マーラーの描く、夢と思い出、その曼荼羅の世界にたっぷり浸る

 心配していたコロナウイルス感染と台風の影響もなく、予定どおり開かれたびわ湖ホールでのマーラーの演奏を楽しんできました。沼尻竜典さんの指揮で京都市交響楽団の演奏。曲目は、グスタフ・マーラーの「交響曲第1番」と「交響曲第10番」の第1楽章「アダージョ」。

 最初に「アダージョ」の演奏があって、休憩後「第1番」。あわせて1時間半弱の間、目の前での演奏という媒介(メディア)を忘れるほどに、マーラーの描く、夢と思い出、その曼荼羅の世界にたっぷり浸ることができました。

 もちろん、演奏の質が高かったから、マーラーの世界に浸る至福がえられたのですが、今日は、演奏がどうのこうのという以前に、流れる音の世界でのしばしの滞在が収穫でした。

故若杉弘さんを初代芸術監督に津山まで口説きに行ったこと

 沼尻竜典さんの芸術監督も十数年になるはずと思って、演奏会が終わってから、入口でもらった、青インクで小さな字のプログラムの説明を見ると、14年めとなっていました。そしてそこには、初代芸術監督の故若杉弘さんのことにも触れてありました。

 すると思い出がよみがえってきました。1996(平成8)年4月にびわ湖ホールの担当に異動、というより前触れもなく放り込まれました。その前までは、難産のびわ湖ホールの建設発注に携わっていて、次は運営の立ち上げ。施設は建設中。財団の立ち上げから始めて、当然、芸術監督も決まっていなかった。

 若杉さんに芸術監督になってもらうことを提案し、組織的な了解が得られた。そこで、同僚とともに、若杉さんに依頼というより、口説きに出向きました。当時、津山の音楽祭で津山市に滞在しておられたので、滞在先の宿に出向きました。その時、津山の音楽祭との関係を聞くと、渡邉暁雄さんの後携わっているとのことでした。話した内容は忘れましたが、結果的に就任してもらえたので、こちらの思いが伝わったのだと思います。それよりも記憶に残っているのは、結構長く話し込んでいたので、帰りがけに、若杉さんが、帰りの道中お腹がすくだろうといって、どんぶりを注文してくださったこと。その心づくしとどんぶりの熱さがいまだ鮮明です。

 若杉さんの演奏を直接初めて聞いたのは、高校生の時で、多分1967年頃東京で。オーケストラは、1965年に常任指揮者になった読売日本交響楽団でした。目の前での颯爽とした指揮ぶりと紡ぎだされた音楽に一気に魅了されました。