今日11月2日は野洲市にとって特別な日 新病院整備事業がさ迷い出した日

 今日11月2日は野洲市にとって特別な日のひとつです。新市民病院整備事業がさ迷いだした日。1年前の今日、栢木市長が就任初登庁して、駅前Aブロック病院の設計業務をいきなり中止しました。市民はもとより、議会との協議はおろか、一切知らせもしないで行いました。そしてこの事実が公表されたのは、それから2週間以上たった11月18日。まったく異例で、異常なやり方です。しかし、このやり方は、この1年間で野洲市においては異例でも異常でもないやり方となり、定着しつつあります。

 ところで、当時、まだこの時点では、市民は、市長の公約どおり、病院が現地で運営しながら半額で建てられるものと思っていました。しかしその後の迷走は、改めて繰り返すまでもない。現在、新市民病院の整備は、場所が駅前Bブロックとの方針が示されただけで、正式には決定されていない。今月22日に市民病院整備評価委員会が開かれることになっているが、そこでようやく基本構想が確定されるのかどうかも明らかでない。このことも、異例で、異常なことです。

議会決議や議決までも無視して市長の独断で進められることが恒常化

 現在の市立病院施設の老朽化が進むなかで、新病院のめどがまだ立たない事態は深刻です。しかし、それ以上に深刻なことは、上に述べたように、病院事業に限らず、駅前市有地での商業開発はじめ様々な事業が、市民はもとより、議会との協議もなく、さらには、議会決議や議決までも無視して市長の独断で進められることが恒常化してきていることです。

野洲のまちづくりの逆戻りは、数十年でなく、数千年? 『涅槃経』から読み解く

 ここで、話題が変わりますが、しばらく前から仏典を読み出しました。まったくの素人読みですが、先日膝を打った一節がありました。『涅槃経』の冒頭のところです。有名なお経なので良く知られていると思います。

 インド北東部に位置するマガダ国の首都ラージャグリハ(王舎城)の霊鷲山(りょうじゅせん)でブッダ(釈迦)は教えを説いていました。そこに、マガダ国王の使者が来て、王から託された質問を問いかけました。その問いとは、王がヴァッジ族の住む隣国征服しようとしているが、ブッダの考えはどうかということでした。

 仏陀はこの問いに対して直接答えず、後ろにいた弟子のアーナンダに尋ねました。ここからは、『涅槃経』をパーリ語本を底本として翻訳された、『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』(中村元訳 岩波文庫) からそのまま引用します。

 

「アーナンダよ、ヴァッジ人は、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する、ということをお前は聞いたか?」

「尊い方よ、ヴァッジ人は、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する、ということを、わたくしは聞きました」

「それでは、アーナンダよ。ヴァッジ人が、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡はないであろう。」

 

 このようにブッダとアーナンダの対話は続いていきました。、そして、その対話でブッダは王の使者に自ずから答えを悟らせ、使者はその答えを王のもとに持って帰りました。

 『涅槃経』の成立は4世紀といわれていますが、ブッダがこれを説いたと想定されるのは、2,500年前。すでにその時代でもこのような認識でした。ところが、今の野洲市は、残念ですが、「しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する」状態ではなくなっている。なお、かつて、『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』を読んだ時には、引っかからなかった一節の重要さが少しでも分かったのは皮肉なことではあります。

 以前、野洲のまちづくりが数十年前に逆戻りしたと書きましたが、それどころの話ではない。新しい市議会では、現在のやり方の定着が一層進むのでなく、改善の方向に向かうことを期待します。