市部長会議録の情報量が一段落ちたが、目を引いた記事が2つ

 国道8号バイパスの開通予定について書くため、昨日市ホームページを探っていたついでに、部長会議の記録を見ました。最近は記録の情報量が一段と落ちたというのが関心ある市民のもっぱらの評判。会議の性格が過去の合議・了解型から単なる報告の場に変わったこと。また、市政全体の透明性の後退などによるものと思われます。さらに、市長の発言で内容のあるものは、一切といってよいほど記録されていない。それとも発言がないのか?他方、先日も引用したように、副市長の多弁が目立つ。とはいっても、目を引いた記事が2つありました。

プロポーザル審査結果と住民訴訟の補正予算 「住民の皆さんと争うことは悲しい」と矛盾

 ひとつは、8月16日(月)の会議録で市民病院基本計画等策定プロポーザル審査の結果について。もうひとつは、8月23日(月)の会議録で住民訴訟の提起についてのもの。内容が簡単である住民訴訟の方を先に片づけておきます。

 記録は次のとおり。「(政策調整部)○病院建設設計の契約解除は違法だとして損害賠償を求める住民訴訟が提起されたことに伴い、必要となる弁護士費用を議会に追加提案する予定である。」

 開会中の市議会定例会に追加の補正予算案として、提案されるかどうか注目していたもの。その理由は、先月、過去からの住民訴訟を原告が取り下げるにあたって、栢木市長が議員の反対や異議を無視して、独断でそれに同意した。その時の記者会見で次のような市長発言があったからです。

 「私は被告人という立場ですので住民の皆さんと争うことは悲しいことであり、同意しない理由はないと思います。」

 ということであれば、今回も、「住民の皆さんと争うことは悲しいことであり」という同じ理由で、争わないで、訴えを受け入れる可能性があったからです。しかし、弁護士費用を予算化するといことは、争うということ。ということは、先の住民訴訟の住民というのが、市長の後援会の会長はじめ幹部の人たちなどで構成されていたからということを裏書きすることになる。

 いずれにしろ、住民訴訟では、市民の代表である市長が訴えられているのであり、その立場として争い、問題を司法の場で明らかにすることは当然。したがって、今回補正予算案を提案して、議会の審査を求めることは、問題ない。ただし、先の、独断での取り下げ同意の理屈とは矛盾することだと思います。

審査員の審査内容にばらつきはなかった!  なぜ、5人が大きなばらつきなく点数を入れたか?

 もうひとつは、プロポーザル審査の結果。ここからは、驚きの事実に繋がります。まず、少し長めですが、記録を引用します。

 「野洲市民病院整備基本計画等策定支援業務委託の契約の相手方となる候補者を選定するため、8月12日に公募型プロポーザル審査を行った。その審査結果について報告する。今後、8月18日(水)の全員協議会で結果を報告し、選定業者と速やかに随意契約の方法により契約を締結する予定である。

→各審査員の審査内容にばらつきはなかったか。

→大きなばらつきはなかった。

 これを読んで、5人の市職員である審査員が付けた点数の平均が200点満点中127点であるとは、どういうことかと疑問に思いました。以前に書いた「基準点の120点を7点しか上回っていないという低い水準」に5人が大きなばらつきなく点数を入れたのか?

審査員は基準点120点を知っていたか?

 ここからは、推理小説の真似事になりますが、昨夜の推論を順を追って書きます。

①まず考えたことは、5人審査員が基準点である120点を少し上回る点数をそれぞれ付けたのか?

②それとも、基準点120点に満たない、いわゆる落第点数を入れた職員もいたのだろうか?

③もし、落第点数を入れた職員がいたとしたら何人だったのか。それが、過半数を超えていたとしたら、平均点だけで判断してよいものか?

④一般的には、満点が200点なら、160点があれば、130点や110点もあっても、平均して127点に落ち着くもの。結果から見ると、審査員が一致して低い点数をつける内容であったのか?

⑤ところで、審査員は、基準点が120点であることを知っていたのか、いなかったのか?

⑥審査員は基準点が120点であることを知っていて、プレゼンテーションの内容は良くなかったが、任命権者である市長の意向を無視できず、全員が、かろうじて合格点を付けたのか?この可能性が高そう。

⑦本来、審査を公平・公正に行うのであれば、審査員があらかじめ基準点が120点であることを知っていては適正な審査ができない。客観的に絶対審査を行うべき。

 

公表された制度には基準点は存在しない! 報道の用語も違う 報道はどこから言葉を入手?

 以上のように、解けない疑問が連なってきて、ハタと思い当たることが。そもそも基準点なるものがあると思い込んでいたことが間違っているのではないか?

 そう思い込んだのは、プレゼンテーションを傍聴した市民から、当日事務局が基準点を満たしたら云々という説明があった。そして、その後の新聞報道にもあっため、基準点なるものがあると思い込んでいた。

 改めて、記事を確認すると。次のとおりです。

「審査では200点満点で最低評価点(120点)を上回る127点だった。」(中日新聞2021年8月19日)

12日に公開のプレゼンテーション審査を行い、この1事業者のみが参加。市幹部5人が審査し、200点満点中127点で最低基準点(120点)を上回ったためという。」(毎日新聞2021年8月19日)

 記事によって、「最低評価点」、「最低基準点」と言葉が違う。これは怪しい。

 市のホームページに戻って、「野洲市民病院整備基本計画等策定支援業務委託に係るプロポーザル選定結果について」という公式の告知文を見ました。「最低評価点」や「最低基準点」なる言葉はない。報道機関はこれらの言葉をどこから入手したのか疑問がわきます。

 そこで、さらに、市のホームページに公開されている「プロポーザル実施要領」、「公募型プロポーザル審査委員会設置要綱 」、「公募型プロポーザル審査評価基準」、「評価基準一覧表」に目を通した。その限りでは、これらの言葉は一切ない。

本来競争が働かないため中止 後出しジャンケンで基準点設定という推測当たっているなら選定手続きは無効

 市が公表している情報をもとに推測するところ、今回の制度は、当然のことながら、複数社の競争を前提にして、最高得点の社を選定する制度設計を行った。しかし、1社しか参加がなかった。この制度設計では、本来であれば、競争が働かないため中止すべきもの。しかし、誰の指示によるものか不明であるが、1社でも強行することになった。そうなると、絶対評価となり、低い点数でも通ることになってしまう。そのため、後出しジャンケンで基準点なるものを制度公表後に設定した?もし、そうであるなら、やってはいけないこと。

 今回は、公開のプレゼンテーション審査の段階から、異例にも、参加企業名を公表するなど、最初から結果ありきのやり方であることを心配していました。

 この後も引き続き、市民が知る得る情報の限界のなかでの推測になります。こうなると、上記で問題にした、審査員が基準点を知っていたかどうかはどちらでもよいことになります。仮に知っていたなら、それを前提に皆が点数を入れた。知らなかったとした場合は、審査結果で出た点数よりわずかに低い点数を基準点として公表した。ただし、公式の告知文や要領等には基準点のことが記載されていないので、なぜ新聞記事になったかは市民には不明。また、市議会全員協議会の説明ではどうだったのか?

 要するに、参加してもらい「感謝している」1社を通すために、「最低評価点」や「最低基準点」なるものを後付けでつくったのではないかと推測される。このことは、市の公開資料を見た限りでは、120点の設定根拠や合理性の説明がないことが裏書していると思われる。

 以前書いたように、公募型プロポーザルは、いわば究極の随意契約方式であるため、逆に、一層の透明性や厳格性が要求される。今回のやり方は、その逆ではないか?これまで書いてきた公表情報にもとづく推測が、もし当たっているとしたら、今回の業者選定手続きは、公共調達手続きとしては、不当で無効なものとなる。場合によっては、市が関与して1社の落札を有利に導いたことになるなら、官製談合に該当する恐れも無きにしも非ずと大いに心配します。もっと、明るく、無理なく進める必要があります。