今日、考えていたことを少しだけシェアさせてください。
テーマは、「相手に“お金を使うこと”は愛情表現なのか」です。
今年のコロナの影響、コロナの痛手は多かれ少なかれ、ほとんどの人が受けていて、誰のほうがより大変とか苦しいとかは比べようもないものだと思います。
(そもそも、痛みも幸せも他者とは比べようがないものですけど)
私をふくむ、メディアから仕事を請けるフリーランスのクリエイターたちの打撃もなかなか大きかったのが実情ですが……同じ自営業者とはいえ、お店経営など大きなコストがかかる自営業者の痛手の大きさははかり知れず。
私のもとにもお店や施設運営者の知人・友人からのクラウドファンディングや支援のお願いメールがたくさん届きました。各所に応えたいと思うものの、すべての要望に十分な額を出せるほどの余裕はなく……。「身の丈でできることを」と言い聞かせつつ、しばらく葛藤していました。
すると、夫が「無理はしなくていいと思うよ。お店が営業再開したら、順番に足を運べばいいんだから」と。
たしかに「そのお店に行く」という行為は何よりの意思表示ですよね。
「お店が続きますように」という願いを込めた投票であり、そのお店の商売そのものを評価・応援しているということ。
そして、彼の知人のとあるお店が募っているクラウドファンディングのぺージを見せてくれました。
クラウドファンディングを募るところまでは、他の店舗と一緒なのですが、そのお店が用意した支援者への見返りは「支援金+10%の金額分、飲食できる」というものでした。
私が知らないだけで、珍しいやり方ではないのかもしれませんが……センスが良いなと思いました。
店舗を支援するクラウドファンディングは、Tシャツとかグッズを作って還元するものが多いけれど、昨今は物を増やしたくない人も多いかなと。
それは、これは感覚的なことですが、「オリジナルグッズを手元に置く」というのは、そのお店と自分の距離感という意味ではちょっと近すぎる気もします。たとえば、10店舗の支援をしたとして、10店舗のTシャツをいただくというのは、心理的にも物理的にも窮屈な感じ。オリジナルグッズを集めるのが嬉しい人には良いと思うし、やっている側の思考や努力も否定もしません。それぞれです。
個人的には「お店に行く」という行為が意思を表現できるのがいちばん自然な手段だし、お店が持ち前の商品で自立して営業し続ける助けにもなるのかなと感じました。
対象に「お金をだす」という行為は、愛情や応援を表現する1つの手段ではあるものの、極めて直接的な行為。だから、相手との距離感も考えて最初はちょっと悩んだり戸惑ったりするものですよね。
何もクラウドファンディングに限らない。
たとえば、恋愛関係になった相手とか、ファンになったミュージシャンに対して、初めの頃に「お金を使う(貸す)」時などは、相手にいつどれくらいお金をかけるのかは考えてしまう。
できるだけ、双方に負担が無いよう、でも相手の助けになれて、愛情を分かち合えるように、上手にお金を使いたいと思う。
その金額は自分にとって「いくら」なのか。
相手との関係性を育てるにあって、お金の適切な使い所とは?
そういうことについ考えることは、相手との関係のみならず、自分の今についてしることにも繋がるから、良い試みだとも思います。
私もクラウドファンディングを通じて、改めて省みました。
コロナへの注意はまだまだゆるめられないし、お家時間にもすっかりなじんでいる今日この頃ですが、愛のあるお店には、少しづつ足を運びたいです。
今に始まったことではないけれど、良心的で美味しいお店やセンスが良くて好もしいお店ほど、次に行こうとした時には、経営難で無くなっていたりするもの。
「好きなお店がなくなった!」という切ない想いは何度もしたので、定期的に足を運ぶことは、自分の好きな世の中を作る上でも大切だなと。
余談ですが、まだ登録者数は少ないけど面白いものを作っているユーチューバーさんのYoutubeチャンネルを、なるべく、観る・登録するようにしているのですが、それも私なりの投票なのかも。
近頃は、芸能人などのプロも参入しているYoutube業界の中、初心者でも志と冒険心を持って面白いものを提供して、自分の人生を切り開いて行こうとしているユーチューバーさんたちにひっそりと応援の意を評したいなと思うのです。