こんにちは。
人物、カルチャー、女性の生き方を探究し続けているライターの芳麗です。
4連休の2日め、いかがお過ごしですか?
茨木のり子さんや最果タヒさんなど……
子供の頃から今に至るまで、詩人の詩を読むことが好きなのですが、きっかけを思い起こせば、中学、高校時代にハマった銀色夏生さん の本なのかもしれません。
どの詩集もどのページも透明で美しい鉱物のような言葉たちと、それにぴったりの写真が合わさっていて。
恋に恋する頃、一方ではどんどん大人になって複雑な感情を身につけていた思春期の私は、夢中になって読みました。
1つ、今もそらで思い出せる詩があります。
銀色さんの詩の中で、いちばん好きだったわけではないし、一字一句違わないわけではないけれど。
なんだかずっと覚えていて、時折、思い出す。
それは……こんな詩です。
素敵だと思うのは、
素敵だと感じる自分自身の中にある何か
だからちゃんと憧れは現実に清算される
(詩集『ロマンス』の中の一編だったと記憶しています)
なぜ、この詩を鮮烈に覚えているのかというと、当時の私は、かなりの「憧れ」体質だったから。
小説や漫画の世界に憧れて、隣のクラスの社交的な女子に憧れて、話したこともないサッカー部の先輩に憧れて……
多種多様な現実を浴びて味わってき今も、誰かや何かに「憧れる」気持ちはどこかに持ち続けているけれど。
あの頃の私は、「憧れの塊」のような生き物だったから。
今も、この詩を思い出すときは、「憧れ」と「自分」と「現実」との距離感について考えます。
人は、欲しいものしか手に入れられないし、なりたいと思うものにしかなれない。
だから、この銀色さんの詩は、
その対象に「憧れる」ということは、
自分の中に同じ欲望があるということだから、
それだけでも、その憧れに近づけるポテンシャルを秘めている……
という前向きで自己を啓発してくれる詩だなと思うのですが。
一方、憧れは憧れのままで終わるという人がほとんどなのも現実。
だって、ふわっとした「こうなりたい」が、精度の高い「こうすればなれる」という計画にたどり着くまでには、冷静な頭と不屈な行動力が必要だし。
その積み重ねの先に、いよいよ憧れと現実が重なる瞬間がやってくるのだと思うから。
それって、やっぱりなかなかハードモード。
そして、憧れは現実になった瞬間に、憧れではなくなるというビターなおまけもついてくる。
だから、憧れは憧れのままにして生きていくのもアリだけど。
綺麗な感情のままで昇華できるならいいけれど……
憧れを募らせるだけ募らせると、こじらせて自家中毒を起こしてしまったり、
今この瞬間の現実が色褪せて見えてしまうことも多々あるなと。
それは、時間という命がもったいないし、また別な類のハードモードな現実だと思うから。
何歳でもどこにいても素敵な夢を見ていいけれど、それを叶えるも叶えないも、
「憧れ」と「現実」の間には適切な距離を持つのが良いんじゃないかなと。
銀色さんの、この詩の3行め。
だからちゃんと憧れは現実に清算される
も、決して純白で前向きな意味だけではなくてl
どんな憧れを抱くかのみならず、その抱き方によっても現実は変わってくるよという、ビターなリアルを含んだ前向きな言葉なのかもしれないなと。
今の私は感じました。
そう思うと、この詩はますます味わい深いな。
みなさん、今日もよい1日をお過ごしくださいね。
追伸:お写真は、昨年、スウェーデンの ARBAミュージアムを訪れた時のものです。楽しい場所でした!