久しぶりにカヌーの仲間が集まるというので誘われて、昼過ぎから会場となる大津市の雄琴の丘陵地にあるIさんの家へ出かけました。せっかくだからと、早めに出て、これまで気になりながら訪れる機会がなかった、小野の神社群に寄っていくことにしました。琵琶湖を渡るときにはちょうど虹が出ていました。神社について詳しくは、大津市の観光案内を見てください。

小野道風神社

まず、平安時代の能書家、小野道風をまつる小野道風神社に参りました。道風は、『源氏物語』17「絵合」のなかで、「手は、道風なれば、今めかしうをかしげに、目もかかやくまで見ゆ」と当時斬新な書き手として評価されています。本殿は、珍しい切妻造平入で室町時代の建築です。本殿を背に石の鳥居から東には、琵琶湖が見渡せます。

小野神社と小野篁神社 小野小町の塔

次は、小野神社とその境内にならんである、小野篁神社に参りました。小野神社には遣隋使、小野妹子の先祖で日本で初めて餅つきをしたと伝えられている米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)がまつられていて、菓子作りの神様として信仰されているとのことです。社殿の両脇には狛犬の代わりに鏡餅がありました。

小野篁神社の祭神、小野篁(たかむら)は、平安時代初期の公卿で文人。先の道風より、おおよそ1世紀前の人です。境内には小野小町の塔もありました。

天皇神社

最後は、少し北にある天皇神社でした。先の3社よりは古く創始は10世紀とされ、本殿は鎌倉時代の建築です。先に訪れた小野道風神社と小野篁神社と同じく、珍しいとされる切妻造平入の社殿です。

今回の神社はいずれも和邇(わに)川沿いにあります。古代日本の豪族和邇氏の本拠地でした。愛読している金達寿さんのシリーズ『日本の中の朝鮮文化』の(3)「近江・大和」では、和邇氏は『古事記』応神段にみえる「和邇吉師」の一族で、『日本書紀』などには「王仁」となっている百済系のそれである。小野氏はその支族である。その後、古墳時代の後半になって、大友氏を中心とした人々が渡来してきて、中心勢力になったと紹介されています。当然この地域には多くの古墳群があります。1970年代に開発された大規模な住宅団地によってもその多くが失われました。そのあたりのことも、先の金達寿さんの本に記録されています。それと、今は大津市ですが、2006年3月の合併までは、旧志賀郡志賀町の区域でした。