民主主義には説明と同時に議論・対話が必要 

 昨日「今後も、丁寧な説明を行い理解を求めていくという姿勢を貫いていく。」という市長の発言を紹介しました。その時は気づきませんでしたが、後になってから、発言者は、このやり方を良いこと、評価されるべきことと思っているのではないかと思い至りました。というのは、「丁寧な」とか「姿勢を貫」くといったプラス概念の言葉が入っているから。もしそうであるなら、大きな思い違いではないか?

 そもそも、良い政策をつくりそれを実現するためには、説明と同時に議論・対話が必要。民主主義では市民の声を聴き、対話を通じての政策形成が前提になっている。

 市民や専門家の意見を聴かないで、自分の政策の説明を一方的に行って強硬に理解を求める姿勢を貫くやり方では良い政治はできないし、民主主義ではない。ましてや、説明も十分でないし、病院の現地建て替え検討をはじめ多くのことが、非公開で進められている。このやり方が今後も貫かれるならば、病院や駅前開発にとどまらず、他の分野でも市民が望むまちづくりの実現は覚束ない。

アメリカの民主主義が後退 日本は中程度の民主主義

 このように、考えてきて働いた連想が、いま改めて話題になっている。民主主義と権威主義。

 去る12月9日、10日にアメリカのバイデン大統領の呼びかけでオンラインで開かれた「民主主義サミット」で関心が高まりました。このサミットでは、アメリカの価値観で民主主義国や地域だと評価された世界の109の国と台湾と欧州連合(EU)の2地域が誘われた。したがって、声がかからなかった、中国などはアメリカの評価では権威主義の国に区分されていることになります。

 ところで、世界の民主主義の状況については、スウェーデンに本部がある国際機関「民主主義・選挙支援国際研究所(IDEA)」が客観的な評価をしている。先ごろ報告書「民主主義の世界的状況(Global State of Democracy: GSD)2021年」が出されています。この報告書では、 皮肉にもアメリカがブラジル、インドとともに「民主主義が後退している国」に分類されている。その理由はドナルド・トランプ前大統領の政権、特に2020年大統領選結果の正当性に異議申し立てが分岐点になっている。日本の評価は「中程度の民主主義」。

野洲市は権威主義に向かっているのではないか? このトレンド(動向)の転換を

 言うまでもなく、民主主義の基本的な要件は、法の支配、権力の分立、議会、選挙等々です。しかし、それらが形式的に整っていても民主主義が機能しているとは言えません。現に、先の報告書では、アメリカが権威主義寄りに位置付けられています。

 もちろん野洲市は、「中程度」であるとしても民主主義の国である日本のなかの自治体。しかし、日本国憲法第12条に、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と定めるとおり、制度があるだけでは、だめ。

 このように見てくると、野洲市の状況はどんどん権威主義に向かっているのではないかと心配になってきます。今年も残すところあと1日。新しい年にはこのトレンド(動向)を転換するきっかけをつかむことが欠かせません。