傍聴した市民の感想も報道の見出しも「病院現地建替え困難」 

 昨日3月1日の市長公約の病院現地半額建替え検討会は市民の関心の高さを反映して各紙とテレビで報道されました。見出しはどれも「病院現地建替え困難」かそれに近いものになっています。傍聴した市民の感想もほぼ同じだったようです。

 報道内容も大きな違いはありません。それは、会議が会場であらかじめ配られた資料どおり進められ、専門家側委員からの質問や議論が一切なかったという異例なものであったこと。また、予定されていた1時間半の半分も要しない短いものであったことことによります。だだし、終わりに委員長の求めに応じて発言した市民代表3人の厳しい意見と会議終了後の市長への「ぶら下がり取材」の扱いに違いがあるぐらいです。

市長の寡黙さ 出てくる言葉は「報告を聞いたばかり」と「いち民間人」 堂々と自信をもって潔く

 昨日の会議は市長にとって自らの政治生命にかかわるほど大事な場であった。それにもかかわらず、冒頭の形式的な挨拶を除き一切発言がなかったようです。せっかく市民代表の田中委員が終盤に市長に質問したのに委員長が受け付けず、思いを述べる機会を逃しています。予定の半分以下の時間で終わったほどで、時間が足りなかったわけでもありません。この市長の寡黙さは「ぶら下がり取材」でも同じ。『「病院関係者と相談する」と述べるにとどま』るとか「3月中に議会に一定の方向性を示したい」などの報道になっています。

 あわせて気になるのが、「報告を聞いたばかり」と「当選前はいち民間人で精度の高いものではなっかた。」という何度か聞いた言訳の繰り返し。以前も書いたとおり、法令に基づく計画づくりやコンクールの選考など市長が関与しないで第三者機関に委ねた検討結果なら、「報告を聞いたばかり」は通用しますが、今回は自ら提案して実現に汗をかかないといけない事業。我が事であるのにまったく他人事のような言いぶりは入口からして間違っています。

 「いち民間人」というのも民間人への差別になります。また、民間人の公約は信用してはならないという意味にもなる。いやそれよりも市長の重要な売り(セールス・ポイント)は「民間の知恵と力」ではなかったのか。そのうえ、事実は自ら市議会議員の経験やその間に監査委員もやっている。そして、市長選に向けて4年余りの準備に貴重な時間を費やしてきている。ここに来て「いち民間人」と言訳を繰り返しては、それこそ他人事ながら悲しくなってきます。野洲市の市長として、もっと堂々と自信をもって潔くと声をかけたくなります。

対案に対案はない 市民が置かれている状況を正確に位置づけることが先決 市長が率先して誠実に市民に語ること

 もうひとつ「3月中に議会に一定の方向性を示したい」との言葉。これがあるために市民や議員のなかには、何か対案が出されるのではと思っている人がいます。同様の読みをしている報道関係者もあるようです。しかし、対案に対する対案はありません。

 「病院関係者と相談する」と述べたと報道されていますが、相談すべき相手は、今回の検討を委ねた『野洲市民病院整備運営評価委員会』でありその専門部会を置いて他にありません。市の病院関係者とは就任以来十分に相談してきたはず。いまさら相談する事柄はないはずです。もしこれまで相談がなく、「報告を聞いたばかり」で、これからということであれば、論外です。したがって、相談相手も内容もないはずです。

 別の観点から見ても対案は出てきません。これから「いち民間人」でなく市長としての公式の対案を出そうとするなら、市長の一存、思い付きとはいかない。そのためには、調査や検討と合意形成のための手続きが必要です。そのためには予算や手続きを要します。それを「3月中に議会に」というのは無理です。

 開会中の市議会で3月16日の特別委員会を待たずとも、 明後日4日から本会議で議案質疑や代表質問が始まります。質問通告期限は2月25日であったため、昨日の会議は踏まえられていませんが、病院問題は質問通告されています。市民代表の意見にあったように、病院問題の解決は一刻も早くです。ここまで来たら市長の都合でなく、市民・議会の都合で議論を進行すること。そして、対案の議論でなく、まずは私たち市民が置かれている状況を正確に位置づけることが先決の課題となります。そのためには、市長が逃げないで率先して誠実に議会を通じて市民に語りかけることが欠かせません。