市のホームページにある病院関係の資料は膨大 もともと、場所は争点ではなかった

 少し硬い話になります。必要があって、市民病院問題の過去から流れを資料に当たって振り返ってみました。市民病院問題は、栢木市長の登場前後から、駅前か現地建て替えかという場所の問題にすり替わってしまいました。しかし、それ以前の市議会での議論では、駅前の市民病院に賛成か反対かということ。もともと、場所は争点ではなかった。

 振り返りの資料としては、議会の議事録を含めほとんど市のホームページに掲載されているもので足ります。そこに、議会や市民懇談会等で配った補足資料で手元に残っているものと新聞記事のスクラップ。ただし、市のホームページにある病院関係の資料は膨大であるため、ある程度過去の流れが頭に入っていないと当たりをつけるのが困難なぐらいです。

 

平成24年12月の委員会で病院駅前整備を前提の基本方針案を賛成12、反対7で承認

 過去の資料を当たるなかで、「新病院整備の検討について」と題した、平成24年12月20日開催の市議会臨時全員協議会の短い資料に行き当たりました。その内容は、前々日の12 月 18 日開催の市議会都市基盤整備特別委員会において、「野洲市中核的医療拠点のあり方に関する基本方針(素案)」について「素案」を「案」として熟度を高め、今後市民に説明を進めることに関して採決された結果、委員長を除き全19名の委員うち12名が賛成、7名が反対で、賛成多数で承認されたというもの。この時は、議員定数は20人で病院特別委員会はなく、病院も駅南口周辺整備と並行して都市基盤整備特別委員会で審議が進められていました。議長も委員になっていました。

 この基本方針(案)には、市民病院の【前提条件】のひとつとして、「 多くの市民が利用しやすく、医療スタッフの確保にも有利な野洲駅周辺での立地場所の確保」があげられている。ここでの野洲駅周辺での立地場所とは、民間企業から買収し、この年の2月に所有権移転登記が完了した、駅前市有地Aブロック等をさしています。市民病院を整備するからには、当然のことですが、最良の場所を選定しようという意図のあらわれです。

病院反対理由が病院は要らないから場所の問題に変わった 具体的な場所の提案はなかった

 ところで、この資料を紹介した理由は、資料の最後に「主な反対意見」としてあげられているのが、①市内に病院がなくても、周辺病院で医療サービスを確保することができる。②病院の黒字運営を確約しなければ、市が病院を持つことを認められない、などであるからです。

 このように、この段階では争点は、市民病院をつくって医療を継続的に確保するか、市が旧町時代から長年多大な支援をしてきた民間病院を閉院するにまかせるかの選択肢でした。

 病院の場所の問題が出てきたのは、平成27年12月に自治連合会と議員との話合いで、反対議員全員が市内に病院は必要と表明して、態度を一変させたところからです。この話し合いは、病院の基本計画策定後から議会で基本設計予算案の否決が明確な理由も示さないで繰り返されたために、いわゆる業を煮やした自治連合会が迫って持たれたもの。この話し合いの場で、「市内に病院がなくても、周辺病院で医療サービスを確保することができる。」などと言って、病院に反対していた議員までも、市内に病院は必要と言い出した。このなかには、当時議員であった栢木現市長も含まれている。

 ただし、もともと病院に反対であった議員がまとまって具体的な場所を提案したわけではなかった。議員それぞれ、現市立病院に隣接する郵便局を移転してそこに移転するとか、野洲川沿いにある旧農薬工場跡地とかをあげていた。これらは、いずれも今から見れば、栢木市長の3候補地レベルの提案であって、実現性の無いものばかりでした。

市長はAブロックだけは何が何でも死守せざるを得ない状況に今追い込まれている

 このように、過去の流れを辿ってくると、病院反対の根っこに、平成24年の病院の基本方針、そしてその基にとなる可能性検討で前提とされていた駅前市有地の存在があることが、透けて見えてくることになります。そして、栢木市長はまさにこの流れの主流。

 したがって、栢木市長は、「Bブロックも面積的に無理だと思う」(2021年5月18日中日新聞)とまで述べて駅前を拒んでいた。それにもかかわらず、Bブロックを切り捨てでも、Aブロックだけは何が何でも病院に明け渡さないよう死守せざるを得ない状況に今追い込まれている。これが、栢木市長が絡む野洲市の病院問題の最前線のひとつではないかと思えてきます。