あなたをいやすもの
 

 イエス・キリストがこの世に遣わされた目的の中の一つに病に苦しんでいる人々を癒してあげることがあります。

  イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マタイによる福音書 9:12‭-‬13)

病に苦しんでいる人たちが集まっているところに、ある日イエス・キリストが行って様子を見ました。
エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。(ヨハネによる福音書 5:2‭-‬3)

「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプト人に下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。(出エジプト記 15:26)

 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。(マタイによる福音書 9:35)

イエス・キリストはこの世で三つの内容を持って地上で活動しました。天から遣わされ、教え、伝え、癒すことが中心でした。無知によって周りの人たちから無視される場合があります。今の時代は知識のレベルが高いです。でも真の知識が何かを知らない方がほとんどです。真の知恵と知識が何かを考えずに一般的な知識で満足しているようにみえます。

地上に多くの人々がいろいろな病によって苦しんでいます。
「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、賛美するがよい。 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を注いで祈ってもらうがよい。 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる」。(ヤコブの手紙 5:13‭-‬15)

 イエス・キリストは山上で理論的に語りました。その後、人々の中で病に苦しんでいる人に癒しのしるしを実践して、彼らが喜びを味わうようにされました。

'イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。 すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った''、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。(マタイによる福音書 8:1‭-‬3)

この病は身体の神経が麻痺している病です。罪人が自分の罪に対して麻痺していて、福音を聞いても悟らない霊的問題ではないかと思います。また、イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。

次に中風の病人の問題を言葉の力によって癒してあげました。「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

  それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊に憑かれた二人の者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。(マタイによる福音書 8:3‭, ‬6‭-‬6‭, ‬8‭, ‬16‭-‬16‭, ‬27‭-‬28) 悪霊に憑かれた者の中にある悪霊を追い出しました。

 このようにイエス・キリストは全能なる神様、創造主であることを 病によって苦しんでいる人たちの問題を癒して見せてくれました。人間が持っている霊的、身体の全ての病の問題を癒して、健康で活動ができるようにしてくださったことを感謝して全ての栄光を主に捧げましょう。