Bブロック決定経緯は市広報7月号で説明 議会軽視どころか議会無視の重大な問題 

 今日6月21日は市議会本会議での質問最終日でした。これまでの質問でのやり取りで大方 出尽くしているとは思いながら、坂口重良議員の駅前と病院関連の質問のネット中継を傍聴しました。

 議員の住まいが駅前であるため、過去からの経緯を良く踏まえた、市民目線からの的確な質問になっていました。議員の質問の仕方も穏やかだったし、市長からは新しい情報は出てこないだろうと期待していませんでした。しかし、のっけから市長の市政の姿勢がわかる展開になりました。

 議員が最初に病院を駅前Bブロックにした経緯の説明を求めました。すると市長の答えは、市広報7月号で市民に説明するのでそれを見て欲しいという答え。議員は紳士的にそれで了解して質問が終わりました。

 これには驚きました。市民代表である議員が議会本会議で質問しているのに、議事録も残る正式の場で答えなくて、答えを市広報の記事に委ねる。これでは、広聴制度の一環である「市長への手紙」と同じ。今日の段階であれば、市広報7月号は原稿が完成して、すでに印刷に回っているはず。答えの用意はあるはずだし、議会で質問されれば、当然その場で答えるべきである。また、議員もその答えに再質問をして、議論を深めることができた。市民の場合、市広報7月号を読んで疑問があっても、手紙を出さないといけない。回答があったとしても、半月以上待たなくてはならない。些細なことのように見えて、今日の市長の姿勢は問題だし、議会制の本質にもかかわる問題です。これで済むのであれば、市民を代表する市議会は要らない。議会軽視どころか議会無視の重大な問題が起こったことになります。

Bブロック病院の駐車場は物理的に用地がない 市長は今後考えると答えたが余地はないはず

 次に、Bブロックは病院には狭い。むしろ商業施設をBブロックにしてはと、議員が提案したが、市長は受け付けなかった。そこで、Bブロックに病院を建てる場合駐車場用地がないことが問題である。病院の場所決定には駐車場とセットで考えるべきだと強く迫りました。まったく、正当な質問であり、要求です。これに対しては、「患者の動線と自動車の動きを考えてこれから考える」と従前の答え。駐車場用地があって、そのうえで動線を検討してその配置や立体駐車場の収容台数を検討するなら、これからでもよい。ところが、物理的に用地がないのに考える余地はないはず。まったく答えになっていないし、正気の沙汰でない。出口は隣接JA敷地しか考えられないが、これだけ問い詰められて、今明らかにしておかなければ、市長の誠実さはもとより、責任問題にもなる。

Aブロックの商業施設の実現性 市長の論理は、鶏はいなくても、卵は生まれる

 Aブロックの商業施設の実現性の質問については従来どおりサウンディングへの神頼み。サウンディングの成功の率はかなり狭いにもかかわらず、市長は過度な期待をかけている。それとも、当面そこに逃げているだけか?

 議員は野洲に大きな商業施設の集客可能性含め成功の見込みがあるのかを、近隣駅での厳しい事例をあげながら説得性のある質問をしていました。しかし、市長の答えは、それぞれ状況・条件が違う、野洲には野洲の特性があるので参考にならないと一蹴。

 さらに、自ら民間企業経営者であることを自慢しつつ、うまく行くか行かないかは問題でない。来てくれる民間企業があるということは、市場調査をしてうまく見通しがあるから立地する。だから店が撤退することはあり得ない。こういった頓珍漢(とんちんかん)な答えをした。議員の質問の趣旨は、そんな有難い企業が見つかるかという趣旨のはず。市長の答えは、一種の同語反覆(トートロジー)です。例えれば、鶏はいなくても、卵は生まれると言っているようなもの。Bブロック病院の駐車場の問題も同じ論理で煙に巻いている。

駅前市民病院設置の条例は地方自治法第244条の2を根拠にしていない 

 Bブロックを前提に病院の基本構想・計画策定のプロポーザルを行うことになっている。これに対して、議員が病院をAブロックと定めている「野洲市病院事業の設置等に関する条例」に違反するではないかと質問。これに対しては、従来どおり、計画ができてからでよいとの答え。

 どうもこれまでの答弁を聞いて推測すると、市長は地方自治法第244条の2に規定する「公の施設の設置、管理及び廃止」を定める条例、いわゆる設管条例を念頭に置いているのではないか。市民病院はこの地方自治法第244条の2には該当しない、地方公営企業法に定める施設。この問題に関しては、別にまとめて整理するつもりです。以前にも書いたように、駅前市民病院建設の担保がなければ、未耐震対策・老朽化どころか、医療の基準も満たさない施設を前提にした病院の開設許可など通常は認められない。したがって、現状は、基準を満たす病院の目途がないなかで、基準を満たさない病院での医療が認められているという異常な状態になっている。ただし、滋賀県の医療行政の責任者である角野理事は、栢木市長の駅前病院反対公約の支援者であるので、滋賀県の場合は配慮があるとは思われます。

駅前商業開発に分譲マンション 人間一生病院に行かないで過ごすのが本来という市長の病院像 

 最後に今日のやり取りのなかで注目すべき、市長の驚きの答えがありました。

 ひとつは、Aブロックの商業開発のなかに分譲マンションを想定しているという答弁。また、行政機能が入るとも回答。

 これでは、商業施設は民間が建てるので経営がうまく行かないことや撤退はないという市長のこれまでの説明と矛盾する。分譲マンションや行政機能を入れるということは、区分所有やテナントを想定していることになる。したがって、市長のいう商業開発事業者が建物全体を整備して責任をもって運営するということにならない。

 もうひとつは、市長の唱えるランドマークに病院がなるのではないかという議員の提案に対しての驚きの答え。

 市長曰く、病院は賑わいとは反するもの。さらには、市長は、生涯一日も入院しないで亡くなった自分の母親の例をあげて、人間は一生病院に行かないで過ごすのが本来。野洲市の病院には患者がいない方が良いとまで明言。言い換えればば、市民が病院行くことはけしからんということ。

 市長のこの病院像には驚くとともに心配になりました。健康診断も予防接種も必要ないということでしょうか。加齢によるものはもちろん、人はいくら健康を願い気を付けていても、やむなく病気やけがをする。それなのに、この乱暴な健康・医療観、病院像で、本当に市民のための病院ができるのか?これは、先に福山病院長が議会で説明していた病院像とも異なるのではないかと思います。