雪の琵琶湖

 昨夜からの大雪で北部では鉄道も止まり、被害が出ています。自宅近くは、覚悟していた雪もなく、厳しい寒さだけ。午後、雪のあるあたりの湖岸まで足を運んでみました。水鳥が鋼色の湖面に群れていました。

 

 

切実な仲人探し 仲人は1,500万円の手数料で婚約者探しの手伝い 道のりは遠大

 さて、駅前の商業開発事業が市長の念願どおり力強く進むことになりました。23日、市議会で3分の2を超える13人の議員の賛成により補正予算が可決されたからです。

 たちまちの作業は、開発事業者を見つける事務を手伝ってくれる事業者を探すこと。結婚に例えるなら、仲人探し。本来なら、駅前商業開発を行おうとしている市、言い換えれば市長が事業相手(パートナー)を自分で見つけなければならないが、その力がないので、まず仲人探しから始める。そして、仲人が見つかったら、市長がその仲人と一緒になって、相手探しをして婚約までこぎつける。今回議決された1,500万円の予算はこの仲人の手数料。ただし、この仲人は、市が相手を見つける手助けをしてくれるだけで、良い相手を見つけ婚約するまでの責任を負っていない。したがって、必死になって、良心的で実績のある仲人を見つける必要がある。このことは、市長の説明や予算に賛成した議員の説明では、仲人の役割は、市長というより市職員の手助けとなっているので、職員にとってはなおさら切実。

 なお、仲人が見つかった後もその先の道のりは遠大です。

自己目的化した悲壮とも見える「にぎわい」願望

 ところで、駅前商業開発の事業の中身がはっきりしないことは、議会での指摘を通じてすでに紹介しました。仲人探しの例えを続けるならば、本人の理想の、とまでいかなくても好みの相手の像(イメージ)がはっきりしないのに、とりあえず先に仲人探しをするようなもの。そのような状態で上手くいくのか大いに心配。

 そのことは置いておいて、もう一つ疑問になっていることがあります。それは、「にぎわい」。これは、事業の中身がはっきりしないなかで、市長が一貫して言っていること。商業と税収増の影が薄くなっても、唯一「にぎわい」だけが自己目的化したように残っている。

 この悲壮とも見える「にぎわい」願望は、以前紹介した奥山議員の「1日も早く明日への希望のともし火を早期にともしていただくことを願うばかり。」という一連の発言でも明らか。そのためには、駅前市有地の売却も辞さない。

市長や議員の「にぎわい」は瞬間的な快感の連続? なぜそれが必要なのか?

 市長や奥山議員たちがこれほど重要視している駅前の「にぎわい」なるものはどのようなものなのか?もちろん、そのことも明らかではない。これまでの話からは、瞬間的な快感の連続といった、相矛盾した状態のように見受けられる。公共事業である限り、本来ならそこのところが明確にされなければならないが、今のところそれ以上詮索したところで、甲斐がなさそう。

 それよりも今疑問に思っていることは、なぜ、駅前に「にぎわい」がそもそも必要なのかということ。それが市民の暮らしやすさや幸せを増進するのか?

 いうまでもなく、駅は列車に乗り降りするための鉄道施設。したがって、鉄道の利用者が増えれば、当然駅前の「にぎわい」、すくなくとも、その基本的な要件は整います。そうなれば、自由・資本主義社会である限り、その利用者の増加に見合って「民間」の商業サービスが立地するはず。

駅前の「にぎわい」は何かの代用語、言い換えれば、隠れ蓑?

 これ以上込み入った理屈は避けて、端的に進めます。市長たちは、現状では駅利用者に見合った「民間」の商業サービスが立地していないので、駅前市有地でそれを提供しようとしているのか?それとも、駅の利用者をさらに増やすことを目的に商業開発をしようとするのか?

 もし、前者の目的であるなら、需要のないところに公共が商業サービス供給しようということであり、自由・資本主義社会においては無理がある。あえてやるなら、駅前でなく市内の買い物難民対策を優先すべき。

 もし、後者の目的であるなら、端的に言って無理がある。官民連携の商業開発よりは、企業立地や住宅開発、観光振興を進める方が有効。

 以上のような理屈は、わざわざ改めて言わなくても、市の組織や議員にはわかりきっているはず。ということは、ここにきて市民が気付き始めているように、駅前の「にぎわい」は何かの代用語。言い換えれば、隠れ蓑ではないかと言うことになってきます。