選挙(試合)が終わってからの責任と責務の方が重い 

 野洲市民にとっては、市議選に続く衆院選も終わり、選挙の季節が終わりました。

 いずれの場合も、報道では勝った負けた、過半数取ったかなど野球やサッカーなどと同じような試合(ゲーム)感覚の報道になりがち。しかし、言うまでもなく、選挙の場合は、その後の政治と政策運営が本務。試合が終わってからの責任と責務の方が重い。

 野洲市議会の場合は、今日から新議員の4年間の任期がはじまります。そして11月10日に臨時会で初の本会議。国会でも同じ10日に特別国会が召集される見通し。そこから表向きの活動がはじまります。

市民の幸せで安心な生活の保障はお金だけでなく、人と社会の仕組みへの着目が必要

 二元代表制と議院内閣制という制度面や所掌範囲の違いはあっても、自治体議会と国会とで重要性に変わりはありません。

 衆議院選では、いずれの政党の公約も国民の関心の高い分野では、コロナ対策、経済対策としてその再生と成長を前提にした所得向上、そして格差解消と生活支援として生活困窮者や子育て世帯などへの給付など、手法や力点は違っても、大きく見れば似通っていました。このような競争であれば、政権党に利があったように見えます。

 これらの公約の実現を期待していますし、水を差すつもりはまったくありませんが、経済の再生と成長ということに対して国民は心から期待を持てているのか気がかりです。もちろん「新しい資本主義」のなかでその実現の道筋が示されることとは思います。

 とはいっても、経済の再生と成長はこれまで唱えれ続けてきましたが、実質的には達成されていない。逆に、格差の方は拡大し続け、コロナ感染の影響で一段と深刻になっている。そして、その格差対策の柱は給付金。この点は、野党の公約もほぼ同じで、要するにお金を渡せば改善するという発想。お金とあわせて必要なサービス、以前書いた言葉で言えば「ケア」の提供が欠けている。

サービスに着目しているように見える、野党の公約でも、「医療・介護や保育などを生活に不可欠な「ベーシックサービス」と位置づけて国の予算を重点配分し」と、基本は、お金があればなんとかなるという発想。

 お金は必要だし、無視できませんが、それだけでは市民・国民の幸せで安心な生活は保障されない。詳しく立ち入る余裕はありませんが、人と社会の仕組みへの着目がないと市民・国民の生活は保障されません。もちろん、無駄を省いてそのお金でという公約も、人と仕組みへの着目でなく、お金に対する着目でしかない。「新しい資本主義」が人と仕組みに着目したものになることを期待します。

野洲市 お金優先で人と仕組みへの配慮が後ろに追いやられている 新議会に期待

 ところで、野洲市の方。市民の幸せで安心な生活のために欠かせない病院を窮屈な土地に押し込んで、やっつけ仕事のように片付けようとしている。そして、本来の病院用地であるAブロックを税収増と称して、議会手続きも経ないで、商業開発にまい進しようとしている。駅前だからと言って商業開発が成功し、税収増につながる保証はありません。いずれにしても、ここでは、もろにお金に対する着眼が優先して、人と仕組みへの配慮が後ろに追いやられています。この状況の転換を10日の臨時会、そしてその前、5日の全員協議会からの新議会の活動に期待します。