こんにちは。
人物、カルチャー、女性の生き方を探究しているライターの芳麗です。
少しだけお久しぶりです。
ここ1ヶ月くらいは、いろんなことがありつつも、あっという間の日々でした。
気がつけば、ようやく秋の気配。
長く暑い夏でしたね。
終わってみると、少し寂しくもあり。
でも、やっと訪れた大好きな秋が1日でも長く続いて欲しいと願う気持ちもあり。
さて、下書きに残しているうちに、すっかり周回遅れの話題になってしまいますが、ニュース記事にもなっていた芦田愛菜さんの「信じること」についての言葉。
ニュースの動画を観ながら、記事を読みながら素敵だなぁと思い、思い出したことがあったので、メモ&シェアしておきたいなと。
まずは、記事の概要を抜粋しますね。
映画の公開イベントに登壇した芦田愛菜さんは、「信じることとは?」と司会者に問われて、こう答えます。
「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」。
「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」
ぐっときたし、同時に、共感もしました。
それから、この言葉って、私には聞き覚えがあるなと思いました。
私は、仕事柄、たくさんの素晴らしい人にインタビューする機会をいただいてきました。
その中には、芦田さんととても近い考えを持っているが、何人かいたと記憶しています。
彼女(彼)ら共通しているのは、若い頃から人の何倍もの「孤独」を味わってきたこと。そして、かなりの「責任」と「重圧」を担って、自分の仕事を全うしてきたこと。
そのうちのある人は、10年以上、お仕事をご一緒していた人ですが……私よりも10歳ほど若くて、当時はまだ20代(私は30代)でした。
「もし、絶対的に愛している人や大切な人が、何かしらの犯罪を犯したり、その人から裏切られたりしたらどうする?」
その時の話の流れで、そんな質問をしたところ、「そんなにショックは受けない」とあっさり。
「あの人にも、そういう一面もあったんだなと思うだけ。それだけで、相手に対する評価が180度変わることはないと思う」
芦田さんの思考に近いですが、さらにさらりとドライな感じで語っていました。
その人が立場上、たくさん人に裏切られてきた経験があろうことは知っていたのですが、そこまで達観していたとは。
当時の私は、今よりもっと若く未熟で容易に傷つきやすかったので、その人のように考えることは全くできなかったから、最初はとても驚きました。
私は、私生活でも仕事でも好きになった人に対しては、過度に信じて期待する人間だったので、その思いが潰れてしまうことがあると、些細なことでもいちいち傷ついて、毎回、立ち直れないほどのダメージを受けていました。
でもね、あの日、その人の言葉を聞いた時、驚いたのもつかの間、不思議なことに一瞬にして、深く腑に落ちたし、納得したんですよね。
この人は、どれだけ沢山の経験をして、深いところまで心を巡らせてきたのだろう。たくさんの人を見て、たくさん裏切られもして、傷ついて、思考して。
それを繰り返してきた先に、ある境地なのだろうと感動して……。
それから、「そうだよな。それが人間という生き物なんだ。だから、裏切られたのという思考は必要ないな」と。心のそこから、そう思えたんです。
そう思えた途端、自分の過去のあらゆる記憶や感情も一気に塗り替えられてく感覚がありました。
言葉の力って、すごいですよね。
そして、目の前にいる、この人の生き様をともなった存在の力って素晴らしいなということも再確認しました。
信じる気持ちは美しいものですが、一歩間違えると、エゴイスティックなものなのかもしれないですよね。
人は自分が信じたいものだけを信じたいように信じ続けてしまう。
その先にある、誰かの本心や物事の真実(本質)を見ないようにしたり、あるいは、人間や人生の多面性や負の部分を受け入れないようにする。
「信じる」を盾にして生きることは、時に依存的だなとも思います。
もっと、自分が好きになれるような、愛が深まるような、人生がより豊かになっていくような、社会が進化していくような……
そんな方向に向かって、「信じる気持ち」を持てたらいいなと。
芦田さんの言葉とともにあの日の記憶が蘇って、こんな風に思いました。
追伸・今日の写真は、ある夜に観た風景です。東京タワーって、何度みても尊い🗼✨✨✨