YOSHI DESIGN

YOSHI DESIGN

design art jazz movie kabuki fashion




        焼き菓子や 遊ぶ落ち葉の 香りかな


         黄昏の 窓辺の先の 中二病


         秋の雲 居座る夏に 膨れっ面



      虹にじむ 誰ぞなみだの プリズムか

                 引用画像

俗にいう「ピース・マーク」

平和の象徴である

鳩の足跡をデザインしたといわれたりしたが

実際は、手旗信号の"N"と"D"を重ね合わせたもので、

ヌークリア デサーマメント (Nuclear Disarmament)

核軍縮の意味を表している。


                           引用画像

手旗信号の N と D のシルエットを合成した

シンプルなデザインだ。

デザイナーのジェラルド・ホルトム(1914年-1985年)が

1958年にデザインしたもので、

核軍縮キャンペーン(CND)のロゴとして使用された。




長崎大学核兵器廃絶研究センターの発行(2025年6月)による

核保有国の弾頭数データより

ピースマークのアレンジで当ブログ用にデザインした一覧表です。

世界の核弾頭数の合計は9,615発。


この世界の核弾頭データ全リストの表紙には

(存在する限りは使われる)と表記されている。


京橋のアーティゾン美術館にて開催中の

「彼女たちのアボリジナル・アート」


                            引用画像


アボリジナル・アートとは

オーストラリアの先住民による、さまざまな視覚芸術のこと。


                            引用画像


                            引用画像

アボリジナルにルーツをもつ、イワニ・スケースによる作品

「えぐられた大地」

うす緑したガラスの造形が


                            引用画像
ブラックライトを当てると蛍光色に光ります。

これはガラスに含まれた微量のウランに反応しているためだ。


                             引用画像

えぐられた穴は

ウランの採掘によって

先祖からの大地を汚染されている(怒り)を表している。


先住民を作業員としてウラン鉱脈を採掘させたため

多くのアボリジナルが被爆した。

また1950年台のイギリスの核実験によっても

被爆しているアボリジナル。


先住民への人権軽視や

環境への無配慮は

ビキニ環礁とともにオーストラリアでも同じで

先住民に対する差別意識が

大きく働いている。






フォトグラファー豊崎博光氏の「格の影を追って」より

ビキニ環礁の核実験のレーポートから抜粋です。


1946年ビキニ環礁はアメリカの核実験場に選ばれた。


当時166人が住む島を訪れたアメリカ軍将校は

「我々は世界の戦争を終わらせるためにここで爆弾の実験を行う。

 爆弾は人類の福祉と平和のためのものだ。

 実験が終わったら、すぐに戻してやる」 といった。


これに対してリーダー格の老人は

「合衆国と世界の科学者たちがより一層の発展のために

 私たちの環礁を使いたいのであれば、

 そして全人類に神のご加護と利益をもたらせるのであれば

 わが島の人はどこへ行こうとも喜ぶであろう」

と答えたといわれる。


島を出された住民たち


住民を追い払ったビキニ環礁では

1946年6月30日から58年7月22日まで

23回の原水爆実験が行われ(内水爆実験は12回)

三つの島が消滅した。


1974年、ビキニ島の地下水から高い量の放射能が検出され

75年には植えられたヤシの木の実からも放射能が検出された。

78年戻っている住民の体内から以上な量のプルトニウムや

セシウムが発見され、アメリカは同年4月13日、戻っている住民の再移送と

ビキニ島の閉鎖を決めた。


敬虔なキリスト教徒であるビキニ島住民に対してアメリカ軍将校は

「主の導きで敵の手を逃れ、約束の地についたイスラエルの子たちと

 諸君は同じことするのだ」と説得したしたそうだ。

「出エジプト記」ならぬ「出ビキニ記」だ。


それに対して住民たちは

「私たちは、エジプトを去って40年間砂漠をさまよった

 イスラエルの子供たちに似てとても悲しい。

 私たちはビキニを去って32年間大洋をさまよっていた。

 しかし、約束の地(ビキニ)には帰れない」

と強烈な皮肉を込めたメッセージを返している。


信仰は「正当化」の手段となり

「抑止力」は信仰へと変貌していく  のか。




放射能で汚染された島では、魚もヤシの木の実も

食べられなくなり、アメリカからの食糧支援となった。

缶詰の空き缶やブリキの箱などが海岸に打ち捨てられている。



当時村長だったジョンさんの息子レジンさんが1歳で被爆し19歳にて死亡した遺影。




画像は全て引用写真






1954年3月1日、

マーシャル諸島の海でマグロ漁をしていた第5福竜丸は

アメリカ国防総省が行った水爆実験の死の灰を浴びた。

その無線長であった久保山愛吉を主人公にして

ベン・シャーンはLucky Dragon Series の連作を描いた。




その連作を元に作られた絵本がこの「ここが家だ」だ。




生まれたばかりの娘を抱いている久保山愛吉。



被曝から半年後の9月に久保山愛吉は死亡した。40歳だった。

日本人医師団は直接の死因を「放射能症」と発表したが

その後、輸血の結果感染したC型肝炎であると訂正している。



「放射能がうつる」といった心ない言葉

アメリカからの見舞金に対するやっかみ

自身の治療生活を抱えながらも

故郷を去り、被曝を隠し続けなければならなかった

元乗組員たちの人生

それを想うといたたまれなくなる。




久保山愛吉の辞世の言葉だ。

「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」



*画像は全て引用写真

歌舞伎を見始めて何年かすると

一般の演劇を見る気がし無くなってくる時期がある。

ハッキリと理由がわからないが

同じ気分になった人からも聞いたことがある。

どうも歌舞伎は演技ではなく型で

演出ではなく様式を重視しているところもあるので

最初はとっつきにくいけど

ハマってくると、テーマだ演出だと主張している

一般の演劇が白々しく見えてしまうようだ。

まぁ、芝居と演劇の違いかなぁ

なんて知ったかぶりをしようもんなら

「ん〜 歌舞伎に論はいらねぇよ」

なんて言われてしまうのがオチだ。



さて映画「国宝」であります。

「二人道成寺」「藤娘」「鷺娘」と

歌舞伎舞踊をメインに物語が展開していくので

女方の見た目ファーストが

ストレートで実にいい。

演目では「曽根崎心中」。

上方歌舞伎の代表作を差し込んでくるあたりも

抜かりがありません。


引用画像

吉沢亮の美しさが一際(ひときわ)映えていたのは

横浜流星のおかげですね。

美男子とイケメンの微差で際立たせるなんざ

ありがた山なキャスティングだね(ーー)


引用画像


引用画像

なんと言っても田中泯さんの魅力

手先の動き、足捌きなど女方そのもので

六代目歌右衛門のような存在感

いやいや素踊りの「藤娘」が観たくなります

お披露目会ないかなぁ


引用画像

歌舞伎の舞台を客席から観ていると

実に絵面にこだわっていて

日本画のようなスーパーフラットな舞台が

実にクールだなと感じるのだけれど

それがこの映画では舞台から客席への視線が

入れてあるので役者の動きを捉えた

カメラワークが

とても新鮮で見入ってしまった。


引用画像

早変わりする役者の後ろ姿で

後見さんが衣装の糸抜きをサッサッと抜きながら

長唄に合わせてピタリと合わせるぞという

スピーディな心意気にドキドキしてしまいました。


静的なスーパーフラットの舞台を支えているのは

立体的で、結構ダイナミックな動きで、その

静 と 動 を

役者や後見さんが同じ舞台の上で創っているのが

歌舞伎なんだね。カッコいいなぁ〜

時空間の芸道だぜ

なんていっぱしの気分でいると


「おい、おい、歌舞伎に論はいらねぇんだよ」

・・・でしたね。チョン

東京国立近代美術館(竹橋)にて見た

ヒルマ・アフ・クリント展。




引用画像

20世紀初頭のスウェーデンで

超大型サイズの抽象画を描いた女流画家(1862ー1944)。

21世紀に発掘され

抽象絵画のパイオニアといわれたり

2019年ニューヨークのグッゲンハイム美術館で

60万人を動員したという記録を出し

はたまたアジア初の展覧会という

話題満載のフレ込みに乗せられて、ソクソクと出かけた。





高さ3.2メートル、幅2.4メートルのキャンバスに

描いた作品「神殿のための絵画」に圧倒される。

交霊会を通したスピリチュアルな世界観から

人生の生まれから死ぬまでをテーマとした

10枚の連作作品だ。

No5「成人期」

藤色の背景が落ち着いた感じで

アルファベットな文字が

何かのメッセージしてるなぁ。




No3「青年期」

オレンジ色の背景が青春しています。

♪ 青春それはクルクル、

 グルグルそれは青春  

なんて歌が聞こえてきそうですねぇ(こない、こない)



No2「幼年期」(左)

No3「幼年期」(右)

グルグル、クルクルなんて軽い見方しちゃいましたけど

輪廻転生のイメージなんですね。

神智学を素に、

善と悪、男と女などの二項対立への解消とか

物質世界から霊的世界への進化などがテーマであります。

霊界から受けたメッセージを表現していると言っているので

絵画表現としては二の次のように

受け取られがちだけども

どうして絵を見ればアートそのものだってわかりますよ。

神智学の教養の図解ではありませんぜ。


引用画像


その抽象画には目に見えない世界を描いていると

言われるが、見えないのは我々で

彼女にはその内面が見えているんですね。

その視線の表現が、現実を抽象化する絵画との違いなのだ。

との解釈で鑑賞していくと

抽象絵画に対して少し自由な気分になれそう。



引用画像

39㎝×28㎝の小ぶりな

シリーズVと題された作品群

小屋のようなポツンとして可愛い

幾何学的な構成に

今までのスピリチュアルさから

何やら理屈感がプラスされているな



その理屈感がスピリチュアルの持つ緊張感を

落ち着かせてくれるのが不思議な感じ




引用画像

パステルカラーや渦巻いたようなクルクルなラインが

一見すると今風な カワイイ・癒し 気分があるけど

少しすると緊張感が漂ってくる。

その不思議感が目に見えない世界なのかも。


「抽象絵画」という概念を

具象に対する抽象という程度で

ただ漠然と

見ていたことに

気付かされてきました。