課題は現病院の施設と医療機器の老朽化とスタッフの士気の維持 6月議会に改修工事設計予算案?

 明日5月28日に予定されている市議会の病院整備事業特別委員会の資料が議員には3日前には配布されているはず。正副委員長にはそれ以前に説明付きで配布されている。そして、それ以前には市の部長会議にかけられているはずなのに、何の情報も流れてこないと思っていました。

 しかし、いずれ委員会当日になればわかること。また、5月10日の特別委員会と5月17日の病院の評価委員会の結果からは、栢木市長にはもちろん、議会にも全く出口がない状況に詰まってしまっている。だから、委員会では何を議論するのかと心配していました。

 それよりも、先の評価委員会で福山病院長が切実に訴えていた問題。現病院の施設と医療機器の老朽化と新病院の展望がさ迷っていることによる病院スタッフの士気の維持の方が、たちまち議論すべき課題ではないかと心配しているところでした。東館の雨漏り対策工事など簡易に手掛けるようですが、新病院の見通しが定まらないなかでは、無駄を覚悟で相当の工事が必要になる。そのあたりを市長は早く具体的に明らかにするとともに、議会も関心を示す必要がある。既に公開されているはずの6月議会の議案には、改修工事の、まずは設計予算案が提案されているのかどうかです。

市長の方針変更 市民を代表する市長と議会が情報を秘匿して市民から遊離している状態は危険

 そこに今朝の「野洲病院問題 一転、駅前に建設へ 栢木市長が方針変更」との見出しの新聞記事。栢木進市長が野洲駅前の通称Bブロック(約3,600㎡)に病院を建設する方針を固めたことが取材で判明したという内容。これまでも市長側のリーク情報を報じている新聞。この新聞は以前にも市長が体育館駐車場に意向を固めたとの報道をしたことがあったので、記事の信頼性は確かではありません。ただし、明日の委員会資料が既に議員には配布されていることからすると今回は内容どおりかも知れません。いずれにしろ、市長側が秘密主義なら議会もそれに同調しているからこのような記事が存在することになります。

 余談になりますが、市長は就任前から市民の分断を解消すると言ってきた。しかし、今は市長と議会を含めた市組織側と市民を分断していることになっている。市民の間には多様な意見があってよい。むしろそれは健全な状態です。ところが、市民を代表する市長と議会が情報を秘匿して市民から遊離している状態は危険です。

Bブロックでは現市立野洲病院の建替えにはならない こども園も建たない面積 公園も消えてしまう 

 新聞記事は、「支援者らから批判を浴びるのは必至で、議会でも波紋を呼びそうだ。」(毎日新聞)と長いリードが結ばれています。

 明日議会がどのような議論をするのかわかりませんが、これまでの流れからすると、波紋というものではないはず。むしろ、波乱か、白けかのどちらかではないかと思われる。

 先般の会議でも福山委員長が病院の規模の縮小に言及してはいました。それでも、通称Bブロックの位置と面積の窮屈なところに無理して新規に市民病院を建てるようなものではない。こども園でも最低5,000㎡は必要。近くにある野洲幼稚園も駐車場がなく老朽化していて、新築移転の計画が必要ですが、Bブロックはそれと同じか少ないぐらいの面積。また、同じく近くの市立ゆきはたこども園よりは格段に狭い。もちろん、眼科の手術は別にして一般の手術室を持たない診療所にするなら別。それでも駐車場は確保できない。いずれにしても、それでは現市立野洲病院の建替えにはならない。さらに、重要な要素であった公園も消えてしまう。

「支援者らから批判」が当たっているかは疑問 政治家としての立ち位置は厳しい 市議会での究明と打開に期待 

 順序が逆になりました。まずは、議会の反応より先に市長が明日の委員会で何を言うかが問題ですが、もし報道のとおり「方針を固めた」ということが本当であれば、内容以前に手続きが無茶苦茶です。そんな簡単に市長一存で固められるものではないはず。また、先の評価委員会との一貫性はもちろん、就任前からの言動とも全く合わない。記事のとおり「支援者らから批判」はもちろん、それでは済まないと考えるのが一般的。

 ただし、かろうじて通称Aブロックは残したことにはなる。万一Bブロックに病院を無理に建てたと想定した場合、Aブロックの土地利用の性格が大きく変わってくる。車の動線が病院と競合するため、大量の車利用を想定した商業施設の立地は困難になる。そうすると駅直結の面積5,400㎡の土地利用目的は自ずと絞られてきます。こう見てくると、記事の「支援者らから批判」というのが当たっているかどうかは一概にわかりません。秘められていた狙いどおりという見方も否定できない。

 詮索はさて置き、大きく見れば、看板公約の現地建替えと駅前中止の両方が崩れてしまえば、政治家としての立ち位置は厳しいものにならざるを得ない。

 市議会は、そして市民はなぜこのような状況に置かれなければならないのか。このことも含め、市議会での究明と打開が期待されます。