訃報:共に戦った仲間3 | Yoshiオフィシャルブログ Powered by Ameba

訃報:共に戦った仲間3

前回の続きです。

次に連絡が入った時に聞かされたのは「肺に影がある」というものでした。
ただ、この時まだお医者さんも、肺炎の炎症の影かもしれないということでした。

でも、精密検査の結果は、腫瘍だったんです。

ただ、この時は二人とも「良性でしょう」という楽観的なものだったんです。
けれど、その後の診断で下されたのは、ステージ3の肺がんだったんです。
「嘘でしょう?」という言葉しか出なかったですね。
それでも、千田さんは気丈でしたね。
「まっ、これも運命なんで仕方ないですよ」と微笑んでいたのを覚えています。

二人で、その後の話をしました。
お医者さんから言われたのは「すぐにでも抗がん剤治療をした方がいい」というものでした。
でも、この時点で、DeepLove 0 「パオの物語」の第2章の映像が出来てなかったんですよ。
まだ、イラストも届いてなかったので、僕はある決断して千田さんに伝えました。

「Deep Love 0は、諦めましょう」と。

しかし、千田さんは「最後まで作ってから入院します」と、キッパリと言われました。

最初は、「作品よりも命の方が大事なんで!」と強く反対したんです。
でも、彼は「やりかけた作品は、最後まで作り終えたい」と言ってくれました。
結局は、千田さんの強い意志に押される形で承諾しました。
その目は、やはり、プロフェッショナルの目でした。

それから、イラストを急いであげてもらい、一ヶ月後には完成できました。

しかし、その一ヶ月で、腫瘍は3倍くらい大きくなっていました。
正直、僕はそれを聞いて責任を感じでたんですが……。
でも、彼は「ガンは早いっすね!」と笑顔で笑ってくれました。

今思うと、中断させて入院させれば……と思うこともあります。

でも、千田さんは「じゃあ、行ってきます」とやり遂げた笑顔で言ってくれたんで、僕は「スマホ小説をみんなに読ませるんで、戻ってきてください」と声をかけました。
「そうですね」と微笑んで病院に入院していきました。

その後、会社は僕一人になってしまいました。
「どうにか、スマホ小説を広めるぞ!」と意気込みましたが……。
そこから、僕の苦悩が始まってしまいました。

その後、千田さんが会社に戻ってくることはありませんでした。

一度だけ、何度目かの抗がん剤治療を終えて、会社に寄ってくれたことがあります。
その時の様子もサバサバしていたものでした。
「まっ、人生はこんなもんですよ」と。
ただ、こんな話をしていました。
「もう少しは生きれたら生きたいですね」と。
もう、その時には、自分の症状を理解していたのかもしれません。
その後、何度にも及ぶ、抗がん剤治療が続いたようです。
それから千田さんに会うことは出来ませんでした。

自分の方はというと、苦戦しながらも、ある企業と組むことで、半年後にはやっとスマホ小説を世に出すところまでたどり着いていました。
そのことは、このブログでも発表させてもらいました。

しかし、思ったようには行かず……。
その企業と相談の上で撤退が決まり、また振り出しに戻ってしまったんですね。

その後、また一人での継続を図ったんですが、新たな問題が浮上してきました。
それは、このブログに書かせてもらったアプリの更新の審査の問題です。
千田さんと作った映像や、文章のひとつひとつにクレームが入りました。
しかも、言葉が十分に通じないアメリカ人相手です。
その無駄な対応に疲れ果て、更新自体も滞ってしまうようになり。
いわゆる、心が折れた感じですかね。

千田さんとの約束を果たせないのは辛かったですが。
でも、その壁は厚かったですね。

その後、僕は悶々とした時間を過ごすことになりました。

数ヶ月後、僕は心機一転、店を開くことにしました。
(店の件は、後日に、また書かせてもらいます)

その事も、知人伝えで千田さんには知らせて貰いました。
「スマホ小説は残念だけど、yoshiさんがやってダメなら仕方がない」と言ってくれたそうです。
また、店についても「yoshiさんらしい」と笑ってくれたと聞きました。

そして、店がオープンして一ヶ月が経った頃でした。
知人から、「千田さんが逝かれました」と突然に連絡が入りました。
正直、あまりにも急だったので言葉も出ない感じでした。
最初に浮かんだのは「もう、この世に居ないのか…」という思いでした。

僕は、人の死に直面した時に、一番感じるのはこの思いです。

何故なら、
もうどんなに会いたくても、
どんなに話したくても、
この世に居ないなら叶う事はないわけです。
それが、一番悲しい事ですよ。
しばらく、その事を考えて……。
最初に取った行動は、千田さんが作ってくれたDeepLoveの主題歌を聞くことでした。
なんだか、自然と涙が流れてきて、千田さんの面影を思い出して、何度も聞きました。

残念だったのは、最後に会えなかったことです。
抗がん剤治療が辛いらしく病院に知人が来るのが辛いとFacebookに書かれていたので。
調子が良くなったらと思っていたんですが、あまりにも早かったです……。

本当に、もう千田さんは、この世にいないんです……。


次回は、少し僕が人の死について思っている事を書かせてもらいます。
それは、千田さんが送った人生について語ることになると思うんで。