市民を敵対相手と見立てて、技をかけて打ち負かし 本当の課題解決望めない

 先日市民団体が市条例のとおり、駅前Aブロックで病院整備を求める署名を市長に提出したことに触れて、その正当性について書きました。その時にも気になっていた、栢木市長の論理というか話術というかその巧妙さ。

 この時のやり取りでも、市民団体代表が、「『Bブロックは狭すぎ、皆が願う病院はできない』とし、市長に回答を求める考えを示した。」のに、「栢木市長は取材に『病院を駅前で早期に実現という思いは同じ。Aブロックではにぎわい創出、Bブロックで新病院整備という方針に変わりはない』」と話した。」(中日新聞2021年9月4日)と報道されている。

 市民の意見である、土地が狭すぎるということには答えていない。逆に、病院を駅前に早期に実現という点では思いは同じという風に、市民の要望を逆手にとって、自分の正当さの補強に使っている。これは、以前紹介した、市長得意の柔道の技と同じ。市民を敵対相手と見立てて、技をかけて打ち負かしているだけ。しかし、まちづくりは市民との戦いではない。市民と共に取組む課題解決。このやり方では、いつまでたっても本当の課題解決と目的実現は望めない。

市長得意の論理議会答弁でも十二分に披露 これでは「人治主義」に戻り、民主主義の危機

 市長お得意のこのような論理あるいは話術はここに改めて紹介するまでもなく、市議会での議員の質問への答弁でも十二分に披露されてきています。そして質問した当の議員はもちろん、傍聴した市民も納得できないながらも、押し切られてここまで来ている。繰り返すまでもなく、Aブロック病院の設計契約解除、病院現地半額建替え公約のすり抜け、公約で反対していた駅前の狭いBブロック病院の計画契約など。

 この巧妙で効果的な市長の論理あるいは話術。自分では真似をして使いたいとは思いませんが、なかなかの技。しかし、市民はこの技の勘所を押えておかないと、自らの思いと活動が、自分たちに不利な形で返されてくる。さらには、先日も書いたように、まちづくりの進め方そのものが、民主主義の基本である法(市民によって合意されたルール)に基づくものでなく、市長の思いのまま、市長がルールとなる、昔の「人治主義」に戻ってしまい、極論すれば民主主義の危機。これは、将来のことでなく、過去10か月間の実績です。

選挙公約での民意を盾に取る技と相手の動きを逆手に取る柔道の技

 そこで、とりあえずの試みとして、栢木市長の論理あるいは話術の勘所を簡単に3つに整理してみました。いずれも、市長の言葉をそのまま引用して紹介します。引用は、すべて令和3年5月7日に提出された住民監査請求に対する市長の陳述からです。ここにフルセットで栢木市長の技が使われているからです。

①「市長選挙の公約の遂行のために行われたものであり、民意に基礎付けられたものであることが明らかである」というもの。説明するまでもなく、選挙での当選による民意を盾にするもので、頻繁に使われます。

②次のような論理。「設計業務に係る成果物を受領しており、市に損害を与えることは行っていません。それどころか、契約解除によって、本来発生する予定であった業務委託料を軽減させたのであり、市の損害拡大を防止しているのです。」問題とされる行為は、逆に、市民や市のために有益という言い返し。上に紹介した市民団体の署名時のコメントと同様、相手の動きを逆手に取る柔道の技。今議会の答弁でも、駅前Aブロックの複合商業施設にかかる495万円の補正予算案は6月議会の議会決議の要請に応えるものだという勝手な論理を展開していた。これも頻繁に使われる手。

車検切れ車でも、交通ルール守り運転しているから問題ないという論理 まちづくりは停滞

③最後は、次の引用です。「請求人においては、野洲市病院事業の設置等に関する条例等との関係においても主張されていますが、契約解除について、議会の議決が不要であることは、前述の通りであり、契約解除に何らの法令違反はありません」。

 この契約は、地方公営企業法に基づくものであるため、一般会計の事業と異なり、言うまでもなく、締結も解除も議会の議決が不要でありこの点では違反ではない。  

 しかし、問題は、病院事業の設置等に関する条例では、市立病院の診療科目や規模等とともに、設置場所が番地まで特定してAブロックと定められている。この条例に違反していることを根拠にした監査請求であったのに、これには答えていない。

なお、今年の第1回野洲市議会定例会での3月5日に行われた橋俊明議員の同じ内容の代表質問に対しては、まったく別の論理で答えています。①とも②とも違う、実質門前払い型ですが、話ががややこしくなるので引用は省きます。その場その場で論理は変わるが、議事録までは変えられない。

 この③型もよく使われます。一見、法律論、制度論に基づいているようなので、そのごまかしを見破って反論するのは厄介。この論法を何かに例えてわかりやすく解けないかともやもやしていて、最近思い至ったこと。それは、車検切れの自動車を道路で運転していて、たまたま見つかって指摘を受けた。その時、制限速度内できちっと交通法規を守って走っているのに、何が問題かと逆に食って掛かるのに例えられるのではないか。

 この例えが当たっているかどうかは、読んでいただいた方それぞれの判断ですが、とにかく、このようなことが続くのでは、建設的ではなく、市民のいら立ちは募り、まちづくりは停滞します。