ゼネコン汚職事件の嵐のただなか世論と政治の緊張感の高まり

古い話になりますが、30年ほど前、滋賀県の建設工事紛争審査会の事務局の担当をしていた時の話です。嘘のような本当の話で、笑うに笑えない気の毒な話です。

まず、この審査会は、建設業法に基づいて、国と都道府県に置かれ、建設工事の請負契約に関する紛争の処理を行う準司法的機関です。施主あるいは請負人からトラブルになっている案件について申請があった場合に法律、建築、土木などの専門家を委員として審査し、あっせん・調停・仲裁により紛争の解決を図るしくみです。1993年から3年間、建設業の許可や入札審査の業務と兼ねて担当していました。当時は、いわゆるゼネコン汚職事件の嵐のただなか。世論と政治の緊張感の高まりもあり、全国的に大臣、知事、市長の逮捕が相次ぎました。その結果、建設業界と公共発注の透明化が求められ、国も府県でも今では当たり前となっている一般競争入札制度の試行が始まった時期です。滋賀県でも、談合通報が繰り返されるなか、大規模な博物館や舞台芸術専用ホールの発注を手探りの一般競争入札方式で行いました。今これを書きながら思い返すと、4年あまり続いたバブル景気の歪みの現われの一面であったかもしれません。いずれにしても、世論と政治の緊張感の高まりも含め、多忙でしたが貴重な経験ができ、充実した3年間でした。

施主の広い空間が欲しいという要望に応えて構造柱が1本ない住宅が建った

それはさて置き、その紛争審査会に持ち込まれた案件に、建ってからそれほどの年数も建っていないのに木造の住宅が傾いてきたというのがありました。審査のなかで原因は建物を支えるための構造柱が1本ないことが判明しました。明らかな欠陥工事。工務店の責任です。しかし、話を聞いていくなかで、経緯はそう単純に割り切れるものではないことが分かって来ました。古い話なので詳しいことは忘れましたし、最終的な解決案がどうだったかも記憶があいまいですが、要するところ、施主の広い空間が欲しいという執拗な要望に応えて、壁で持つだろうと工務店が工夫した結果でした。

人の思いではハードな現実に最終的に勝てない 新型コロナウイルス対策も野洲市の病院問題も

念願の自宅が傾くという気の毒で深刻な案件でした。最終の解決策がどうだったかは、途中で異動になったこともあってか、記憶が定かではありません。しかし、この柱が1本抜けていた家の話は強く心に刻み込まれました。人の思いではハードな(固い)現実に最終的に勝てないということで。結果として無理なことを求めた施主とそれに多分善意で応えた工務店の双方のことをなんて馬鹿げた人たちだと見る思いもありませんでした。私たちも日常でも、またもっと広い社会的な場面でもよく似た誤りをやってきたし、これからもやるかもしれないと戒めました。人間関係の力学だけで物事が済むのであれば、地位や立場、影響力、またそれに応じた思いやりや忖度などによって物事が決まったり、動いて言ったりするかもしれません。多数派工作で一時は物事が動かせるかもしれません。今私たちが苦境にある新型コロナウイルス対策も野洲市の建築技術的に無理が明らかな病院問題も。その最終とまではいかないとしても、きちっとした解決には、ハードな現実が何なのかを押え、誠実で科学的な対策が必要なことには変わりありません。