公告が病院長の名前 病院長が権限外の役割と責任を負うのは異例で不自然

 開院して3年目に入った現市立野洲病院。それへの心配が、7月5日付けのBブロック病院の基本構想と計画策定プロポーザル実施公告で一段と増すことになりました。

 市ホームページに公告が掲示された時にも触れましたが、まず、驚きかつ心配になったことは、公告が市立野洲病院の福山秀直病院長の名前になっていること。応募書類の提出先も病院長になっている。市長が、これほど高額の委託業務を正式に病院長に委任していると考えられない。したがって、業者選定後の契約当事者は、病院事業管理者の市長になるはず。病院長の役割は病院における医療の最高責任者であり、新病院整備の責任者は市長。このことは、些細なことのようですが、異例で不自然です。

 なぜ病院長がこのような権限外の役割と責任を負わないといけないのか、大いに心配になります。少なくとも異例で不自然であることの証左は、公告文の末尾に記されている問い合わせ先が政策調整部市民病院整備課の職員名になっていることに現れている。この職員に対しては、市の組織体制上では病院長の指揮命令が及びません。

プロポーザル公告文や仕様書などの杜撰さは病院そのものへの信頼に関わる

 もうひとつの心配は、公告文に付随するプロポーザル実施要領や仕様書などの付随文書類の杜撰さ。これについては、市広報7月1日号に記載の今後の病院建設予定と整合性が取れてないことなど、すでに書いたので省きます。

 このような公告文等の発信者になっていることは、院長はもとより病院そのものへの信頼に関わります。

市長が就任初登庁日に駅前新病院の設計中止から心配ははじまった 

 蛇足になりますが、市立病院への心配が増してきた経過を改めて振り返っておきます。

 まず、栢木市長が就任初登庁日に駅前新病院の設計中止を行ったにはじまります。普通であれば、就任して過去の経緯や現状をまず職員等を交えて確認する。そして、新たに行うことの影響やリスクを慎重に見極めたうえで、動き出す。しかし、栢木市長のやり方はまったく、この段階から異例で乱暴でした。これによって計画されていた新病院の展望が、まず断たれました。

 これほど勇ましい踏み出しであるからには、公約の現地半額建替えにもすぐに着手すると思って市民は期待した。すると、「いち市民」の私案だと言訳をし、予算を使い組織を立ち上げて検討をはじめた。この時、現地建て替えが時を置かず着手されていたなら、心配は治まった。

 この初日の乱暴さとその直後の「いち市民」の私案だとの言訳をするナメクジ状態の落差は大きい。さらに、検討後の公約断念という呆気ない結果と比べるなら、この落差は無限大といっていいほど大きい。市外の人たちから野洲市民は辛抱強いと評価される理由はここにあります。このように、順を追って増してきた現市立病院への心配。これが、今回のBブロック病院の基本構想と計画策定のプロポーザルの実施で、限界といってもよいほど高まりました。

市立病院は、課題解決を覚悟のうえで新しく開院 責任当事者が市民への説明と行動を

 そもそも現市立病院は、課題解決を覚悟のうえで2年前の7月1日に新しく開院しました。その理由は、その前日6月30日をもって約半世紀の歴史を閉じた民間病院の老朽化し、耐震対策が施されていなく、医療の基準も持たしていない施設を暫定的に使用して開院したからです。すでに、その10年ほど前、民間病院を運営する法人が施設は限界であり、法人には新設の経営体力がないので、新しい土地を確保し新病院を建ててほしいと野洲市に対して要望してきた。野洲市が病院への大支援者であったからです。そのような状態の施設です。

 現市立病院はそのような施設を使って開院しました。通常であれば正気の沙汰ではありません。なぜそのようなことを議会も認め、関係機関も認めたのか。これまで何度か書いてきたように、民間病院の事業継続が困難になる一方、駅前市有地の新病院の完成が、市条例や予算、事業計画、国交付金や交付税の見込みなどによって確実と見込まれたからです。そのことを前提条件にして開院した。当然、病院職員も新病院の展望を前提にして働いていることになります。

 このような厳しい基層の上で、今、病院職員の働きによって、医療が保たれています。あえて手をあげて、その責任の当事者になった人。その人が、市民が納得し安心できる説明と行動を一刻も早く行うべきです。