ポピュリズムは成熟した民主主義が前提

 昨日はたまたまのラジオ番組のコメントをきっかけに長い話になりました。紹介した報告書のまとめでポピュリズムが取上げられていました。ポピュリスト政治家が国民の民主主義への関心と満足度を高めた。このようなポピュリズムの動きをプラスに評価して、改めて穏健な政党や政治の活性化につなげ民主主義への関心と満足度を高めてはどうかという提案です。皮肉か冗談か、さもなければ、柔道など武道の相手の技を逆手にとって勝ちに出る技のようなものです。

 ポピュリズムとは何かということについては、多くの調査、研究と議論があります。ここではそこに立ち入りません。報告書で2015年以降の世界的なポピュリストの波と書いているようにそこではフランス、オランダ、イタリア、そして任期わずかとなったアメリカのトランプ政権など、いわゆる成熟した民主主義が前提になっています。

価値中立的で国民の民主主義への関与を高める機能 問題は実現性と継続性

 ポピュリズムにはまだ確定した定義がありません。また定まった日本語訳もありません。大衆迎合主義などと言われる場合もあり、やや否定的な意味が込められているようですが、ポピュリズムの実態を正確に表したものではない。たとえば、民意に沿うことを第一に掲げている政治家は多くいます。それは、そのことが高く評価されると考えてのことです。それと大衆迎合主義とがどう違うかと問われるとすぐには答えられません。民意に沿うことを第一の主義にすることはある意味でポピュリズムと言えないことはない。いずれにしても過去の歴史としてでなく、いま議論されているポピュリズムは、民主主義体制のなかで起こっていることで、良い悪いのどちらでもなく、価値中立的なものです。そして市民・国民の民主主義への関心と関与を高める機能を持っていると評価されています。問題は実現性と継続性です。

 なお、今のところ自らポピュリズムを掲げる政党や政治家はいないか、いても多くはありません。

日本のポピュリズム 全市民に5万円を配る公約は? マススク配布は? 野洲市病院現地半額建替え公約は?

 ところで、日本でのポピュリズムの動きはどうなっているのかです。欧米ほど鮮明ではありません。これについてもすでにさまざまな研究や評論がありますが、ここで立ち入る余裕はありません。

 これに関して昨日触れた報告書で気になったことがあります。「ポピュリスト政治家は政権をとっても数カ月、長くて数年のうちに自らの過大な公約が非現実的で実現不可能になる。またその他の政策も制度、組織、職員、対外関係、訴訟などの制約で挫折する。」というくだりを引用しました。

 コロナウイルス対策が市民の関心が高いなかで争われた昨年の自治体選挙において全市民に5万円を配る公約を掲げて当選した首長がいます。全市民への何らかの給付とか、水道料金などを無料化する、マススクを配るといった例も含めると似た例はもっとありました。これはポピュリズムに当たるのかどうか。いやポピュリズムはもう少しレベルの違うものだということかもしれません。ポピュリズムとは別にクライアンティズム (恩顧主義)と名づけられる何らかのサービスや物を期待して投票などの支持をえる行動があり、こちらに該当するのか。ただし、5万円給付に関しては、「過大な公約が非現実的で実現不可能になる。」には該当します。

 さらに、野洲市で問題になっている病院現地半額建替え公約はポピュリズムに該当するのかなど疑問は広がっていきます。