列島の文化の東西の切れ目を連想

 銅鐸博物館の秋期企画展を今日28日、最終日に見てきました。 テーマは、「大岩山銅鐸の形成 -近畿式銅鐸と三遠式銅鐸の成立と終焉-」

 銅鐸の様式が弥生時代後期に「近畿式銅鐸」と「三遠式(さんえんしき)銅鐸」に集約され、最後は作られなくなる流れを辿る展示。

 博物館の解説を見ると、近畿式銅鐸は「近畿地方を中心に畿内の周辺部と紀伊西部、近江、伊勢、尾張、三河、遠江などに分布」。三遠式銅鐸は、「近畿式銅鐸にやや遅れて成立し、三河、遠江を中心に限られた範囲に分布」。「銅鐸が複数出土したものをみると野洲市大岩山銅鐸を除いて、近畿式は近畿式で、三遠式は三遠式で出土」と混じらないで出土しているとのこと。後には、「三遠式銅鐸が使用していた東海地方では遅れて近畿式銅鐸が入り込ん」だとされている。素人の感想ですが、現代にまでつながる、日本列島の文化の東西の切れ目を連想させる興味ある事象です。

貴重な出土品が多く展示され充実した内容 常設展と合わせ見て、一層興味が満たされた

 会場には、地元の大岩山銅鐸に加え、香川県善通寺市山出土の「大麻山(おおさやま)銅鐸」、京都府与謝野町出土の「明石(あけし)銅鐸」、愛知県清洲市出土の「朝日銅鐸」、  静岡県磐田市出土の「西の谷銅鐸」、大阪府羽曳野市出土の「西浦銅鐸」など貴重な出土品が多く展示されていて、充実した内容でした。

 普段見慣れている、レプリカが主体となっている1階の常設展と合わせ見ることによって、一層興味が満たされました。

 

大岩山古墳群 古墳から西に開ける眺望は王級の被葬者にふさわしい景観

 会場を出てから帰りに隣の「桜生(さくらばさま)史跡公園」に寄りました。ここには「国史跡大岩山古墳群」の「甲山古墳」、「円山古墳」、「天王山古墳」の3古墳があります。円山古墳はじめ、古墳時代後期6世紀の築造と推定されているので、銅鐸の時代からは400年以上時代が下がります。石室入り口の防護柵の間から見える円山古墳の阿蘇溶結凝灰岩製の石棺の存在感にはいつ見ても圧倒されます。古墳から西に開ける眺望は、王級の被葬者にふさわしい景観です。