理念・基本方針は通常関心事にならないが 

組織や制度、また計画や事業などには、その大本となる、理念、基本方針(ポリシー)、使命(ミッション)などがはじめに置かれています。しかし、通常はあまり気にかけられません。それよりは、具体的に何ができる、できないかとか、自分に受益があるかどうかといったところに関心が向けられます。いくら理念や方針が立派でも、計画が実現されなければ意味がありません。そういったところから、政治は結果という言いぶりが出てくるのだろうと思います。

普段の生活でも、たとえば、料理屋さんの場合であれば、店にとっては創業理念は大事ですが、客にとってはそれよりも美味しいものを安く食べさせてくれるかどうかが関心事です。ただし、美味しいことと安いことが両立するかどうかは保証の限りではありませんが。また、お医者さんの場合でも同じように、患者にしてみれば理念・方針よりは、早く治してくれるかどうかが関心事となります。

理念や方針なくしては起業も経営もなりたたない 政府の場合も当然同じ

ということで、理念や方針は意味のない飾り物かというと、そうではありません。それなくしては、起業も企業経営もなりたちません。上では、料理屋さんやお医者さんといった例を取り上げましたが、中央と地方を含めて政府という経営体の場合も当然同じです。理念や方針は、憲法を頂点にしてそれぞれの法令に掲げられていますし、政権を担う政党の党是や公約、また地方政府・自治体の場合は首長の公約などがそれにあたります。この場合でもお店などの時と同じように私たちは、法令や公約などに掲げられた理念や方針は、さておいて、税の負担や公共サービスの質と量に関心を向けます。市民・国民にしてみれば日常多忙で十分な情報もないなかではいたし方のないことです。とくに、それなりに満たされていて不満がない場合は、むしろその方が健全です。

理念をバネにして財源論を乗り越え政策展望を開く 体現する人を明確に

しかし、満たされない、状況が悪くなるといった場合は、理念や方針に立ち戻って進路を確認することが必要であり、有効です。ところが、一般的にはなかなかそうはいかない。従来の対応との整合性だとか、公平性だとか、特に財源論が妨げになって、先に書いたような、障子の破れた個所を張り替えるという繕い策に落ち着いてしまいます。理念をバネにして財源論を乗り越えられる政策展望が開かれることが期待されます。いま関心が高い、少人数学級、児童手当、感染症対策にいてもです。それと、理念は書かれたものではありますが、それを体現する人がいない限り働きを発揮しません。だれが理念を体現するのかも明確にされなければなりません。