「市は資料を自前で準備」は市長の面目躍如だが誤った先入観 

 昨日閉会した市議会の今日9月18日の新聞報道。議会の内容はネット中継で傍聴して昨日紹介したとおり。注目していた議会後の市長記者会見の報道では、 驚きというより、さもありなんというコメントが載っていました。

 「市は資料を自前で準備し、予定通り11月に調査を実施する方針」(毎日新聞 2021年9月18日)。記事は、「栢木進市長は記者会見で「Aブロックの具体的な活用を決める前段階で『ノー』と言われ、大変残念だ」と話した。」と続いているので、「自前で準備」するという発言が市長のか職員のものかは不明ですが、いずれ市長の意思を示しているとみてよい。

 この記事を読んだ市民の受け取り方は様々だと思います。私は、ここでも馬脚があらわれて、栢木市長の負の面目躍如だと思いました。昨年秋の就任以来、スタンス(姿勢)は変わらない。市議会の決議や要請、さらには議決も意に介しない。最終的に決めるのは市長だという誤ったた先入観。いうまでもなく、自治体の制度は、提案は市長が行い、決めるのは議会。そして決まったことを守ったり、実施するのが市長の役目。

「自前で準備」はできない! できるなら、外部委託の予算は必要なかったことになる

 ところで、わざわざ説明するまでもないとは思いますが、「市は資料を自前で準備」の問題点を並べておきます。市長が思っているほど安易に「自前で準備」はできない。

①「自前で準備」できる業務であったなら、外部委託のための予算を議会提案する必要はなかった。税金の無駄遣いを意図していたことになる。

②一旦、Aブロック私有地に複合商業施設誘致のための事業費予算案を議会提案して否決された。予算案はお金だけの問題ではない。政策とセットになっています。複合商業施設関連予算が除かれた理由は、「病院設置条例はAブロックでの病院整備を規定している。進め方が強引だ」(毎日新聞)などが理由。議会の意思は複合商業施設誘致事業を止めたことになる。「自前で準備」かどうかという議論ではない。

③以上の理由で自前かどうかにかかわらず準備してはいけない。ただ、別の面からみるために、仮に「自前で準備」するとした場合を想定したとして、この場合市長が自らすべてやるならかろうじて許される。しかし、議会が議決において認めなかった業務を職員に命じることは、制度上認められない。市職員の働きには人件費等がかかり、結果的に議会が認めなかった事業に市予算を使うことになるから。たとえば、今後計画しようとしている何らかの事業のために、あらかじめ内部で検討する、いわゆる仕込み。そのために職員が働く場合とは条件が違います。サウンディングは対外的な関係が生じる事業であり、市長得意の独走で着手することになる。万一やるなら、今以上に違反が蓄積していくことになる。

④上記③と関連し、細かなことですが、人件費と同様、事務用品費や旅費も予算化されていないので使えない。

Aブロック商業誘致議案否決でBブロック病院にもノーが突きつけられた

 以上のように、固く言えば、民主主義制度のなかの自治体の二元代表制では、議案として提案したが実質否決された政策や事業には取り組めない。「財政民主主義」に反します。

 ところで、それよりも市長にとって深刻なこと。それは、今回の議決は市の構想や条例ではAブロックは市民病院用地と定められていることが根拠になってる。ということは、裏返せば、市長が実質的に何の議決も得ないで進めている、Bブロック病院にもノー(否)が突きつけられたことになる。3月議会での計画策定予算は昨日も書いたように、枠取り予算であって、本来は、病院事業設置の条例改正後に執行可能なものと理解すべきもの。

 Bブロック病院についてはこの予算執行の問題とともに、プロポーザル手続きでの疑問が解けない。先日示した黒塗りの審査表なるもの、というのも、どこにも審査表とは明記されていないし、肝心なところは黒塗り。これから見て、本当に正当な審査がなされたのか?

 さらなる疑問点は、市長や担当部長が議会答弁で手続きの正当性の根拠にしていた、プロポーザル実施のガイドライン。そには「最低評価点」あるいは「最低基準点」の規定は存在しない模様。そもそも、新聞記事によって名称が異なること自体、信憑性(しんぴょうせい)が薄い。1社の参加であったが、審査を強行するための後付け措置ではなかったか?

 市議会は議員の任期中の定例会は終わりましたが、特別委員会は開けます。選挙前のあわただしいなかではあるが、Bブロック病院に関する疑問、あえて言えば疑惑の解明に取り組むことを市民は期待しています。市民の力には限界があります。