カヌー漕ぎの丘の上での集まり

昨日は、先に書いたように、カヌー漕ぎが10人ほど丘で集まって近況を交わし合いました。20年から30年余りの付き合いですが、ゆるやかなクラブで、仕事や社会的背景はまったく別々で、海でのカヌーツーリングが楽しくて仕方がないというグループです。それぞれ仕事や生活、人生経験を重ね多様な背景をもちつつも、自然と一体になる、時には自然と格闘する楽しみには妥協しないという思いを共有することでつながっています。最近はそれぞれでツーリングやレースを楽しんだり、アウトドアビジネス、また引退している人もいますが、かつては、琵琶湖を拠点ににしつつ、伊勢、若狭の海はもちろん沖縄、奄美、日韓海峡横断、また琵琶湖シーカヤック・マラソンの開催など、強者ぞろいで、日本のシーカヤックの動向の一角を担っていました。

政治についての落ち着かない思い・ずれ感

それはさておき、昨日、個々に雑談していると、社会、なかでも政治についての落ち着かない思いが、通底しているように感じました。表現が難しいのですが、私なりに表現すれば、不安とか不満とか言ったものとは別だと思います。新型コロナウイルス感染にだけ起因するものでもない。皆さんそれぞれ、勤めを持ったり、事業を経営したり、してきた堅実な社会人です。その人たちの持っている、なにかストンと落ちない思い。思いを持っている人の問題か、それとも政治の側の問題か。ここでは性急に結論を急ぎませんが、このずれのようなものを大事にすることは重要だと思います。

総額73兆円超にのぼる事業規模の対策

私が改めて述べるまでもなく、新型コロナウイルス感染の広がりには先が見えず、その影響は医療の現場をはじめ社会経済全般で日々深刻さを増しています。この状況への対策は必要であり、政府では総額73兆円超にのぼる事業規模の対策が昨日臨時の閣議で決定されたことが報道されています。これが今年度の政府予算の3次補正の外枠になります。内容は詳しく報道されているので改めて触れません。問題は当然その実効性ですが、それに先立って、この対策案が国民一般にどのような期待をもって受け取られているかです。国の財源投入は事業規模の3分の1以下と見込まれていますが、最終的には1次、2次の補正分とあわせて税として国民負担に回ってきます。特に今年度補正はもろに次世代にです。

湯水のように 問われているのは、量でなく質と実効性 国民のもとでの効果発揮まで見届けて

先ほどの、なにかストンと落ちない思いと絡めて、報道の解説記事とも重なるところもありますが、対策のあり方の課題を整理してみます。

ひとつは、事業規模の大きさによって期待を喚起することも重要ですが、事業の質と的確性の確保です。

2つ目は、上と絡みますが、1次、2次補正による事業の評価の上に立って策定されているかどうかです。パイプが詰まっていなかったか、実効性も含めてです。

3つ目は、切実なニーズがどのように把握されているかということです。把握されていたとしても、それを政策として形成することはた易くはありません。従来のものの繰り返しや焼き直しになっていないか注意がいります。

4つ目は、以前に恒例化している税制改正でも述べたように、国、自治体でその実施を担う職員の負担、そこへの配慮です。

5つ目は、最も重要なことですが、国民への分かりやすさと、手続きの簡明さ、将来負担に関する説明責任です。

6つめは、上のことと関係しますが、財政見通し、財政規律の問題です。

効果発揮までの見届けがなければ、健康、徒労感、疲労感、不信感が限界に 

湯水のようにという比喩があります。意味は湯や水を使うように惜しげも金銭を使うということです。問われているのは、量の問題でなく、質と実効性です。特に今回は、決定したら終わり、議決したら終わりでなく、最終的に現場で、国民のもとでそれが生きて効果を発揮するまでの見届けが欠かせません。その上で次があることになります。そうでない限りは、健康と医療のことはもちろん、徒労感、疲労感、そして不信感が限界に近づく恐れがあります。