東京五輪・パラ組織委員会の森喜朗会長の女性差別発言については最初の報道以来多くの情報と意見が重ねられています。

 不用意だったか意図的だったかを問わず、発言内容はまったく間違っている。ラグビー協会といういわゆる身内の個別組織のことを念頭に置いているような話し方をしていますが、最終的には女性一般を視野にした差別発言となっている。本人も発言を撤回して謝罪していることから論を待ちません。

 先に「七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」として書きました。70歳をさらに一回りも越えた人が易々と矩を踰えたことが不可解。孔子時代の70歳は長寿社会の現代では何歳に当たるのかと。その後情報が増えて、今回一連の報道で残念で気がかりなことがありました。

菅首相の「主張はできない」発言は残念 発言できるはずで、期待されている

 ひとつは、森会長の辞任要求に対して菅首相が、大会組織委員会はひとつの公益財団法人であるため内閣総理大臣には、その権限がない。あるいは、そうした主張はできない旨答えたとの報道。会長の発言そのものに対しては「あってはならない発言だ」と間違いを認めているにもかかわらず。

 もちろん大会組織委員会の定款・規程には首相が会長を解任できる規定はないと思います。まずは、法人の主体性に委ねること。しかし、ことは人権差別事件。人権擁護の主張をすることを妨げる規定もないはずです。

 国が認定にかかわった公益財団法人の長の発言が日本国憲法の趣旨と定めに反する。これによって何らかの主張ができないのか。できるはずですし、多くの国民は期待していると思います。

今回主張は国内人権外交のうち これがなければ国際外交の力も不安 最高顧問としても

 外交は国家間にだけあるのではない。国内でも自治体間、自治体と中央政府との間にもあることを以前に書きました。今回も同様、国が認可し税によって財政支援を受けている公益財団法人と国との間に人権外交は成立します。

 今も世界の国々で人権侵害事象が起こっています。これら他国の人権侵害に対して人権を守る発言や働きかけを平和的に行うことは内政干渉ではない。

 『世界人権宣言』(1948年)は言うまでもなく。『国際連合憲章』(1945年)そのものの前文に「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、」とあります。加盟国はこれに賛同し同意していることに根拠が見いだせます。

 まして今回の出来事は日本国憲法のもとにある国内の事件。国外からの意見評価よりもまずは、「正当に選挙された国会における代表者」としての主張を期待します。

 これを書くにあたって東京五輪・パラ組織委員会のホームページで組織の仕組みを調べました。そしたら、首相は顧問会議の最高顧問/議長となっていました。最高顧問としても主張できるし、される方が相応しいと考えました。