市町村は本当に住民に近いかという仮説を立てて議論したことがあります。かつて県の職員であったときです。いかに県民の思いに沿った取組みができるかという、それなりにまじめな問題意識から出たものでした。

住民票や戸籍、国民健康保険、乳幼児健診、保育、生活保護、ごみ処理など公共サービスの大半は基礎自治体が提供しています。議論に及ばず、近いどころか密着しているという答えが一般的です。しかし、そうとも限らないという疑問がありました。その心は、次のようなことです。

自治体:日本国憲法のもと国から独立した政府で、政策は住民の意思に基づく

上にあげた市民密着のサービスの多くは、国や府県から委託を受けて行っている「法定受託事務」と言われるものであったり、それ以外の「自治事務」と呼ばれるものです。この自治事務」も、市町独自のものでなく、多くは国などの汎用制度のなかで行っているものです。市町が汎用・標準制度より厳しい基準を定めたり対象範囲を拡大したりする、上乗せ横出しが行われる場合もありますが、骨格は変わりません。

憲法第92条の「地方自治の本旨」に関しては具体的な法律上の定めがないため、解釈には議論があります。通例の理解は、『憲法の「地方自治の本旨」は、住民自治と団体自治の二つの要素からなり、住民自治とは、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素であり、団体自治とは、地方自治が国から独立した団体にゆだねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素であると言われている。』(日本国憲法に関する調査報告書:参議院憲法調査会)です。要するに自治体は、日本国憲法のもとにある、国から独立した団体(政府)で、そこでの行為(政策・事業)は住民の意思に基づいて行われる、というものです。

先にあげた「法定受託事務」や「自治事務」は住民の福祉と便宜のために行われるのは当然ですが、それを超えて、「住民の意思に基づいて」政策が行われることが肝心です。

国内における政府間関係 協調と同調は別物 自治体間外交の実績が国の力を鍛える

ちょうど2か月前に、「もうひとつの身近な3権分立 3層構造の政府間関係で透明性と健全さを保障」という題で書きました。概要は、日本の政治のしくみは国、府県、自治体(市など)の3層構造でなっている。それぞれが地域と住民の利益を守る役割と責任を負っており、課題により協調と対抗の関係が生じる動的状態(ダイナミズム)が前提となっていて、社会の健全さをたもっている、ということです。

「住民の意思に基づいて」政策が行われることによって、住民の利益を守る役割と責任が果たされることになります。このことは、民主主義と自由主義を基本とする憲法が前提にしている当然のことです。それなのになぜ、先のブログを書いたかというと、国民スポーツ大会のラグビー会場や特定空き家の老朽化分譲マンションの行政代執行による解体問題で野洲市と滋賀県との関係が悪いとして、市を批判する宣伝がされていたからです。県の方が悪いかもとなぜ思わないのか不思議ですが、根底に府県は国の、また市町は国、府県の言うことを聞かないといけない。協調と友好第一だと考える人たちがいるからです。協調と友好は大切ですが、それは字が示すとおり、対等な関係のなかでの議論を経たうえでの良好な関係です。今もまだ批判は続いているようですが、批判している人たちの頭のなかにあるのは、協調でなく同調ではないかと思います。長いものには巻かれよ、では自治体とはいえず、市民利益は守れません。国家間だけでなく、自治体にも自治体間、あるいは政府間外交が存在し、それは重要です。そして、自治体間の外交の実績の広がりと積み上げが、国の力を鍛えていきます。