市の意思決定には、その都度必ず文書による手続きが必要

 野洲市でのこの1年余りの業務の進め方を見ていてずっと疑問に思っていることがあります。それは、市長の独断専行として市民には映っている事業の起案を誰がどのような思いで行っているのかということ。

 様々な事業、とりわけ病院と駅前の問題に関しては、市長の独断専行で事が進められていると思っている市民、また議員は少なくありません。昨日もそのような声を聞きました。

 ただし、市長の独断専行といっても、市長名で文書を出したり何らかの行為を行う場合、市長が直接手を下すわけではない。市の組織内での意思決定には、その都度必ず文書による手続きが必要となります。「野洲市文書管理規程」の第17条に「全て、事案の処理は、文書によらなければならない。」と定められている。

 したがって、昨年の駅前病院の設計業務委託中止の文書からはじまって、最近のサウンディング参加に至るまでいずれも文書による手続きが取られているはず。

「起案文書」で見ると、担当職員が自発的に提案し、決裁を受けて実施したことになる

 この手続きは「起案」から始まります。担当職員が「起案文書」を作成して、決裁権限を有する市長等に許可や承認等を求める手続き。民間企業と同じように「伺い(うかがい)」と通称される場合もあります。

 わかりやすい説明があったので引用します。

 「起案文書とは、事案の処理について、決裁権限を有する者に説明し、許可、決定、承認等の意思決定を受けるために作成する文書である。」(佐伯市「公文書作成の手引」)

 例えば、昨年11月2日の市長初登庁日にいきなり発出された駅前病院の設計業務委託中止の文書。この場合であれば、担当職員が決められた書式で、そのことを起案して、決裁権者の決裁を受けて実施したことになります。また、条例で病院用地と定まっている駅前市有地を商業開発するサウンディング参加の場合も同様。したがって、公文書上で見ると、担当職員が氏名を記して、これらの行為を自発的に提案し、市長等の決裁を受けて実施したことになります。参考に、「野洲市文書管理規程」第17条で定められた「回議書」の様式を添付しておきます。

起案の根拠は通例は法令か答申 栢木市長の場合は起案者の発意となり実質パワーハラスメント 

 このような状況は、担当職員本人が市長と同じ思いをもっている場合は別として、不自然なことであり、きついストレスが生じる恐れがあります。なお、職員が同じ思いの場合にはまた別の問題がありますが、ここでは触れません。

 ところが、通例の起案はこのような無理な状況では行われません。なぜなら、一般的に起案は議決予算を含め法令等に基づいて行われるので、起案の原因や根拠は担当者の発意である必要がないからです。ところが、上にあげた例では、このような根拠はなく、市長の思いだけが根拠。しかし、市長の思いは、一般的には、公文書としては存在しない。したがって、外から見たら、これら一連の行為は担当職員がやりたくて市長等の許可を得て行ったことになる。

 このような不自然で不幸な状況を避ける方策はあるのか?新しく事業を起こしたりする場合は、起案方式のもとでは、どうしても担当職員の発意でやった形になる。それを避けるため、というのが本来の機能ではありませんが、審議会等の第三者機関の答申を得て、それを根拠にする。もちろん、審議会等の本来の機能は市長がより良い政策立案のために、市民代表や専門家による審議と意見集約を得るためのもの。それが、結果として、起案の根拠になります。しかし、栢木市長の場合は、この手続きを省いているために、見かけ上は、市長でなく、担当職員が矢面に立たされる状況になっています。職員がどう思っているかは別として、これは実質パワーハラスメント。関係者の気づきがなければ一層深刻ですが、いずれにしても議会がチェック機能を働かせて早急な改善が必要です。