怒らないようにしていこう
なんて話を書いていると、昔こんな感じで怒ってきた人がいました。
「怒ることがあって怒らないなんて人間としておかしい!」
「怒ることがあってもニコニコしてるなんて○○だ!」
最後の○○の部分ははっきり思い出せないんですけど、精神崩壊してる人間とかそんな感じの言葉です。
すごい言葉使うなーって記憶は残っています。
言葉はあれですけど、これは正しい意見だと思います。
怒ることがあってニコニコしているのは不健全です。
それは我慢していることになりますよね。
僕は我慢することは勧めてないので、そこは誤解されているなーと思ったところです。
そもそも怒ることって何?
怒る出来事。
元々怒る出来事はないんです。
認知の流れとしては、
中立の出来事→自分の解釈→怒る出来事、笑う出来事、悲しい出来事など
こうなっているんです。
自分の解釈という部分は、「受け取り方、主観、固定観念、捉え方、意味づけ」こういうものが入っています。
中立の出来事を体験して、自分がどう思考するかで、出てくる感情が決まります。
その感情が怒りであれば、その人は怒る出来事を体験した、怒ることがあったと言うわけです。
その感情が喜びであれば、その人は嬉しい出来事を体験した、にこにこできることがあったと言うわけです。
「怒ることがあって怒らないのはおかしい」
怒ることがあって←この時点で自分の解釈があって怒りの感情が出た出来事のことを指しているわけです。
その出た感情を我慢したり抑えるのは不健全ですよね。
ちょっとわかりにくいかもしれないので、具体的な例をあげます。
よくつまずいたり、物を落としたりする女性がいるとします。
この女性の行動(出来事)を認知した直後は、良いも悪いもなく、その事象を観察しただけになります。
その次に「自分の解釈」が入ります。
それによって感情が生まれます。
Aさんはこう思いました。
「ドジっ子でかわいいな」にっこり
Bさんはこう思いました。
「どんくさい子だな」イライラ
同じ出来事を体験しても、出てくる感情は決まっていないということ。
どう思うか(解釈するか)は人によって違うよねって話ではないです。
思考によって違うんです。
同じ人でも、自然に解釈が変わることもあります。
例えば、
女「わたしいつもドジばかりで・・ごめんなさい」
男「そんなドジっ子(笑)なところもかわいく思えて好きだよ」
そんな会話してた二人は付き合いました。
1年後―
男「おまえはいつもいつもどんくさいんだよ!イライラする!」
女「えー昔はそこがかわいいと言ってくれてたのに」
彼女は変わっていません。彼の解釈が変わって、出てくる感情も変わってしまったんですね。
出てくる感情を決める、自分の主観というのは、自然と変わっていくこともありますが、意識して変えていくことも可能です。
よく怒る人というのは、物事を怒る解釈していることが多いということなんです。
解釈の問題なら、そこを意識して変えていけばいいよねって話。
よく怒る人のある一日で、10個怒ることがあった。
「今日も怒ることがいっぱいあったなぁ。ツイてないな。気分悪い一日だった」
あまり怒らない人がまったく同じ一日を体験しても、怒ることが0なんてこともありえます。
「今日は全然怒ることはなかったなぁ。気分良い一日だった」
健全にあまり怒らない人は、怒る出来事が起こってないんです。
最近、「怒らない工夫」で書いたのは、怒る出来事を物理的に起こさないようにする話で、今回は、解釈によって怒る出来事を起こさないという話です。
次回(予定は未定)は、ある映画を紹介したいと思います。
映画に出てくる心理学者が怒りで眠れないことがあった。
そこでその出来事を思考し直して、ぐっすり眠れるようになった場面があります。
感情のコントロールではなくて、思考のコントロールの話。
追記
今回書いたドジな女性。このドジというものを欠点や短所と見るかどうか?
上記映画の心理学者の妻の話で、一般的には欠点や恥ずかしいクセでも、そこが愛おしいんだって話が出てくるので、そこも紹介したいです。
忘れないようにメモ