市政運営は異例づくめの連続 選挙モードの視点で見ると理解できる 天動説から地動説への転換と同じ 

 病院問題はじめ栢木市長のこれまでの市政運営は異例づくめの連続。議会で困惑し、手こずっている議員はもとより、かなりの市民に共通する見方ではないかと思います。

 そこで思い当たったことがあります。栢木市長はまだ選挙モードにいるのではないか。市長モードに切り替わっていない。

 この視点に立って市長の発言や行動を見ると理解できることが多くある。ちょうど天動説から地動説に転換した方が星の動きの説明が付きやすいように。

足元の情報を正確に把握しないで批判 まさに選挙モード 

 市長になれば、市の資料をいつでもどれでも自由に確認できるし、担当職員から説明を受けることができる。そうすれば正確な情報が得られる。しかし、そのようにはしていない。

 その例はあげればきりがないほど。例えば、病院整備の市税負担を示す財源構成も確認しないで、いつまでも印象操作を続けて約120億円の贅沢な病院と言い続ける。また、看板公約の病院現地半額建替えをするなら、当然その検討にかかる段階で、病院会計が市から駅前市有地を買うために金融機関から借り入れた約12億円の一括返済が必要なことが分かっていたはず。それが、検討を行った結果、看板公約を断念し、郊外へ持っていこうとした段階でようやく判明したと言っている。コンパクト・シティの10億5千万円の交付金についても同様。

 さらには、「今までの野洲市政運営は収入を増やすことをせず基金を食い潰してきた」と今に至ってまで言い続けている。

 このように、足元の情報を正確に把握しないで、ことを進めようとしていること。さらにはその状態で、「今までの野洲市政運営」を批判している。これはまさに、選挙モードです。

市民いわく、毎朝のスクールガードを毎日SNSで報告 まさに選挙モード 

 また、別の例があります。栢木市長は市長になってもまだ毎朝スクールガードを続けているそうです。そしてその様子を毎日SNSで報告している。先日出会った市民が言っていました。感心なことで、やって悪くはないが、今は市長職に専念した方が良い。それより市長の役目は、自己自慢、自己宣伝よりは、毎日スクールガードとして、また他の分野でボランティア活動している多くの市民に感謝し、顕彰するではないか。至言です。そして、これも、というよりも、まさに選挙モードです。

政策説明を直前の議会で行わないで、支援者集団にだけ伝えた これもまさに選挙モード

 そして極めつけの例は、先日のメール。市長であるからには、政策に関する説明は、まずは議会と市民に伝えるべきである。そうであるのに、直前の議会委員会、記者会見、市民団体の会議で説明しないで、支援者集団にだけ伝えた。これも、というよりも、まさに選挙モードです。

市長は解散の話題が常時流れている衆議院議員ではない 常在戦場モードの影響はまず職員に及ぶ 

 今年の年初に「衆議院解散の制限を検討してみては?」と題して書きました。日本の政治の舞台では衆議院解散の話題が通奏低音のように常時流れている。政治家、なかでも衆議院議員やその関係者、そして何より「伝家の宝刀」と言われる解散の権能を持っている内閣総理大臣にとっては腰の据わらない状況です。常在戦場とまで言われ、緊張感がありそうですが、支持率の変動などに敏感にならざるを得なくて、政策の軸が定まらない。

 国政の場合は、法律がそうなっている、あるいはそのように解釈されてきたから、たちまちは仕方がない。しかし自治体の長は4年間の任期が確保されている。腰を落ち着けて経緯と現状を把握し、展望をもってことを進めないと、被害は本人にとどまらない。市民、そしてたちまち市職員に及びます。

 風通しを良くするといいながら、議会、市民には秘密で事を進める。これでは庁内だけの風通しが良くなるはずはない。どしどし自由に提案をといいながら、せっかくの提案を正しく評価して反応し、実践に移さなければ、続かない。

 先日、たまたま、まだ先のある幹部職員が昨年度末でやめたという話を知人から聞きました。その知人の友人らしく、情報は正確。もちろん、私もよく知っていて評価していた人です。驚き以上のことです。本人にとってはもちろん、市にとっても大きな損失。市民に近い自治体で常在戦場モードでやられてはたまりません。退職まで至るかどうかは別にして、例外状況ではないとのことです。

 急を要するのは、病院はもちろんですが、まずは、選挙モードからの脱出だと思います。