、やはり病院が郊外案に戻ったと思って書き始めました。そのきっかけに、「創政会」の要望書が使われただけ。中身はどうでもよい。市議会最大会派で、市長「与党」会派が出した要望であることが重要。

 ここで、戻ったと書いたのは、滋賀県庁の医療行政の責任者である角野理事の主張どおりに、結局のところなったからです。角野理事は少なくとも5年以上前から栢木市長の病院問題だけでなく選挙戦略も含めた指南役。もちろん市の病院評価委員会の委員でもある。

 昨年5月17日の評価委員会の様子を、当日のブログで紹介しましたが、そこでは、角野理事は病院の場所として駅前市有地を押す意見が大半であったなかで強硬に反対し、郊外を主張した。

 ただし、市長が公約の現地半額建替え案を断念するまでは、市長公約の現地立替えを、これまた強硬に主張していました。このことは、昨年1月 14 日の評価委員会を紹介した当日のブログで書いたとおりです。そこでは、「現地建替えが出来る・出来ないではなく、『どうすれば現敷地で建替えが出来るのか。』というスタンスで議論を進めて、どうしても越えられないハードルがあるなら、『現地建替えは難しい』と判断すべきでは。」と言い切っています。そもそも現地建替え公約の指南も角野理事によるとうかがわせるほどの熱弁。

 ここまで辿り着いてみると、栢木市長が結果的には角野理事の指南の通りに動いていることが明らかになってきました。今は口を閉ざし、動こうとしない栢木市長は角野理事の次なるサインを待っているのか?

 なお、角野理事は当然滋賀県職員という公的な立場で評価委員会の委員になっているものと思われますが、このような言動を見てくると、栢木市長の私的な指南役の立場で就任しているのかとも思われてきます。そもそも両人は、どのような機縁で結びつくことになったのか?