努力のパラドックス

燃えよ!AT教師!(5)

 

【現代人の偽善】

小さい頃から、社会が求める「正しいこと」「良いこと」を一生懸命やっていたら、自分に必要なことがわからない未熟者になっていた。

*マザコンのムスコちゃん、

*家庭内暴力を振るわれた子供が自分を殺して言いなりになっていて、自分が悪いからだと思わされる人、

*狂信的な親の元で盲目的に宗教団体の掟に従わされた信者二世、

*親の愛が欲しくて親の言う通りにすることで愛を得ようとする子供

 

彼らにとって、「努力」とは、相手の気持ちを満たす為に行動し続けることだと錯覚しがちです。(勿論、こういう呪縛から逃れて生き延びていく人もいます。)

自分が良い子になることで報酬が得られる仕組みに組み込まれる。

 

これは、家庭環境だけでなく、友達、集団での社会環境、風土、文化環境、情報ネットワークの環境に大きく左右され、良い事悪い事の判断基準が異なりますね。

 

だから、環境が基準を決める善悪は、決して世界共通ではないし、

その基準に従う「善」の行動や考え方は、環境が変われば「偽善」となる。

 

「良い人間」になる努力とか、「良い状態」に改善する努力というのは、自分の事情の中では正しいかもしれないけど、

外の世界の環境や、自分の世界の事情(例えば身体機能やメンタルの耐性力など)が変われば、全然通用しないこともあります。

 

【自分の為の努力】

ボディーマッピングで有名なバーバラ=コナブルさんの著書の中で、

彼女は、「ワーク」(work)という言葉の定義をしているんですが、

日本語で言うと「仕事」。この「仕事」の定義を

「自分の生命維持」や「自分を豊かにする活動」

としていて、とても的を得た捉え方だと思いました。

 

お仕事で、

*お金を稼いで、ご飯食べたり、住みやすい環境を作ったりするにしても、

*サービス、製品、システムを創造して、人や世の中の為になるにしても、

*自分の人生経験を積むにしても、

*自分を公平、客観的に捉えるにしても、

*自分に、心にも身体にも栄養を与える活動をするにしても、

 

みんな、自分の為になっているという捉え方。

つまり、「努力」が直接的にも間接的にも自分の為になっている時、

「ワークをしている」という現象が起こっている。

 

努力感とかじゃなくて、自分を活かす為にエネルギーを費やしている。

これは、情報化社会とか、日本文化では結構大きなハードルになるところ。

日本人って、自分の為に何が必要かを問わないで生きられる部分が多いからついつい見逃しやすい。

だからこそ、「自分の為の努力」って日本人にとって尊い活動なのです。

 

【努力のパラドックス】

「自分はこんなに努力しているんだ!」

って思う時は、大体「自分の為の努力」にはなっていない、きっと。

なぜなら、その努力が「部分的」だから。

部分的に身体や頭を酷使すると、バランスが崩れる。

そして、無理矢理やっている感覚が強まっていくからです。

 

だから、努力している感覚が強ければ強いほど、

本来の「自分の為の努力」から遠ざかってしまう。

 

*ヴァイオリンの練習を、教師の言われた通りに頑なに繰り返すと、

身体を痛めてしまう。

 

*身を粉にして他人の為にすればするほど良いように利用される存在になってしまう。

 

*姿勢を正そうとすればするほど、リバウンドで姿勢が崩れていく。

 

私達が良かれと思って一生懸命やることが、逆に自分を苦しめていく。

こういう矛盾が起こりやすいですね。(努力のパラドックス)

 

【自己にワークする!(work on self)】

努力というのはとても興味深い性質をもっています。

誰だって努力することを好んでするわけではない。

でも、困難に直面して試行錯誤し、自分の中で今まで想像もしていなかった世界を体験し、

「努力感」はないけれども、自分全部を介して向き合ったプロセスから生じる「ものの捉え方」や「関係性」。結果的には努力のプロセスがあったからこそ到達できた捉え方や在り方。

努力は好きではないけど、結果的には自分の為の努力をすることに没頭して、その上に価値を見出す自分。矛盾しているようでしっくりするほど成立する「努力」の本質。

 

ATの実践では、この「努力のパラドックス」が解消される方向に「自分の全て」が向いているのかをチェックすることになります。

 

それは、

首の緊張であったり、

頭のバランスであったり、

身体の流れに頭が乗っかっているかであったり、

深く広いバイアスのない意識状態であったり、

 

様々な体験の中で自分で判断する試行錯誤な訳ですが、

外の世界を自分がどう捉えているか?

身体感覚にバイアスがないか?

意識がものの捉え方を歪めていないか?

 

と言った質問が自分の中で湧き上がっていきます。

「現実」って何かを捉える力を着々とつけて、標準化する作業

ということもできます。

 

私達が、本当の意味で活き活きとし、何事にも置き換えられない、一番価値ある体験とは、ありのままの「現実」に接している時なのです。

それは、「気持ちいい!」とか、「スッキリした!」とかいう感覚を

見事に超越した体験です。

通常の「感情」が伴わない現実感覚!(あんまりドラマチックに言わない方がいいかも!笑)

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、「自分に取り組む」というATの原点に立って、自分自身で体験し、ものや人と関わり、自分とはどういう生き物かを検証していく学習環境です。

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AT教師の勘違い!

燃えよ!AT教師!(4)

 

【ATごっこは止めようぜ!】

FMアレクサンダー氏の愛弟子Margaret Goldie女史は、

“It would be best if all the Alexander schools in the world closed down and all the Alexander teachers stopped teaching so that at least one may return to the source and discover what this work is about.”

(世界中のAT学校が閉鎖して、AT教師が教えるのをやめることで、少なくとも誰かが本質に戻り、このワークが何についてのものなのかを発見することが最善なのかもしれない)

 

と言ったそうです。まあ、結構辛辣な批判ですよね。

どういう文脈で言ったかはわからないけれど、それでも私にはすごく響くところがあります。

なぜなら、アレクサンダー氏の生涯にわたる探求のプロセスから浮かび上がる

「どんな人間にとっても非常に重要で、無視できない事実」について、

バイアスなく捉えることが、AT教師達との交流によって共有されていないことがとても多いからです。

 

そこには、私自身も含め、自分の都合の良い解釈で事実を歪める人間の姿を見ることにもなります。

また、「自分」という現実をありのままに捉えることの圧倒的な「気持ち良さ」(全てを肯定するしかない感覚)

味わないでATの実践(?)をしてきたのではないかと思わされる時もあります。

あとは、自分の受けたトレーニングに対するプライドが邪魔をしたり、

逆に批判的な態度によって、「自分」の探求ができないことをトレーナーのせいにする態度だったり。

 

なんでこんなに人間にとって重要なものが詰まっているATに脚色をして、自分の枝葉の都合で本来の形を歪めるのだろう?

「自分」の可能性や自由度を享受できる機会を、どうして自ら消してしまうのだろう?

 

私もそう思うことがよくあります。

もう、そんな形で、「ATゴッコ」するんだったら、一度AT教師要請学校など全部無くしてしまって、じっくり取り組む人が実践する中で本当に価値のあるものが現れればいいんじゃないかと真剣に思うこともあります。

 

【人間の特性を受け入れる!?】

しかし、人間の生存本能は、「自分」という個体の生存より、集団の中で上手く生きることを選ぶ習性に傾くことは、歴史的にも明らかにされています。

 

エーリッヒフロムの「自由からの逃走」は、フランス革命以降、民衆の自由を勝ち取る闘いをしていた筈なのに、なぜか、ナチズムの様に、自分の自由を捨てて、民衆の一部になることを選ぶ習性があることを指摘しています。

 

だから、個人の自由も獲得する気もないのに、自分の責任もとらないで、民衆の言うことを真似て言うだけの存在になってしまう。

「自由は大切だ!」と騒ぎ立てているのに、言っている本人は集団心理に押し流されて言っているだけのことも多いです。

 

*今の日本の政治に対する民衆の行動もそういう傾向があるのでしょう。

保守とリベラル。本来の「公益性」と「伝統」などの価値に基づいた主張と言うより、敵の意見に反対することを前提に言い争う。

もはや自分の立ち位置からの正直な意見と言うより、

自分達の仲間の意見を守る為に攻撃的な誹謗中傷をしたり。

 

*クラシック音楽で見ると、古典派とロマン派。

モーツァルトの死をきっかけに(ちょうどフランス革命の頃)、

古典派からロマン派に変遷していった。

歴史の作ってきた権威や形式を重んじる貴族的(上流階級)の価値を簡単には捨てない立場と、

権威や形式を崩して、民衆の個人的な感情や思いを自由に表現することを美徳とする立場

時代の流れは、「集団の機運」で、そこに流されていくのですね。

勿論その中で作られたものには芸術性や価値が詰まっているんだけど。

 

*AT教師の間でも、どこの系統の教師かで、無意識のうちに仕分けをしている「自分」。

「自己の使われ方」(the use of the self)から程遠い「烏合の集」の一部になっているだけで、自分の属する集団の一部として傘の下で行動する。

 

そんな状態でAT教師同士の交流しても、心は開かないで、

「参考になりました!」

なんて社交辞令するだけで終わっちゃう交流。

あんまり意味はなさそうです。

 

【無駄なことを蔑ろにしない「自分」】

まあ、私もそういう尖った感じでAT界に関わってきた部分があります。

しかし、同時に、一回こっきりのワークエクスチェンジだとお互いに交流した感覚がなくても、

積み重ねていくと、次第に人を知り、その人が経験してきたであろう歩みや想いを感じ取り、

次第に心を開いていくプロセスも起こることは多いです。

 

人生の中で、「無駄な体験」に見えるものは、沢山あるけれど、

「自分」にとっては、その経緯(プロセス)なくしては成り立たない部分もある。

例えば、「下積み生活」「何の脚光も浴びない平凡な会社員」「つまらない人」「深みのない愚かな人間」。

そんなレッテルを貼られる様な経験が慢性化した人の中でも、様々な態度が芽生えます。

*自分は評価されないつまらない人間だと思い込む人もいれば、

*そういう社会のレッテルは聞き流している人もいれば

*自分にレッテル貼った奴をいつか見返してやると思う人もいれば、

*自分は評価なんてものともしないで生きる!と思う人もいます。

 

きっと、こう言う無数の思惑がうごめいている。

自分と接する「人」には、自分の知らないいろんなプロセスが含まれている。

「自分」を高い位置に置いたり、低く扱ったり、同等の友達関係に見たり、

色んな立場に「自分」や「相手」を置いて関わってくる。

そういう関係性の中から交流が深まるプロセスも起こるわけです。

 

Goldieさんも、こう言う辛辣なことを言うのは、ちょっと青二才的に若く尖ったところもあり、興味深いコメントですが、

同時に、ATワークによる交流にも、私達の知らないプロセスが沢山の可能性を持って起こっていることが見て取れます。

 

AT教師として、生徒さんと接する時も、生徒さんのコメントや批判を真に受ける「自分」もいれば、

色んな立場で「自分」と関わる模索をしているのだと、プロセスに心を開く「自分」も存在しています。

 

AT教師の活動とは、目に見えない(未知の)世界に「自分」を晒すことで「自分」が影響し影響されるプロセスの中にいることです。

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、AT教師の活動が「自分」を生きる営みに、かけがえのない体験を積み重ねる場です。

ATワークに興味ある方も、「AT教師の活動」という視点から見ることで本来の「自分」の為の学習に方向付ける環境です。

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Indirect procedure(2) 反映された意識

~AT教師養成学校で学ぶこと(58)~

 

【習慣的な現実感覚】

心と身体が一緒に働きかけあって生じる現実感覚から見ると、

「習慣的な現実感覚」では、

逆になまめかし過ぎて、思い込みや無駄な緊張がかかって、

しがみついたり、頼ったりし過ぎたり(依存)、

逆に疎遠で、他人事のように感じたり(逃避)、

距離感が極端で、白黒が強くて、真ん中がない感じであったりします。

 

これは、協調運動障害や発達の癖の強い(自閉症)人の世界と類似した感覚であると推測されます。

普通と言われる人でも状況によっては、多かれ少なかれ経験があると思います。

コン詰めて何かに取り組んでいる時に窓の外を見た時の違和感とか

自然に一日中触れて家の中でスマホ見ている時のギャップ感

 

【Indirect procedureの世界】

ところが、Indirect procedureを体験して、自分(心も身体も協調しながら存在する状態)が、身体の動きや思考の流れを通じて自分が時間と共に様々な体験を積み重ね、自分なりの応答や捉え方が生じてくる感覚になります。

自分を介して(reasoning)生じる様々な現象を体験し、消化していく。

こういう感覚が芽生えている時、人の意識の質は明らかに通常(どっちが通常なのかわからないけど)とは違う状態にあります。

 

ATの実践を積み重ねていくと、通常(習慣的な)感覚で、現実を感じていることが、実はかなり偽りだったのではないかと感じます。

 

習慣的な現実感覚: 特に感情と緊張を伴う達成感や不安感。

これは双極性障害(躁うつ病)を持った人の世界と類似した感覚であると推測します。

 

そして、「この習慣的な現実感覚」が解除された時、喪失感、虚無感、露頭に迷う感、どうしていいかわからない感覚が浮かび上がると同時に、

「自分の意識では捉えられない力」が自分の中で働いている感覚が目覚めます。

 

【自分と向き合う?】

よく「自分と向き合う」という表現を聞きますが、この発想の源は、普段自分と向き合っていないことから来ています。そして、「自分」という感覚が如何に作られたものかを反映しています。

 

*外の評価に左右される自己評価、

*「自分がやっている!」と思い込んでいることに違和感を抱く感覚

*「楽しいね!」「辛いね!」って言っている自分の奥ではそんな感情も湧いていないで話している感覚

*「自分と向き合っている!」と自意識過剰になって深刻な表情をしている自分

 

自分と向き合う「自分」とは、「偽りの自分」。もう少しニュートラルに言うと、「意識の世界の自分」。

つまり、「意識の世界」と意識で捉えていない「知らない世界」(the unknown)の交流。

心や身体の営みが生み出す活動のプロセスに「意識」が乗っかっている状態。

 

だから、「自分と向き合う」ことは、自分を一つにしていくプロセス(統合のプロセス)なんだけど、では実際にどうするのか?と言うと、

ATの実践では、心と身体の統合機能(Primary Control)を妨げないで、「本来の自分」になる体験を積み重ねることに活路を見いだします。

 

【反映された意識】

ATの実践を積み重ねていくと、意識は習慣的な「自分」が作っているものではなくて、

意識に登る前に既に「人間の全体の機能」からかなり作られてから現れる性質のものだと感じるようになります。

 

俯瞰的に物事を捉えるような感覚もあれば、

他人事のように映ることもある。

逆に、他人事が自分のことのように現実として捉える自分がいたり。

 

例えて言えば、

*リモコン自動車を操作している感覚。

*外で操作しているんだけど、あたかも車の中で体験しているような感覚。

*鏡に映された映像を間接的に操作している感覚。

*意識の実体感覚が何かいつもと違う感じ。

 

意識が「外の世界」と「自分全部の機能」が交流している中で生まれてくる様々なプロセスの中から抽出されて「意識」が生じる感覚。

 

「indirect procedure」とは、意識の成り立ち(プロセス)の真っ只中に自分の身を置いていると表現することもできます。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、「外の世界(環境)」と「自分の全て」の交流の中から、indirect procedure体験を積み重ねていきます。

興味ある方、是非私達の活動を体験してみてください。

レッスン、ワークショップ、クラスでスタッフ一同お待ちしております!

 

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8月        5

   31

9月     1  2

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Indirect procedure (1)

~AT教師養成学校で学ぶこと(57)~

Hands on the back of the chairを例に

 

【プロシージャ(procedure)とは?】

プロシージャ(procedure)って何かというと、ラテン語の語源だと、pro 「前へ」とcedere「進む、行く」を組み合わせて「前へ進む」という意味です。

これが派生して目的の為に順序を踏んで前に進めること」という意味に発展したようです。

 

じゃあ、プロセス(process)との違いは、

プロセス(process)が「何(what)をするか」の全体像であるのに対して、

プロシージャ(procedure)は「どうやって実行するか(how)の細かいステップ」である点です。日本語だと「作業手順」と訳されますが、

ATの文脈では、「具体的な手順」というより、「what(何)」という一つの目的に走る(end-gaining)のではなくて、「how(どのように)」という、流れの中で様々な要素が浮かんでは消えたり絡み合ったりしている、無数の道筋がある中で「本来の自分」が瞬間瞬間、その場で適切な対応(「動き」という結果)が行われること(means-whereby)を意味します。

 

【Indirect procedureとは】

では、Indirect procedure(間接的なプロシージャ)とはなんでしょうか?

一つの目的の為(頭が欲しいと思っている最終結果)にたどり着く為(end-gaining)の動きに任せるのではなく、

遠回りした(自分全体を介した)動きに任せることで「頭の欲求」に頼った(習慣的な)反応を回避して(inhibition)、

身体(頭も含む)全体を介した流れ(means whereby)に意識や動きが起こっている「自分」の体験(プロセス)に結びつける在り方(態度)を示しています。

 

あくまで、「what」ではなく「how」が起こる状態。

プロシージャを「やる」「行なう」(doing)ではなく、どのように「なされる」「行われる」か(non doing)という状態。

特に、Indirect(間接的)に、目的に導くオプションが自分の中に沢山(選択肢が)ある中で「本来の自分」(心と身体の統合機能)が使われ(the use of the self)、選んでいく。

「自分全体」が使われる状態にして、「自分全体」を介して(reasoning)物事に対応している。

 

何を言ってるのかわからないですか?

これから説明します!(笑)

 

【hands on the back of the chairを例に】

具体的に「プロシージャ」として代表的な、hands on the back of the chair (椅子の背もたれに手が置かれる)を例に説明します。

 

英国のビクトリア朝時代の椅子だと、椅子の背もたれは結構高く設定されていて、

直立姿勢で手を添えるのにはちょうどいいのですが、

背もたれが低い椅子だと、座った状態から手を添える方が無理がないこともあります。

いずれにせよ、このプロシージャの特徴は、目の前の「もの」との関わる「自分」が如何に使われているか(the use of the self)に焦点がいくところです。

 

1. 実際に自分の目の前に椅子が置かれるだけで、私達は凄い勢いで反応することに気付きます。目が背もたれに釘付けになり、肩幅が縮まり手足も内側に引き込まれていく。

「何かしなくちゃ!」って言う気持ちも起こるし、

椅子の存在に凄く圧倒されている自分に気付きます。すごく反応しちゃうんですね。

これ、「本来の自分」に戻って、ニュートラルになればなるほど、自分の内面に小さいけど確実に起こっている反応に気付きます。

 

2. その反応が落ち着いて、手を動かそうとすると、また、「背もたれ」に対して何かしたくなっちゃう。「いけない!いけない!邪念を捨てるのじゃ!」なんて思ったりもする。

でも、例えば、手を前に持っていくんじゃなくて、横に広げてみる。

手、肘、腕、肩、肩甲骨、みんな連動して横に広げてみる。

それどころか、肩甲骨から背中全体、お尻から腿、膝、ふくらはぎ、足首、床まで、

ぜーんぶ連動している。自分が一つになっていると、

背もたれに全然反応していない「自分」が現れる。

「心が開いている!胸にスペースができている!お腹も骨盤も、みーんな開いている!」

という「本来の自分」が椅子を目の前にしながらも、存在している!

 

3. 横に広がる腕から手までエネルギーが流れている中で、腕全体を少し前に曲げてみる。すると、腕が椅子を覆って「何かしよう!」みたいな邪念が働いて、また椅子に引き込まれそうな自分がいる。

「自分が失われる!たかが椅子のごときに見っともない!」

なんて思ったりするけど、自分が広がっている状態を基準にしていくと、

腕が前に曲がっても、反応していない「自分」がいるじゃん!

 

4. 肘を曲げたり、手首をひねったり、指を背もたれに触れさせるというプロセスも同様です。椅子に反応するのが止まり(inhibition)、自分の全体性(心と身体の統合力)の一部として手が背もたれに触れていく。

 

5. 結果として、「自分」と「椅子の背もたれ」がありのままに交流して、影響し合う。

たかが「背もたれ」なのだけれど、「自分」が如何に関わるかで、「椅子」に深く広く「自分」を影響させ、同時に、「椅子」が自分に深く広く影響している体験につながる。

 

以上、hands on the back of the chairには、大まかには、こういう手順が代々のAT教師達が取り組んできた結晶としてあるのですが、

こうした「手順」自体に意味があるのではなく、「手順」を作り出してきたAT教師達が、「何に課題を見出して、どの様に自分を介して関わったか?」が垣間見られながら、自分にとっての取り組みに導いていくことが、ATワークの大事なところなのです。

 

「プロシージャ」は、「教材」ですが、

ATワークでは、それをただ「正しいやり方」とか「効果的な方法」として盲目的に従って学習することではありません。

「自分」が、「椅子の背もたれ」という存在と向き合う時に、

如何にあるがままに関わるかという取り組みの中に、

「本来の自分」が現れ、「椅子の背もたれ」と共存して、影響し合いながら生きている体験を積み重ねることこそが「学習」と定義されるところが、ATのユニークなところです。

 なんか、途轍もない事言ってる様に聞こえるけど!(笑)

 

【ATの実践】

こういう基礎的なATの捉え方がずれるのは、人間の特性とも言えます。

私達AT教師でも、長く経験があっても、ずれてしまうことが多いです。

それは、なぜかというと、ATのワークをしている最中に「意識」に登る「現象」や「効果」に目がくらむからです。「意識」という「結果」に左右されて、心や身体の中で起こっているプロセスが疎かになるのですね。

表面的に現れるもの、可視化できるものは、人を納得させるには手取り早いのですが、

長期的にみると、実体のない表面的なものに惑わされることになりやすいです。

対照的に、心でも、身体でも、深く全体的に捉えた体験は、自分の中に栄養を与え、充足感を持って生きていく基礎を作ります。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、本来のAT学習をお互いに促す環境を全員で作っていきます。AT教師の方も、初心者の方も、それぞれの経験の中から学習できます。

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燃えよ!AT教師!(3)

目に見えない力に任せる力

 

【目に見えない力】

私達が何かを認め知ること(認知すること)は、意識に登るものを「これはこういうものだ!」と決めつけることです。(認知は結果)

これは良い悪いではなく、「認知」という現象がそういう性質を持ったものなのです。

 

ただ、ここで「認知されたもの」がよりありのままの現実に近い、より信頼に値する捉え方や関わり方ができることが大事になります

そうでないと、虚構の世界で生きることになり、この世界で生きていくことが難しくなり、生存する確率が低くなるからです。

 

ただ、どんなものを捉えるにしても、私達は、「自分の知覚」と「捉える為の経験値」には限界があり、

「目に見えない力」や「今までの経験を元には想像できない在り方」が将来の予測を不可能にする要素があります。

 

例えば、すごく重い金属の塊だと見えていたものが発泡スチロールでできためちゃくちゃ軽い素材でできていて、風が吹くと吹っ飛んじゃう時、

私達の予測は大きく外れていたことに気づきます。

 

それだけじゃなくて、「重いもの」という印象を持つだけで自分の身体がそれに対処する為に固まっている。「吹けば飛ぶもの」とわかった瞬間に筋肉が弛緩する。

私達の身体は外の世界(もの)に対して予測し、無意識のうちに対応しています。

 

目に見えない力が常に様々な事象に働いていることと、

目に見えない力が常に自分に様々な反応を引き起こしていることが

同時進行で起こっています。

 

ありのままの自分は、ありのままに相手やものを捉え、交流するし、

バイアスのかかった自分は、バイアスを通じて相手やものを制限し、限定して関わる

という性質があります。

 

【重量に影響される自分】

 ニュートンがケンブリッジ大学のトリニティーカレッジで見た

りんご🍎が木から落ちる瞬間に起こったこと。(今もこの有名なりんごの木の子孫はあります!きっと本物だろう!笑)

それは、彼がありのままに「りんご」と「地球」の関係性を捉えた瞬間でした。

地球という途轍もなく大きいものと小さなりんごにも「引っ張る」「引っ張られる」という拮抗関係があることに彼の心が開きました。

 

私達は、多大な影響下にある世界の中では、それが当然過ぎて、環境(習慣)に甘んじて、見えている現象の背後にある力や影響を自覚することができなくなる。

自分が環境の中でどのように感じさせられ、考えさせられ、動かされているかという視点(エコロジー)が圧倒的に欠けている。

 

街中を歩くという行為一つにしても、信号の色が変わると動かせられるし、

下り坂では足取りも軽くなり、スラスラと歩いている。

でも、交通ルールや重力が自分を動かしているとは捉えないで、

「自分の意志で歩いている」と思い込んでいる。

 

この動画は、エコロジカルダイナミックス(環境に影響されて動く物体)という観点で見ると、私達が如何に環境に歩かされているかを見せつけてくれます。

この下半身の金属モデルには動力源(モーターなど)は付いていません。

人間に置き換えると、筋肉の力を使わなくても、骨と腱や結合組織の柔軟性さえあれば歩けている要素が如何に多いかを教えてくれます。

 

 

 

【バランスが私達の世界を作る!】

人間の場合、重力による影響は、脳機能にも大きな影響を与えています。

脳の発達は、胴体の上に頭が乗っかることで劇的に変化しました。

🧠が、バランスを通じてより重い状態で支えられることで可能となりました。

 

結果的に、記憶、イメージ、情報の解析度が高くなった。

感情を起こすプロセスも、様々なシナリオや予測する世界の解像度の高まりによって、交錯する感情、ジレンマ、不安恐怖の現実感、予測能力、きめ細やかな言語や記号などの抽象度、ものを象徴的に捉える力、具体化された行動のイメージなど、

他の動物と比べて圧倒的に見える世界が多様になりました。

 

そして私達人間の見える世界は、重力の中で、頭のバランスをとることで成立することになり、自分の世界と外の世界を常に同期させながら生きているので、

外の世界に対しても、バランスが基礎になり動いていると捉えるようになりました。

 

それなのに、頭のイメージが先行する性質は有史以来顕著になっています。

頭の中の世界の現実感覚の精度が高くなると、逆に、現実を錯覚してしまう現象。

アレクサンダー氏の著書での描写では、

人間同士がバランスの元に拮抗したり交流していることから離れて

自分のアイデア(頭の想定した世界)で世の中を変えようとする。

自分のアイデアの正しさを証明するように動いて、破壊的行動を起こしたり、

社会問題の部分的な改善に走って全体のバランスを失ったり。

 

AT教師の活動では、革新的なアイデアややり方の方がバランスより大事だと錯覚したり、自分の根本的な考えが絶対正しいというスタンスで、相手に特異な考え方や捉え方を知らずのうちに押し付けたり。

そういうことが起こる人間の性質は、全て、自分の頭のバランス、ひいては、地球の重力の影響を受けている存在であることを忘れて、歪んだ世界を見て、それを正しいと思う所に見出せます。

 

【ATが本来どういうものか?】

だから、ATとは、そもそもどういうものかは、

自分自身が重力にさらされ、頭のバランスが取れた状態で捉える状態にならない限り見えようがないわけです。

 

頭の理解が先なのではなく、そもそも頭の理解が現実に即して「バランスのとれた自分」が存在しているかが基礎になるわけです。

 

だから、FMアレクサンダー氏の本を読んで理解しようとしても、

ATが如何に素晴らしいものかを感じても、ATの動画を見てわかった気持ちになっても、

実践の伴わない理解は、歪んだ頭の世界の(もしかしたら部分的には共鳴していることはあっても)虚構にしかなり得ないのです。

 

それは、自分の人生をかけて正しいと心の底から思うようなことに対してもそうなのです。自分が築き上げてきた信条や考え方を基礎にするのではなく、

自分が今、ここで生きている世界に即した世界を見る。

自分が深く信じてきた前提を再度検証する。

そういう態度が現れる時、ATは「自分」にとって絶大な意味を持ちます。

 

いかがですか?

東京アレクサンダーセンター(TAC)でATを是非体験してください。

私達スタッフもATの実践の真っ只中にいます。

参加者と共に、「自分のバランスから見える世界」を共有していく学習環境です。

 

 

ご意見、感想ドンドン書き込みしてください!

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《新入生募集

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*【ウィークデーモーニングクラス(月火水金曜日)】(9:30~13:00)

8月、9月の開校日は

 

8月        5

   31

9月     1  2

    7  8  9

   14 15 16

   28 29 30

   

《福岡での個人レッスン》は、2026年9月13日(日)、14日(月)です。

(福岡の予約、お問い合わせは、メールで、yoshiinadabsn@gmail.comにお願いします。)

9/13(日)9/14日(月)稲田祥宏の個人レッスンin福岡 – JATS 日本アレクサンダーテクニーク協会

 

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Unified field of attention 

(注意の領域の広がり)

~AT教師養成学校で学ぶこと(56)~

 

【「注意を向けること」(attention)はend-gaining(結果至上主義)?】

この言葉に誤解が生じやすいですが、

「Attention」の「Unified field」なのではなくて、

「unified」(統合)された「Field of attention」であると捉えるとわかりやすいです。

「Field of attention」とは、「注意が向けられる領域」

集中すると、細かいところまでよく感じられる反面、盲点も増えてしまう。

重箱の隅をつつく様に専門的なことは凄くわかるのに、

全体像やバランスを持って捉えられない。

 

これは、「注意を向ける」という行為そのものに、自分の習慣的なパターンやバイアスが関与することを示唆します。

 

これは、身体的な変化として、

「首に緊張がかかり」「頭のバランスを失う」

ことが起こります。

これは、頭と胴体の交流が途切れる状態。

「心と身体の統合機能」が低下することを意味します。

 

だから、注意を向けること(attention)は、諸悪の根源!?

そういう極端な考え方に行き着くのも、心の中の活動の中に「首に緊張がかかり」「頭のバランスが失う」要素として見ることができます。(笑)

 

【部分と全体】

生き物の機能は、細かい所を見ると複雑で私達の認知能力では到底想像もできない様なことをやってのけています。

例えば、血液が栄養や酸素、二酸化炭素を運ぶ機能も精巧で、ミクロの世界での物理現象として適合性の高い素材が使われています。

というか、生存の為の機能として、私達が五感を使って捉えられない様な活動が沢山あるだけで、

精巧に機密に作られたと考えるのは、私達人間の意識の都合で言っているだけなんですな。

 

だから、生体機能を探求することは、私達の理解では追いつかない現象の「氷山の一角」が見えるくらいの感覚が適切かもしれません。

 

私が「脳科学」とかがチヤホヤされることに危うさを感じる理由はここにあって、

脳の機能の一部を切り取って、

例えば

オキシトシンは「幸せホルモン」だから、

抱き合ってドバドバ、オキシトシンを出せば幸せになれる

みたいな短絡的な理論をもとに幸せになると喜ぶことに虚しさを感じてしまうことがあります。

それって本末転倒、「木を見て森を見ず」でしょう!って。

 

同時に、そういうレッテル貼りをすることで、ものの性質を整理することが必要な部分もあるわけです。

 

意識の世界のレベルで見てみると、

*専門性の高い情報が、一つの要素に特化した、具体性を持って、脚光を浴びやすいものになりやすい反面、重箱の隅をつつく、的外れの捉え方に導かれやすいのと同時に、

*基礎的なものは、どんなものにも当てはまると同時に、脚光を浴びずに、具体性のない、漠然とした、目的のない捉え方と扱われやすい。

 

という二つの対極的な要素を持っています。

 

【意識は自分全体を象徴しない!】

ここに現代人の根本的な問題として捉えたのがFMアレクサンダー氏です。

 

そもそも、自分という生命体を土台にしない「意識」に自分を委ねることが生存に極めて危険なものであることに誰も気付いていない。

 

人間が現代になって、専門知識で問題を表向き解決しても、全然生命体としての「自分」は納得していない。

 

問題解決に、小賢しい知識だけ使ってわかった様な気になったり、表面的に解決しても、根深く問題が残る。

 

アレクサンダー氏の体験では、俳優として声が出なくなった時、きちんと休むと声が出る様にはなる。

しかし、声が出なくなる根本的な原因に触れることにはならない。

彼は自分の納得の為に時間とエネルギーをかけて「自分であること」に向き合わなくてはならない状態になりました。

 

意識が表面的な現象に脚光を浴びせ、根本的な基礎を疎かにしやすいのは確かです。

同時に、自分自身が、「意識」に翻弄されない状態になって、「意識」に登るものが自分の内面で起こる無数の機能の中の一つであるという捉え方になる時、

「注意の領域」(field of attention)が一つに特化したものではなく、様々な「注意の領域」が融合していく。

つまり、「注意を向けること」(attention)はend-gaining(結果至上主義)という要素はあるのだけれど、心と身体(頭と胴体)が交流し合い、統合されていく機能の中では、

end-gaining(結果至上主義)の要素は薄まっていく。

心と身体の統合機能(psycho-physical unity)とは、絶対的な状態ではなく、

end-gaining(結果至上主義)っぽくなったり、means-whereby的にプロセスし始めたり、という流動的な中にバランスが存在していることを表現しています

 

だから、「部分と全体」「具体と抽象」「注意と包括的な捉え方」

こうした対極的な捉え方が融合し、常に行き来していることが

「本来の自分」(psycho-physical unity)なのです。

 

この捉え方は、ATの実践を継続していくと体験できます。

急にわかるという性質のものでもなく、難しいことでもありません。

ただ、積み重ねることで基準がゆっくりと見えてくる部分は多いです。

ATの実践の醍醐味は、自分の体験から形成される経験なので、

何かを信じようとしたり、理解しようとすることでは成立しない学習です。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)は、ATの実践を継続していく学習環境です。

興味ある方、是非私達の活動を体験してみてください。

スタッフ一同お待ちしております!

 

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7月  6  7  8

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         29

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燃えよ!AT教師!(2)

ATのトラウマに対する捉え方

 

【トラウマ治療】

PTSDの方の症状を改善する為の手法として、

持続エクスポージャー療法

EMDR(眼球運動脱感作療法)

認知処理療法(CPT)

など、トラウマ体験の記憶の整理し、恐怖や不安を生じる極端な考え方を見直すプロセスを促し、症状の軽減を図る方法があります。

また、薬物(抗うつ剤や抗不安薬)で症状の軽減を図り、プロセスしやすい環境を作ることも大事なケースもあります。

 

いずれにしても、本人の「トラウマ体験」をプロセス(消化)する作業が円滑にいくことが目的になります。

 

これを「自己の使われ方」(the use of the self)の観点から見てみると、

「トラウマ体験」は、心と身体が統合されていく状態の中でこそ、つまり「本来の自分」が存在している中でこそ、より総合的に円滑にプロセスされる(ATではmeans whereby)と捉えます。

だから、治療という「外からの介入」というより、本人自身が「本来の自分」として向き合う姿をATの取り組みの中で垣間見る体験を積み重ねる作業が中心になります。

 

【私達は常に変化している!】

ATの実践をしていくと、私達の内面では無数の記憶(思考や動き)が交錯し、生きている実感をすることが多いです。

自分の中で起こる様々な記憶の流れ(エネルギー)に身を任せていると、

トラウマ体験の記憶に関しても、少しずつ変化していく感覚を持つことでしょう。

 

例えて言うと、硬い塊になったスルメイカの燻製が口の中で唾液と共に、咀嚼されながら段々と柔らかくなって、「そろそろ飲み込んでもいいかな?」という気持ちになる感覚です。

 

この感覚は、トラウマ体験に限らず、自分の体験したものを「記憶」として「どのような形で自分の一部にしていくか」という作業は、常に人間の内面で起こり続けています。

眠っている時も、常に記憶の書き換えや心のどこに置いておくかを調整しています。

 

そして、この「記憶」の在り処は、心と身体の両方を通じて起こっています。

過去に体験した時の身体の緊張や捻れ。

感情反応に伴う身体感覚の記憶

ある状況が醸し出す思考

 

これらは、解剖学的にどこでどのように起こっているかを特定することはほぼ不可能です。少なくとも、現代の機器を使って可視化することはできていない。

なぜなら、人間の体験とは、心と身体が連動したプロセスの複合体だからです。

 

【体験の独自性】

そして、そこには、その人独自のプロセスが起こる。

バイアスも沢山入る。なぜなら、自分という個体の生存にとって有利なものとなるように咀嚼し、消化するからです。

 

アレクサンダー氏から強く受けた英国の著作家Aldous Huxley氏も以下のような言葉を残しています。

 

Experience is not what happens to a man; it is what a man does what happens to him.

(「体験」は、その人に起こったことではない。むしろ、「体験」はその人に起こったことに対してその人自身がすることだ。)

だから、彼にとっては、

「幸せ」という体験も、「不幸」に対する過度な代償かもしれないし、

「安定」という体験も、「不安定」に比べて大して凄いものではないかもしれない。

っと言っています。

 

結局、どんな体験も自分の生存戦略に役に立つ栄養にしたいという力が私達の中にあると言うことです。

自分の中で納得して、自分の栄養にする作業(消化)。

 

心と身体の統合機能としては、消化器の機能に合わせて、神経系は呼応すると捉えることもできます。(腸脳相関、脳は第2の腸)

頭に浮かぶ意識や脳で起こる情動反応は、身体(消化器、内臓、筋骨格系)の動きの象徴として映し出される。

 

だから、トラウマ体験は、私達が生きる営みの中で、たとえ時間をかけてでも自分の栄養にしていくように方向付けられます。

生きている限り。死ぬまでずっとこのプロセスは続きます。

 

ATの実践から見えるトラウマに対する向き合い方は、

「自分の使われ方」(The use of the self)と言う観点で、「如何に自分が使われているか」という体験を積み重ねていくことです。

 

手っ取り早く排除したい気持ちにもなるでしょう。

不安や恐怖が先走って余裕のなくなる時もあるでしょう。

しかし、「自分」がそれだけ大きく反応する体験を自分の栄養とするプロセスは、

受け入れ難い全ての現実に向き合う自分を形成する旅でもあるのです。

 

ATの実践。これは、自分の成長の為、自分を本当の意味で生きる為に自分が向き合う方向性を示してくれます。ATに正直に向き合うことから。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、ATの実践を各々の参加者が、教師達と共に影響しながら、取り組む学習環境です。

レッスン、ワークショップ、クラスを是非体験してみてください。

スタッフ一同お待ちしております!

 

 

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7月、8月の開校日は

 

7月  6  7  8

         22

         29

8月        5

   

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新シリーズ 燃えよ!AT教師!(1)

私達には底知れぬ希望がある!

 

【私のブログ事情】

この8年ほど、私のブログの中で、ATの魅力とは何かを言語化し、AT未経験の人に響く伝え方を模索してきました。

これには、私独自の事情があり、8年前に日本に拠点を移すまで、30年ほど日本から離れ、ATの発祥地のロンドンを拠点にATを学び、英国文化と英語環境の中で育ってきたことから、ATの実践を日本語に置き換えて表現することが圧倒的に不慣れであったことがあります。

また、ATの取り組みを重ねる中で、自分の中で捉え方や前提が変化しているので、一貫性に欠ける現象も起こっています。

それは、現在進行系で、ちょっとずつ修正されるところもあれば、

今までの前提を覆さなくてはならない状態に強いられる事もあります。

 

しかし、これは私自身の事情のみならず、人間が時と共に成長する過程ではそういうことがむしろ普通のことであるとも言えます。

 

また、そういう変遷を共有することで、読んでいる方々にも、自分の成長と照らし合わせながら、

当センター(東京アレクサンダーセンターTAC )の活動に触れて、自分の力で検証していただきたいと願う自分もいます。

 

私は、ATという得体の知れない体系に多くの時間とエネルギーを費やして生活しています。

ATに対する思い入れはもともとそこまで強くないのですが、気付いたらライフワークみたいな位置付けになってきた感覚です。

 

自分の体験からしても、何かに取り組んでコツコツと努力していくのは、

必ずしも「やる気がある」とか「大好きだから」を伴わないです。

何となく惹かれていく。何となく取り組むことになってしまうような成り行きで継続することも多くあります。

 

何か大事な物に動かされる「自分」に理由をつける必要もないし、感情や理解が伴わなくてもいい側面もあります。

 

【ありのままの自分は活き活きと生きている!】

ATの実践を継続していくと、誰が何と言おうが、どんな風に影響されようが、

自分が一つになって行動している感覚になっていきます。

心が病んでいたり、身体の不調に悩まされて、自分を見失いそうな状態の人にとっては、遠い世界に見えるかもしれませんが、

「自分のありのままの力が無駄なく発揮されている状態」というのは、

どんな困難に遭遇していようが、どんなヤバイ状態にいようが、

気張らなくても、現れてくる性質のものです。

何か良い状態に改善しようなんて考えなくてもいいんです。

 

そういう「ありのままの自分」は、無理しない。

というか、感情とか意欲は、行動の後から取ってつけて出てくるものくらいの扱いにして、

正直な自分に慣れることは、ATの実践の一つのプロセスです。

 

私自身、かなり自己中心の生き方をしている方だと思いますが、

そんな私でも、困っている人を見ると、「どうにかなりますように!」と祈りたくなる気持ちが湧いてくることは多いです。

集団の生存本能があるのですね。

 

同時に、ATの実践を継続していくと、他人を助けようとすると、単なる依存を引き起こすことにも気付きます。

私の場合、頼れるAT教師、良いの医師、カリスマの音楽家になろうとした頃もあったので、「依存」の危険性は身に染みていますが、

他人を真の意味で助けることに一番近いところにいるのは、

自分自身が自分を救う力を使って生きていることで、

一緒に向き合っている相手にも「自分を救う力」を見出すことができる。

そういう関係性にいることです。

 

そうすると、人間同士は不思議なもので、お互いの機能に同期して、

影響し合う仲間として存在することになります。

お互いが活き活きと生きるのですね。

 

【「自分」には底知れぬ希望がある】

他人に言われた「良い事」をいくらなぞっても、

良い人間になれないように、

「活き活きとしよう」とするやり方やメソッドをなぞっても

活き活きとした人間にはなれない。

 

なぜなら、自分を介して検証されていないからです。

逆に、自分を介して見える世界には無限の可能性がある。

自分の中にも、今まで使われてこなかった無限の生存戦略があることに気づきます

今、困難に直面している時、現状に嘆いたり、周囲のせいにしたり、失敗の理由を探すことにエネルギーを費やすのではなく、

今の自分が持っている最大限の生存戦略を駆使して、困難に心を開いて臨む。

今の自分の評価に左右されず、弁解したり、体裁を整えることに翻弄されず、

自分の持っている全てを使って対処法を見出そうとする。

必要とあらば飛び込んでいく。

 

なぜ私達にはこういう態度が存在するのか?

それは、困難を克服したり、物ともせず、

生き抜く為の底知れぬ可能性が、自分の中にあるからです。

希望が自分の内面に潜んでいるからです。

 

AT教師の活動とは、この自分の中の可能性を見出すことに人生最大の理由を見いだす営みです。

自分自身に希望を見いだす。そして、その希望が、レッスンにくる全ての人に内在するという事実を、レッスンの中で発見し、共有し、積み重ねる。

 

AT教師の活動は、相手(生徒さん)を通じて、自分の中の可能性と希望を繰り返し見いだす活動なのです。

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、AT教師の活動に、再度方向性を与え、共にAT実践の基礎的態度を共有し、成長していく再学習の場です。

AT教師に限らず、ATを一度は学んだけど新たに学習してみたい方や、初心者の方にも門戸は開かれています。

興味がある方、是非、私達の活動にご参加ください。

スタッフ一同お待ちしております!

 

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有害な反応とは?

~AT教師養成学校で学ぶこと(55)~

 

【習慣的な反応は有害か?】

習慣的な反応、つまり、全ての意識や身体感覚を介さないで、無意識のうちに出てくる行動や思考は、「自分」にとって有害なのか?

こういう疑問は、ATワークをしていると違和感と共に出てくる自然な反応です。

 

その答えは、厳密な意味では、自分にとって有害な要素はあるということ。

もう少し違う言い方をすれば、習慣的な反応は、瞬間瞬間変化していく現実に対する反応としては、不適切な要素が出てくるということ。

 

ちょうどAIに任せると、正論ではあるのだけど、なんか現状に削ぐわない感覚になったり、

AIの動画は、なんか不自然だったり、キリトって付け足した様な感覚になったり、

人のしゃべり方が、周囲の映像との交流がない印象を与えたり、

 

その場に応じた人間としての反応という感覚にならないもの。

習慣的な反応は、あるパターンに乗せて、状況を考慮しながら対応しないので、

結果として周囲との兼ね合いで、「自分」にとって不本意な、有害な反応となる要素を含んでいると言えます。

有害と言われるほどネガティヴではなくても、そぐわない。

「自分」の得たい交流が起きない。

 

【「習慣的な反応」は過去の生存戦略だった!】

「習慣的な反応」は、同じ環境条件での刺激に対して、どう対応すれば良いのかを確立する為の生体反応であるので、

ある環境で、「自分が如何に振る舞えばいいか?」に対する答えとして培われた記憶(生存戦略)です。

 

私達には、無数の習慣的な反応が備わっています。

胎児の頃から始まり、産まれてからの経験から養われた反応です。

DNAも沢山の生存戦略の情報が満載されています。

記憶というほど明確化されていない反応も起こっているでしょう。

身体の癖、思考の偏り、感情表出の差異。

これらも、皆、ある環境の中で生き延びるためのその時その場の最適解として形成された習慣的な反応でしょう。

 

私達の知らない所で、反応している無数のパターンは、全て、ある時点での生存戦略だったのです。

 

そして、ある環境に「自分」が晒されると、無意識のうちに無数の生存戦略が発動する。ただ、それが、今、ここでの環境に一番即した生存戦略かどうかは、

自分の環境への露出度が大きく関わります。

露出度とは、心と身体が一緒になって現実にどのくらい向き合っているかです。

 

【環境に即した反応】

ところが、これも一筋縄にはいかなくて、「自分」という個体の生存の為には、種の保存(家族、コミュニティなどの集団)の為の役割を演じる反応も起こります。

 

例えば、

*集団の上に立って堂々と威厳を持ってリーダーシップを発揮する態度を持つことで、集団の結束が生まれて、生き抜く力とすることもあれば、

*集団の二番手に立って参謀役になる人、

*集団の下位グループに属していて劣等感を持つ役割の平民、

*発想や行動が奇抜で、集団に活力を与える役割の人、

 

だから、例えば、劣等感を持つ役割を担う人は、自分を小さく見せたり、首を引っ込めたりすることが、集団の生存の一翼を担うこともあるのです。

 

首が自由でないことが、自分を失うこととして、集団の生存に寄与する。

こういう側面もあります。

 

【「自分」を生きるとは?】

ATの実践は、「本来の自分」の体験を積み重ね、それを生きる基準を形成する活動です。

しかし、同時に、私達は環境に逆らえないくらい、集団や外の世界からの恩恵を受けて生きています。

だから、劣等感を持ったり、首を縮めて自分の機能をフルには発揮しないでいることも生存戦略の一部であるものも多数存在します。

 

でも、それが、自分を小さくすることで生存に適した反応をしているかどうかはやはり、「本来の自分」であるかどうかに基準があることにかかっています。

 

つまり、現状で、「本来の自分」が生き延びる為に、「役割を演じる」こととして、習慣の中での振る舞いが決まれば、「本来の自分」を活かす生存戦略として成立するのです。

 

「自分」を生きることは、

自信を持って、人を威嚇するように振る舞うこと自体でもなければ、

卑屈な態度で、自分を小さく見せること自体でもない。

でも、その役割を演じることは、「本来の自分」が基礎に活き活きと生きているから。

 

【ATの本来性】

ザーッと「有害な反応」の側面を見てきましたが、

ATの実践では、絶対的に有害無害を決めつけることができないスタンスを持つことになります。

なぜなら、私達は、心と身体の交流が円滑に起こり、一まとまりになる存在だからです。

 

物理的に捉えきれない「心」と、物理現象として動く「身体」が混合している状態なので、量子力学の様に、物事が在ったりなかったりしているのです。

 

だから、「首が自由になる」という現象も現れては消えていく。

人間の生きているというのも同じ。

あるかないか、魂として残っているかなくなるのか?

頭で白黒つけられない世界に住んでいます。

 

だからこそ、現実感覚の色濃い仕事場や物事を白黒で決めなくてはいけない世界で役割を演じて生きることもあれば、

本来の現実感覚は、時と共に変化して、諸行無常の響きを持って受け取る側面もあるのです。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、ATの実践を現実社会での生存にも、自分の内面の流動的な世界での生存にも対応する「本来の自分」に取り組みます。

理想論でもなく、現実主義でもない。基準は、「本来の自分」が理想にも現実にも深く関わって生きている自分が見えてきます。

 

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7月  6  7  8

         22

         29

8月        5

   

《福岡での個人レッスン》は、2026年9月13日(日)、14日(月)です。

(福岡の予約、お問い合わせは、メールで、yoshiinadabsn@gmail.comにお願いします。)

9/13(日)9/14日(月)稲田祥宏の個人レッスンin福岡 – JATS 日本アレクサンダーテクニーク協会

 

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Let it happen

自分の無数の機能に委ねる「自分」

~AT教師養成学校で学ぶこと(54)~

 

【Let(委ねる)ってなに?】

ATでは、Let the neck be free!(首が自由であることに委ねる)

という代表的な「AT実践のフレーズ」があります。

この言葉をめぐり、AT教師の捉え方や教え方には様々な違いがあります。

今回はこの起源を探求しましょう。

 

「自分の首が自由でない」ということは、

 

首が自由に回らないし、

バランス感覚が失われやすいし、

全体を捉えることができなくなるし、

感覚の入り方が限定するし、

外の世界の捉え方が偏っているし、

思考も正常に働きにくいし、

余裕がなくなり感情コントロールができにくいし、

動きがぎこちないし、

 

つまり、「本来の自分」(一つの生命体としての自分)が失われている時の現象。

FMアレクサンダー氏が、長い年月をかけて鏡に向かって自分を観察したことから見出した現象です。

「ありのままの自分」から見た時に「ありのままの自分」が失う瞬間に現れる身体内部で現れる変化。

では、この失われた「ありのままの自分」をどう取り戻したら良いのか?

彼はこの発見からさらに「ありのままの自分であること」に対する探求を続けました。

 

【委ねている主体は何か?】

この世界を見た彼の状態は、「自分の状態の変化」に同期して「自分の状態の変化」が起こること。(何言ってるのかわからなくても、あとで説明するから!笑)

逆に、自分の状態を捉えられなくなる時、自分の状態を見失っている。

 

心と身体が繋がりあっている状態が「一つの生命体として生きている状態」だとすると、この繋げる力が如何に発揮されるのか?

ここがFMアレクサンダー氏の生涯にわたって取り組んだ「課題」として見て取れます。

 

Let the neck be free!(首が自由であることに委ねる)

の問題に戻ると、じゃあ、こういう状態に委ねる主体は何か?

「思うこと」「意図すること」という教師もいるけど、

その「思い」や「意図」はどこから出てくるのか?

 

「自由であること」は、そもそも「首」に制約があることから解放されること。

では、何が制約しているのか?

 

その答えは、「本来の自分」であるか否か。

「本来の自分」でない状態が首の自由を制約しているし、

「本来の自分」が「首が自由であること」を委ねるし、

「本来の自分」が「思い」や「意図」を形成すると

Let the neck be free!(首が自由であることに委ねる)

という現象、つまり「委ねる」ということが起こる。

 

だから、「意図」「オーダー」「意識」とか、どんな言葉を使っても、間違いとは言えないけれど、Let it happen (起こることに委ねる)のは、「本来の自分」から来ているという前提があってのこと。

 

そして、「本来の自分」とは、環境の影響もあるかもしれないけれど、

結局は、「自分が一つの生命体として生きたい」という力。

 

この力が発揮される時、私達の習慣的なロジックは通用しなくなる。

なぜなら、「力」は、捉えられているようで、実体が物理的に捉えられないから。

心と身体(psycho-physical)的な捉え方なのです。

 

【生命体のシステムは同期する!】

私も、「生命体のシステムは同期する」という概念が自分の感覚として芽生えたのは結構最近の話なんですが、

ATワークをしていると、例えば、ハンズオンの状態で自分と相手と関わっていると、以心伝心が起きる。自分の生命体としてのシステムが作動しだすと、相手のシステムも同時に明らかになる。

 

あたかも、自分の状態が変わると、世界も同じ様に変わっているよう。

 

同時に、自分自身も、相手の変化によって自分の状態が変わっていく。

前提条件の変化が相手と共に共有される。

 

これは、私にとっては、なんとなく気のせいだと思っていました。

 

ところが、自分が鏡の前でFMアレクサンダー氏のように自分と向き合っても、やはり同様の現象が起きる。

「鏡に映る自分」に影響されて、「実際の自分」が存在している。

「鏡に映る自分」の中から動く力が働くのが見えると、いつの間にか「実際の自分」が動いている。

「鏡に映る自分」の思考や感情が明らかになると、「実際の自分」も、そのように感じ、考えている。

 

「実際の自分」があたかも「虚構の自分」であるのではないかという感覚になる。

 

きっとFMアレクサンダー氏も、こんな感覚で

Let the neck be free!(首が自由であることに委ねる)

と言っていたんだろう。次第に、そう考えざるを得なくなっていきました。

 

【 meta-representationの世界】

基本的に地球上に存在する生命体は、色んなレベルやシステムを「他のもの」に投影させて生きています。

蝶々達が戯れた🦋行動をしたり、

犬とかペットと人間の感情共有だったり、

同じ思想や政治団体に身を置くとその色に染まったり、

 

私達は、「他のもの」を投影して受け取るものが間接的に「自分」を象徴化しているわけです。鏡のようにお互いを映し、同期していく営み。

しかも、お猿さんより認知、記憶、イメージの精度が格段に高いので、

同期した「他のもの」により強烈な現実感覚を抱きます。

 

「これって自分を反映しているな!」という感覚が、

あたかも「他のもの」そのものになって世界を感じ取っているかのような疑似体験ができる。

 

人間のセックスでも、相手がどのような感覚でどんな気持ちで自分を捉えているかをお互いが「現実感の強い疑似体験」として影響し合う。

精子と卵子の結びつきだけでなく、いろんなレベルやシステムでの結びつきが起こる動物なのです。

 

人との関係性。

人間としての無数の機能を総動員させ、他者と交わり合うことで、

創造性、何かを生み出していく感覚。

新しいものが姿形を変えて現れるプロセスは、他者との交流によって起こる。

 

私自身、ATワークを継続して取り組みたいと思う理由は、

きっと「ありのままの自分」が他者と共有される体験(同期現象)によって

活動が成り立つ環境を「自分の成長」にとってとても重要だとと捉えているからなのだと思います。

 

「本来の自分」は、ものや人との関わりから明らかになる。

共有している中から生まれる力。

ものや人の立場になって見る世界(meta-representation)が、自分を作っている。

 

【委ねる主体は?】

FMアレクサンダー氏が鏡で見た世界。

彼はそれを自己観察と呼ぶけど、

「観察」とは、自分の全てを使って関わり、変化していくことで「自分のあるがままの姿」が、鏡という異次元の世界で映し出される風景を意味しているのでしょう。

あるがままの自分とあるがままの世界との同期した状態。

頭で何かを操作しようとする気が失せる状態。

 

Let the neck be free!(首が自由であることに委ねる)

の主体?

それは、あるようでない。ないようである。

外の世界と影響し合い、同期しながら変化していく

頭と胴体が自由に交流し、同期する「本来の自分」

が現れると浮き上がってくる現象です。

 

それがFMアレクサンダー氏が見たthe use of the self (自分が使われている状態)。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、

「自分が活き活きと生きるとはどういうことか?」

をアレクサンダーテクニークの実践によって見ていく取り組みです

ともすると、世俗離れした特別な活動のように捉われやすいですが、

本来、自己矛盾なく一つの生命体として生きることに舵取りされると、

自己充実感のある豊かな人生を送ることになります。

そしてその原動力は、「自分」の内に秘めた力なのです。

ぜひ、これを機会にTACの活動にご参加ください。

スタッフ一同お待ちしております。

 

 

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