「七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」。

これは、『論語』為政第二の四「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。」の最終段階の部分。

 一般には、「吾十有五にして学に志す」や「五十にして天命を知る」のところがよく知られています。努力、研鑽、節制による人の成長と成熟の段階を述べたもの。

 意味は、あらためていうまでもなく、70歳になれば、常に緊張して注意を怠らないようにしなくて、自由に思いのままにしゃべり、振舞っても法や道徳、マナーに外れることにはならない、といったところ。以前書いた、ルールブックを見ながらのプレーではゲームにならないということにも通じます。

 今騒がれている発言(失言ではない)問題や閣僚が執務室で金品を受け取っていた報道などに接して、まず浮かんできた言葉です。

参考に、下村湖人著『論語物語』からこの部分を引用します。ちょうど「言葉」のことにも触れられています。

 

「・・・そして努めに努めた結果、自分の欲するままに足を動かしても、正しい目盛にきっちり合うようになったのが、やっと七十歳になってからの事であった。わしが、のびのびとした心の自由さを味うことが出来るようになったのは、それ以来のことじゃ。」

 孔子は語り終って眼をとじた。風の音が、樹々をつたって、しずかに遠くの谷間に消えて行く。孔子は、その風の音に聞きほれながら、自分の永かった苦闘のあとを顧みた。神秘を求めず、奇蹟を願わず、常の道を、自己の力によって、一歩々々と深めて行き、その深められた極所において、一切を握りしめている一個の人間を、彼は彼自身において見出した。彼は、自分の達し得た境地は、もし誠を積むの努力さえ払われるならば、何人もが達しうる境地であることを思った。彼はそう思うことによって無限の悦びを感じた。

(自分の歩いて来た道は、万人の道だ。自分は今、何人が自分の言葉に従って自分のあとを歩もうとも、いささかの不安も感じない。なぜなら、自分の言葉には、ただの一つも空想がなかったからだ。自分は自分の言葉を、残らず実践によって証明して来たのだ否、実践の後にこそ自分の言葉が生れて来たのだ。)彼は立上って空を仰いだ。