先日湖北余呉の旧鷲見集落のことに触れたときに昔撮った写真を探していて見つかりませんでした。その後も、古いアルバムを繰りましたが、まだ見つかりません。その代わりに、30年前の写真で、故小國英雄さんと撮った写真が何枚か出てきました。

小國英雄さんは、私がここで説明するまでもなく高名な映画脚本家です。戦前の1930年代から活動をはじめ、手掛けた映画は300本を数えると言われるほど多作家でした。エノケンものの喜劇など軽い洒脱なものから深刻な作品まで幅広く、特に、映画監督の黒澤明から『生きる』の脚本の依頼を受けて、高い評価得て以降、『七人の侍』、『乱』などを含め黒澤監督の傑作と評価される映画のほとんど全てに脚本家として参加しています。

晩年しばらく、滋賀県の旧愛東町(現東近江市)にお住まいでした。たまたま知人に紹介されて、当時かなり頻繁にお宅を訪問して親しくお話を伺いました。また、知人たちとご一緒して、近くのお寺などを散策しました。写真はその時のもので1991年11月のものです。小國さんは80代半ばでした。

お話は、青森県八戸での少年時代のことから、武者小路実篤に私淑して、「新しき村」に参加したこと。「新しき村」での苦労話やその後の脚本家としての活躍などでした。有能な脚本家ですから当然話は味わいがあって上手く、気さくな人柄と独特のユーモアが相まって、ほんとうに贅沢で貴重な時間を過ごしました。当時『赤い夕陽の丘の上』という題の未発表の舞台用台本をお持ちで気にかけておられました。当時役場の職員などが中心になって地元の人たちによって簡易な形で上演された記憶がありますが、その後どうなったか気になります。

小國さんのことは時たま記憶に上ってきてはいましたが、久しぶりに昔の写真に出会って、思い出がよみがえって来ました。