前回投稿から1年以上が経過しています。
というのも他の媒体で記事を書くようになり、アメブロでの活用方法がなくなっていました。
そして今日から新たに、日々自分の考えを自問自答していこうと思います。
物事の意味について徹底的に考えることが大切で、その考え方が世の中を生き抜く上、社会に大して発信していく上で非常に重要だと痛感しています。
中野さんや赤山さんのような領域に行くためにも。
そして、自分の人生を楽しみ、周りの人を笑顔に、元気にしていくためにも。
と言いつつこのブログでは今の悩みとかもめっちゃ書きそうな予感。
あと本や気になる記事を読んだ感想なども自分の考えを交えて書いたりしようかなという感じ。
今日は「宗教とサッカー」について
こんな記事を読んだ。
日本人は宗教をネガティブなものと捉えている人が多い。
自分もそうだが特に信仰心がない。
宗教がある意味は、集団が同じように考え、行動するためにあるみたい。
人間が、国が、地域が、組織が、チームが、家族が
言葉や書物などで伝えられてきたことで今がある。
サッカーのワールドカップ優勝国はすべてキリスト教というデータ。
ここからサッカーをどう紐解くのか。
一神教は「神」に自分の価値を証明するためにプレーする。
ミスをしたら他人に謝るのは日本では当たり前の光景。
自分もそうしている。
海外(キリスト教やイスラム教などの一神教)では謝るよりも神に祈ったり、十字を切るのが当たり前。
「神に守られている、神が味方してくれる」みたいな信仰心が「自信の源」な選手たちは、すごく良いパスがきてシュートをミスしても、謝るどころかナイスパスと自信を持っていうらしい。
何回シュートを外しても自信を失わないみたい。
これは本当に全ての選手がそうなのかな?
対して日本人はミスしたら、良いボールをくれた選手に真っ先に謝る。
ミスが続いたら消極的なプレーになる。
ミスした相手が謝って来なかったらちょっと腹が立つ。
というような価値観でやっている。
これが世界と日本の差にもつながっている!?
確かに1点を争う試合、拮抗した試合では一瞬の隙が命取りになる。
その時に消極的になっていたら勝てるものも勝てない。
一神教になれというわけではなく、海外の選手のようにミスをしても揺るがない自信を日本人もみつけなくてはならない。
自信に根拠は必要か?
「たくさん練習してきたから」
「自分のが上手いから」
これは相手が強かった時に一瞬にして崩れ去る。
自分もこうやって自分を信じようとする。
だから格下では良いプレーができても、格上には萎縮して良いプレーができない。
では何を信じるのか?何を信じたら対抗できるのか?
同じように神を信じるのか?
《心のストレッチ》を通して、身体の反応や潜在意識のことはだいぶ整理ができてきた。
潜在意識を上手くコントロールすれば、過去の書き換えや望む未来が手に入ることも納得できてきた。
自分が望んでいるものが叶うとイメージする。妄想って大事。
「設定」を作っていけばそれが自信になるのか?
身体の反応がびびっていたら、身体が納得するまで何度でも口にして望む未来はやってくる
宇宙、万物、自然が味方してくれる、見守ってくれるというようなイメージでも良いのかな?
日本にはいろんな神様、仏様がいるわけだし。
「誰かのために」が力を発揮するという話も聞いたことがあるが、自分の精神レベルではあまり効果感じてない。
というより、無理矢理思おうとしている感じがするからしっくりきてない。
この辺りも競技レベルによって違うのだろうか?
一神教の国に生まれていたら、何を信じたら良いかなんて考えることはなかった。
信仰心があり、信じるものは神しかないから。
日本に生まれたからこそ、宗教観や信仰心、何を信じるのかという部分に考え向き合える。
もっと宗教や歴史について勉強しよう。
日本から日本をみても気づけないことも多いのだろうなとも感じた。
世界から日本をみてみたい。
英語、語学を学ぶきっかけになるかな?
語学をどう使うか?
今外国に行くなら何を知りたいの?
学ぶというより、外国でサッカーをしてみたい。一神教の国で。
どんな感じか体感したいし、日本人がどう見られているのか?
日本の良さはなんなのか?
それが聞ける語学レベルは必要。
サッカーや宗教、教養についての知識をつけないと話せない。
そう思うと今じゃない。
そして、宗教とサッカーの強さがどれほど影響しているのか?
日本人はどうやってその差を埋めていくべきものなのか?
ここは今後もしばらく考えていきたい。
科学を追い求めて欧米の監督を呼んでも上手くいかないという意見の記事は面白かった。
それよりもこのマインド、ソウル、スピリットの部分をわかっている日本人が監督をしたらいいという内容。
今の自分にはこの辺りに対する意見がない。
習慣にして考えを整理していく
知行合一・凡事徹底