福島県知事には当然の判断 大会組織委員会と政府には当然の判断でない

 東京オリンピックの福島市で開催されるソフトボールと野球が無観客で開催されることになったことを夜のニュースで伝えていました。7月8日夜開催された国際オリンピック委員会(IOC)や東京都、政府などの5者協議では、東京都と、埼玉、千葉、神奈川の3県は無観客。それ以外は、先月21日に出された「上限は収容定員50%以内で1万人」の方針でした。しかし、昨日北海道が抜け、福島県も「前提が覆ったため」持ちこたえられなくなったためです。

 福島県知事は、新型コロナウイルスの県内での感染状況の悪化も理由にあげていますが、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が出ているわけではない。とはいっても、有観客となれば首都圏など宣言や重点措置が出ている地域からの観客が想定される。県民から大丈夫かと問われれば、知事としては、責任が取れないというより、責任の限界を超えることであり、当然の判断。しかし、大会組織委員会と政府にとっては当然の判断ではないはず。

 この論理でいけば、残る宮城、茨城、静岡も厳しくなってきます。

開催の意味に関わること 大会組織委員会と政府は福島県を支援できなかったのか?

 競技は行われるとしても、福島が抜けるとなると東京オリンピックの開催の意味が変わってくると思います。夜のニュースでは、引き続いて「最も大事なことは大会が行われることだ」というIOCバッハ会長の選手向けメッセージの動画が放送されていましたが、納得できない。

 ただし、8日の5者協議やその前後の報道では、IOCは宣言や重点措置が出ていない地域では、日本国内の基準で開催したい意向であった模様。とするなら、大会組織委員会と政府はなぜ、福島の無観客を認めたのかです。

 部外者の感想ではありますが、観客全員のPCR検査を行うとか、県外者はワクチン接種者に限るとか、あるいは観客は福島県民に限るとか、少なくとも県内の子どもたちを招待する学校連携観戦だけでも可能なように大会組織委員会と政府は福島県を支援できなかったのか?

最悪の事態を想定したシステム対応必要 西村大臣発言は情報管理の規律性と厳格性崩す 

 当然このような支援は俄かづくりではできません。オリンピックを開催するなら、あらかじめ最悪の事態を想定して、対応策の選択肢を用意しておく必要がある。これまで何度も書いてきたように新型コロナウイルス感染対策では、最悪の事態を想定したシステム対応が、一貫してされてこなかった現れのひとつ。

 このことに関していえば、8日の西村経済再生担当大臣が酒の提供を続ける飲食店に関して金融機関への働き掛けを要請するとの発言も同様です。これについてもその日ニュース報道を見ていて、耳を疑いました。普通は、口に出すまでに止まる言葉です。

 最大良い方に解釈すれば、強い責任感と危機感の表れとも解釈できますが、根底にある発想が変わらなければ危険。

 露骨な圧力だとか、営業の自由の侵害だとかと批判が出ていてます。それもありますが、もうひとつ気になることは金融機関が持っている情報を目的外に利用することを前提にして要請していることです。マイナンバーカードの普及促進とかデジタル庁とか言っているなかで、情報管理の規律性と厳格性を崩してしまうことになります。