朝鮮半島の技術を直接導入して青銅器の国産?

1220日の読売新聞朝刊に「国内最古の分銅の大見出しで写真入りの記事が載っていて興味を引きました。「弥生中期、朝鮮半島と規格共通」の小見出しも付いていました。

もう少し引用します。「中国の史書・魏志倭人伝が伝える奴国(なこく)の王都とされる福岡県春日市の須玖(すぐ)遺跡群で、国内最古となる弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)の計量用の重り「権(けん)」が出土した。重さの規格は韓国出土の権と共通しており、奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容し、青銅器生産などに利用していたことを示す発見だ。」

そして、分析した専門家の「青銅器の鋳型とともに出土していることから、原材料の計量に用いられたのだろう。青銅器の国産が、朝鮮半島の技術を直接導入して行われたことを示すもの」とのコメントが付されています。

「国産」が意味する国とはどこの国?

興味をそそられたのは3つ。写真の丸みを帯びて愛嬌のある形の「権」の格好。そして「朝鮮半島と規格共通」と「国産」です。

まずは、「権とは天秤てんびんなどで重さを量る『分銅』にあたり」とされており、そのような正確さが要求されているものが規格共通であったことです。これはすごいことだと驚くとともに、どう理解したらよいのかという疑問もわきました。

もうひとつは、「国産」が意味する国とはどこの国かと思ったからです。奴国の国産なのか日本の国産なのか。一般的には国産と言えば日本国産を意味します。

私は歴史、考古学の専門家ではなく全くの素人ですが、奴国は、1世紀から3世紀前半にかけて、『後漢書』「東夷伝」などに記されている倭人の国で、文献上に現れる日本列島の最古の国家とされています。発見された権は弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)のものと推定されています。日本国産でないことは確かですが、その時代に奴国が存在していたとしてよいのかという疑問もわきました。素人の興味と疑問はここまでです。

「帰化人」から「渡来人」へ 

そこで思い出したのが、以前に湖西大津市小野の神社群を訪れてと題して書いたときに愛読書として紹介した金達寿さんのシリーズ『日本の中の朝鮮文化』です。

氏は『日本の中の朝鮮文化(3)近江・大和』のなかで、「日本の正史の一つとなっている『続日本記』772年の宝亀3年条にみえる坂上刈田麻呂らの上表によったもの」として、観光案内書の「これら帰化人は奈良朝末期になっても、高市郡の人口の8割ないし9割を占めていたという」説明を引用し、「高市郡の飛鳥と言えば、いうところの大和朝廷が奈良の平城京に移る以前、約2百年間もそこを都京としていたところだった。」と書いています。

そして、別の著書『渡来人と渡来文化』では「いわゆる『帰化人』が『高市郡の人口の8割ないし9割を占めていた』とはおどろくべきことで、だいいち、われわれはこれを『帰化人』といえるかどうか、という問題がある。」と。

そして、引用を先の『日本の中の朝鮮文化(3)』に戻ると、「いわゆる『帰化系氏族』なるもの、それがつまりは在地氏族にほかならないものだったかもしれないのだ。』と記しています。なお、「帰化人」に代わって今では一般的に使われるようになった「渡来人」という言い方を最初に提案したのは金達寿氏です。

当時は朝鮮半島と一体的であったから規格も共通?

引用のつぎはぎで分かりにくくて恐縮ですが、朝鮮半島から来た人たち(集団)は「帰化」したのではなく、その人たちは「渡来」して日本列島において今に続く文化、宗教、技術のみならず社会を形づくった人たちそのものなのではないかという理解です。先に書いた比叡山延暦寺の日本天台宗の開祖最澄も渡来人の子孫です。今から半世紀前に書かれたものでもあり、最新の説がどうかは素人の私にはわかりませんが、冒頭に紹介した新聞記事から生じた疑問を考える参考にはなるのではないかと思います。すなわち、当時においては朝鮮半島と一体的であったから度量衡の「規格」も共通であり、技術も導入ではなくそもそも自前の技術であったという理解が成り立つのではないかということです。