昨日の国会の委員会と市議会の委員会よく似ていた 

 昨日5月10日は野洲市議会の病院整備事業特別委員会が開かれ、これについては会議を傍聴した知人から得た情報で概要を紹介しました。

 昨日はまた、国会の衆参それぞれで予算委員会の集中審議が行われテレビ中継されていました。こちらの方は、しばらくの間、観ていました。議会の委員会ということは共通であっても、場も案件も異なりますが、意図することなく両者が似ているなという思いが湧いてきました。

緊迫状況のなかでの議会審議ということで類似

 国会の方は、新型コロナウイルス感染拡大の歯止めがかからず、医療崩壊が現実となっている。そのなかで、短期集中対策を前提にした東京など4都府県の緊急事態宣言の実績が上がらず、月末までの宣言期間延長と愛知県と福岡県を追加するという緊迫状況。またワクチン接種の混乱も深刻ななかでの審議。

 他方、野洲市議会の場合は、進んでいた市民病院事業を市長が止めて、老朽化して危険な市立病院の先行きが見えなくなっている、これまた市民にとっては切実な状況のなかでの審議。

 まずは、このように緊迫状況のなかでの議会審議ということで類似しています。

議論嚙み合わない 悪質なのは不誠実にはぐらかす場合 はぐらかしと無能は紙一重

 しかし、似ているなという思いが湧いた理由はそこにはありません。理由を端的に言えば、議論が嚙み合っていないということ。国会でも市議会でも結構ありました。

 なぜ噛み合わないのか。まずは質問の仕方や内容が悪いためにまともに答えられないことがある。しかし、これは稀だし、答える気があれば問い返せばよい。通常は答える方の問題です。

 次に答える方の問題として、質問の内容や趣旨をきっちり理解していない場合と不誠実にはぐらかす場合とがあります。これ以外に、答える方に情報や能力がない場合もありますが、これはこの場の話題から外します。

 質問の内容や趣旨をきっちり理解していないために議論が噛み合わない場合というのは、第三者から見ていると意外に多い。昨日も見受けられたように思います。ただし、この場合も答える気さえあれば問い返しなりをして議論を嚙合わせることは可能です。

 質の悪いのは、質問内容が理解できているにもかかわらず、不誠実にはぐらかす場合。ただし、この場合は、話題から外した、情報や能力がない場合と見分けがつかない場合があります。だから、答える方は気を付けないといけない。なぜなら、答える本人は情報や能力がありながら故意にはぐらかしているつもりでも、第三者からは、持つべき知識情報も持たず能力もないと見られてしまう恐れがあるからです。不誠実なはぐらかしと無能は紙一重。いずれにしても昨日この場合と思われる場面が結構ありました。

不誠実なはぐらかしは生産性がない 精神衛生上も良くない 被害者は市民・国民に 

 最後にあげた不誠実にはぐらかされる場合は議論が嚙み合わず、生産性がない。そのたちまちの被害者は質問した議員ですが、最終的な被害者は市民・国民です。現実が改善されない。具体的にはコロナウイルス感染拡大が止まらなかったり医療状況が改善されない。また新市民病院建設の目途が立たないといったことです。ただし、現実の被害が出る前に、そのような状況を見ているだけで虚しさと苛立ちが起こってきて精神衛生上も良くない。

不誠実の理由は保身 保身責めるより、突き崩し結果を出さすのが議会の役割 評価委員会の案に駅前市有地が候補地として入っていることが一歩

 それではなぜこのようなことが起こるのか。大臣であれ、首長であれ、いずれも立候補して、ということは自ら手をあげて政治家になった。そしてその役割は結果を出すこととそれにあたって説明責任を果たすこと。その説明責任が果たされない状況が繰り返されている。その理由は端的に言えば保身です。

 一般的にこのような場合の保身は責められますが、自らの立場を守ることそのものは自然な反応。もちろん、自らにも厳しく誠実に説明責任を果たす政治家は理想ですが、すべての人にそれを求めるには無理がある。不誠実に保身をされてもそれを突き崩し、健全性を確保し結果が出るようにしていかなければいけない。それが国でも自治体でも議会の役割。そして、それを市民・国民は監視し応援する。迂遠なようですが、この輪が回っていかない限り、事態の改善は見込めません。

 野洲市の病院問題でいえば、たちまちは5月17日の評価委員会の案に駅前市有地が候補地として入っていることが一歩です。