今日は北風が冷たくても日差しが明るかったので、自宅の裏山の麓にある「妙光寺山摩崖仏」に出かけました。
先に野洲中学校の方、山の北側の麓から摩崖仏に登って、山頂を経由して、自宅の方に降りてくる道筋を取ることにしました。
神社の前の道を右に折れて山道を400mほど登ると、妙光寺山北面中腹の摩崖仏に至ります。
「正中の変」直前の作
琵琶湖を望む北向きよりは、やや東に向いて、柔和な立ち姿の地蔵菩薩像です。足に沓(くつ)を履いている珍しい像とされていますが、これも見えにくくなっています。右手の錫杖は印象的です。
これも見えにくくなっていますが、元亨4年(1324年)7月10日造立の銘が残るとされ、鎌倉時代後期の作です。後醍醐天皇の時代です。この元亨4年9月19日には、後醍醐天皇が腹心の日野資朝らと鎌倉幕府の討幕を計画したという疑いをかけられた事件である、「正中の変」が起こっています。「元弘の乱」を経て鎌倉幕府の滅亡に至る予兆のあった頃になります。
妙光寺山周辺には多くの古墳が
摩崖仏へ行くすぐ手前に、古墳の大きな石組が露出しています。特に大きな天井石を支える石の柱が力強く立派です。以前書いた、これより北東にある鏡山と同じように妙光寺山周辺には多くの古墳があります。
琵琶湖の眺望が開ける
摩崖仏からさらに登ると、頂上に至る尾根道に出ます。北西に琵琶湖の眺望が開けます。
頂上からは南西の眺望が得られます。この山の南麓にはかつて東光寺として天台宗の寺院群がありましたが、その本拠である比叡山も琵琶湖を挟んで望めます。
帰りは不動堂にお参りをし、普段の散歩道である、お池道を経て自宅に戻りました。1時間余りの散策でした。
帰ってから、身近なもうひとつの鎌倉後期の石造品である、宗泉寺薬師堂前の石灯籠を見に行きました。力強いつくりの存在感のある石灯籠。重要美術品になっています。小さなお堂の前に何気なしに立っています。薬師堂の中尊である薬師如来坐像は普段拝観できませんが、平安(藤原)時代の美しい仏像です。鎌倉時代の毘沙門天立像などとともに、重要文化財です。後、鎌倉時代と地蔵像で思い出しましたが、自宅から約1㎞の旧中山道沿いにある、行畑(ゆきはた)の「背くらべ地蔵」も鎌倉時代の石仏です。