日々の生活で思わぬ出来事に見舞われることがある


そのとき


み仏から、このことにどう対処できるか取り組んで御覧なさいと声なきご説法を

頂いているんだ


と思えるか


または


いつも一生懸命やっているのに・・・


と自分の感情に振り回されてしまっているか



日常のなかで心が動かされるようなことに遭遇したとき、み仏を信じるより自分の感情が

さきにたっていないか


この道も通らせていただかなければいけない大切な道なのです


この経験が将来、あなたに必要だから・・・

誠心誠意尽くしたのに・・・


がんばったのに・・・


落胆することもあるでしょう


でも結果は結果としてあるがままに受け止め

「今できることをするのが仏意」


何度でも何度でもやり直そう

ゼロからだった、マイナスからやり直すことだって構わない


こうしたポジティブな心は、失敗があるからこそ鍛えられます


失敗した自分をあるがまま受け止めると体験して視野が狭かったとか、他のアプローチも可能なのだと

気づけます


思わぬ結果に遭遇するからこそ、同じところにいた自分が成長、飛躍することができるのです。

人は無意識のうちに先入観をもってしまします


自分はだめ とあきらめたり

そんなことはわかってる と耳を塞いだり

あの人はいつも自分さえよければいいと思ってるから今回もそうに違いない と思い込んだり


いつの間にか決め付けてしまいがちです


それを 執われ と呼び、それを取り除くことで 先入観で見えなくなっていた物事の ありのままの実相が見えてきます


どうやったら 執われ を除くことができるのでしょう


それは 思惟 することです


思惟することで、智慧が得られ、智慧によって慈悲が生きる


どのような思惟をしていくでしょう


たとえば、貪 むさぼり 瞋 いかり 癡 おろか の三毒をみつめること


苦しいと感じるとき、なにが原因か思惟します


貪 自分が欲しくて得られないものがなにか考える。認めてもらえないジレンマ。相手を

   思いとおりに動かしたいという独占欲。あたりまえのことに感謝できない心・・・・


瞋 こうしたさまざまな 貪り、欲望が満たされないたえに怒るいかり


癡 貪りと瞋りでありのままの実相が見えなくなった状態


このように、日々の自他の言動が人の道として善か悪か考えることによって、ふとした出会い、ひらめきがこの世に満ちるみ仏の導きだと捉えることによって、変化の世にあっても変わらない真理「真実の相」を心に刻むことができます。