こんにちは。
人物、カルチャー、女性の生き方について探究し続けている、ライターの芳麗です。
雨の土曜日、いかがお過ごしですか?
言葉を扱う仕事をしているので、言葉には敏感な性質だと思うのですが、年齢と経験を重ねるうちに、昔は嫌悪していたけど、今ではOK、あるいは「まぁ、いいか」くらいに思うようになった言葉も増えてきました。
たとえば、「婚活」という言葉。
「就職先を見つけるための活動=就活」に倣って、「結婚するための活動=婚活」と名付けられました。
(2008年発売の山田昌弘さんと白河桃子さんの共著「『婚活』の時代」により)
結婚はデフォルトではない時代だから、誰でもそのうち自然に結婚することになるわけではない……だから、婚活せねばならないのだ。
と、いうわけで婚活という言葉と概念が流通し始めたのです。もう、10年以上前のこと。
当時、独身だった私は、この言葉に反発心を覚えました。
わざわざ「婚活」して出会った人と生涯のパートナーになり得るの?
ロマンティックな夢見る夢子だった部分もなきにしもあらずですが、一方、冷静に考えても確率が低い気がしたです。
直接的な活動で見つけた(スペック重視、目的と結果のみを見据えて無理やり引き寄せた)相手よりも、もっと自分の人生を生きている中で出会った人の方が相性が良い確率が高いから、素晴らしい結婚相手になり得るんじゃないの?
アラサーの私は、真面目にそう思っていました。
これに関しては、おおかた間違いじゃないと今でも思っていますが、だからと言って、「婚活」を悪しきものとしてみるのは、私の了見が狭かったなと思っています。
どんなやり方、出会い方をした相手だって、素晴らしいパートナーになり得る可能性は大いにある。
Tinderだって、結婚相談所だって、合コンだって、出会いは出会い。まずは、出会って、相手とがっぷり向き合って、話はそれから……と、40代の私は思います。
*****
そもそも、かつての私は「婚活」という言葉にあまり良くないイメージ(=不自然な行為、目的・結果重視など)を抱いていたけど、婚活のイメージも概念も人それぞれですよね。
見知らぬ異性との食事会を「合コン」と呼ぶ人もいれば、「食事会」と呼ぶ人もいれば、「異業種交流会」と呼ぶ人もいるような感じ。
「婚活」も婚活クルーズやお見合いに挑戦するなど、積極的な行動だけではなくて……
「生涯のパートナーに出会いたいな」「そろそろ結婚したいな」という思いを場の流れで、仕事仲間に話したら、素敵な人を紹介してくれた!
なんてことも広義の意味で「婚活だ」と思う人もいます。
言葉の定義やイメージは人それぞれなんですよね。
だから、自分なりの感覚を大切にするのは良いけれど、相手の言葉の概念が自分と同じものだと思わない方がいい。
流行っている言葉、耳慣れた言葉、多様な意味が感じられる大きな言葉(たとえば、「愛」とか)を使うときは要注意だなと改めて。
「婚活って嫌い!」って誰かが言っている、その「婚活」は、あなたの思う「婚活」じゃないかもしれない。
「結婚なんてしたくない」と彼が言っている、その「結婚」は凝り固まった小さいイメージの産物かもしれない。(これはまた別な話に広がりますね)
そういえば、結婚してから「ご主人は〜」という言葉にしょっちゅう遭遇するんだけど、若い頃なら反発して「いや、私、飼われてないし」と心の中で突っ込んでいただろうなと。
でも、年齢と経験を重ねて、この言葉を深い意味を考えて使っている人って、ほぼ居ないんだなと気づいてからは、心の中でも流すようになりました。
丸くなったのかな?
いや、でもね、丸くなると生きやすくなるけど、丸くなりすぎるのもどうかなと思うのです。
言葉によっては、時と場合によっては、流してはいけないこともあるし。
嫌いな言葉って、自分の感覚や生き方の表れだから、あっていい。
ただ、他者とのコミュニケーションの手段として言葉を扱うときは、なるべく視野を広く持って、想像力を働かせて、その上で、自分の感覚や捉え方を大事にしたいなと思うのです。