ドライブ・マイ・カー
名作とうたわれる本作に少しでも食らいつきたい。
そんな思いで、いろいろと考えてみました。
今回はほんとに苦戦して、映画を見た人でないと私の感想は理解できないと思います。
でも、映画はこういう作業が楽しいです。
あらすじ
舞台俳優であり演出家の家福(西島秀俊)は、愛する妻の音(霧島れいか)と満ち足りた日々を送っていた。
しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。
2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさき(三浦透子)と出会う。
さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻(岡田将生)の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。
みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
(映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイトより)
前半の終わりにエンドロールのようにキャスト名が出てきたから、え?これで終わり?と目を疑ってしまった。
こういう演出も珍しい。
前半は家福と音との情事。
なんとまあ、冒頭から衝撃的。
転じて、後半は音の死後、悲壮感で押し潰れている家福に追い打ちをかける高槻との男と男の戦い。
車中で家福をなだめる仏頂面のみさき。
みさきの変化も楽しい。
対比しているもの
主要な登場人物たちは、何かしら対比されている。
例えば、家福とみさき。
家福は妻、音を亡くし、みさきは母親を亡くした。
音は「くも膜下出血」で急逝し、みさきの母親は山崩れで生き埋めとなった。
家福もみさきも、自分が見捨てたからだと自分を責めている。
家福夫婦は幼い子どもを亡くし、幸せな時間が途絶えた。
虚脱状態が続いた音にある変化が起こった。
脚本家としての才能が開花した。
音が語る時、不思議な空気が漂う。
何かに憑りつかれたような異様な光景。
みさきの母親は、暴力的だった。
みさきに暴力を振るうと、母親はサキという8歳の少女に変わる。
2人の共通項として、正気を失っている感がした。
でも、正気を失っているフリにもとれた。
みさきの母親も、音も、自分の境遇から逃げたいがあまり、別の人格から現実に関わろうとしたのか。
音の場合、娘を失い、あまりの虚脱感の中、ようやく見つけた生き抜く方法。
それは、性への逃避。
音の隠れた本性
あくまでもhitoの仮説である。
音は家福とのセックスの最中に突然語り始めた。
あえぎながら、斜めをいく独創的な話を語る音。
翌日、音は語りをほとんど覚えていない。
それを再生するのは、家福の役目。
もしかしたら、みさきの母親のように、音にも二重人格の性格が現れたのかとも思った。
でも、音が亡くなる日の朝の、家福との会話から判断すると、忘れた"フリ"をしていたのかなとも思う。
この作業が、家福と音とをつなぐ唯一の手段だから。
音は脚本家として成功し、自分のドラマに出演する俳優とセックスする。
セックスに分別のない女になってしまった。
音は、自分の前世がヤツメウナギだという。
他の魚に寄生しない高貴な魚。
言い換えれば、今の音は、他の男に寄生する女だと自覚しているのか。
こんな音の前に現れた高槻という俳優。
高槻もまたセックスに分別のない男だった。
人気絶頂のときに、未成年女性と不適切な行為に至り、一気に芸能界から干される。
空っぽ状態のときに出会った音の脚本は、高槻の心をとらえた。
音も高槻には心を許したのだろう。
家福にするように、セックスの最中に語り始めた。
しかも、家福には言ってない核心まで語っていた。
なぜ高槻は話の続きが聞けたのか。
高槻と音は同じ穴のむじなだから。
自分の気持ちに正直に、スリリングで危なっかしくて、どす黒い腹の中を躊躇なく見せつける才能の塊。
そんな音に高槻は夢中になった。
一番心に響いたもの
hitoは公式サイトに羅列されてある高名な方々のコメントがよく理解できない凡人だ。
この映画の何がそんなにいいのか正直戸惑っているけど、見る人が見たら、この映画は怪物級の凄さなんだろう。
そんな凡人にはわかりにくい本作の中で、hitoが感動した場面というと、劇中「ワーニャ伯父さん」本番のラストシーンだ。
本作の二度おいしい的な要素は、映画の中で演劇が見れること。
演じる俳優は大変だったろうなと思う。
しかも、その演劇は多言語劇という特殊な手法。
その中で圧巻だったのが、西島秀俊演じるワーニャ伯父さんに韓国人女優が背後から覆いかぶさり、手話でセリフを語る。
西島氏も劇の中で、振り返って手話を見ていた。
沈黙の中、手話と、時折吐き出す吐息が、緊張感を高める。
最後の手話が終わった時、万雷の拍手。
"音"と"本質"
この劇を作り上げる過程で、演出家の家福は、セリフ合わせで演技することを禁じ、ひたすら棒読みに徹した。
棒読みにすることで、相手のセリフにも神経が行き届き、そこから立稽古する中で、何かが生まれるのを待つのだそう。
濱口監督も映画を作る過程で同じ手法をとったという。
この映画は「音」がなにかと影響している。
あえて、セリフに抑揚をつけず、音として捉える。
さらには、手話で語るという舞台の中で、沈黙の音を捉える。
"音"という名前。
あえぐ音。
研ぎ澄まされた空気の中で、音から本質を探るかのよう。
音という女性の隠れた本質は「寄生」であり、家福とみさきの本質は、真実に目を背けた「弱さ」。
だから、すべてを認識し、解放されたみさきは、新天地で自由になった。
そこに、家福もいる。
歳は親子ほども違うけど、きっと、恋愛感情が芽生えたんじゃないか。
エンディングのみさきの表情を見て、"女"を感じたのは私だけじゃないだろう。
俳優陣の渾身の演技に拍手👏
画像は映画.comさんから引用させていただきました。
●hito基準による評価(10点満点)
泣き又は感動2(3点満点)
爽快感1
脱力感1
ストーリー1
胸きゅん度又は嵌り度0
没頭度2(2点満点)
メッセージ性1
8点





