自分の限界を知る時、人は活き活きと生きる!

燃えよ!AT教師!(12)

 

【「意識」が境界を作る!?】

このブログでは、「意識」の性質について時々描写しますが、

「意識」には、深さがあって、浅い意識から深〜い意識まで様々なものが見え隠れしながら、私達は生きています。

 

1. 「浅い意識」が白黒の境界がはっきりしているのと対照的に、

2. 「深い意識」は境界が薄くなって絶え間ないエネルギーの行き来がある。

 

1. 「浅い意識」は、ものを区別(分離)、具体的に仕分けて、「当たり前感」(常識感覚)を作り、部分的な現実に向き合う自分が現れる。悪い言い方をすれば、重箱の隅をつつく。良い言い方をすれば、細かいことに気がつく。

 

2. 「深い意識」は、ものの区別を薄くし統合、抽象的(共通項や法則を見出し、「当たり前の前提」(非常識)の奥に潜む力の影響を読み取り、全体的、包括的に現実に向き合う自分が現れる。悪い言い方をすれば大雑把。良い言い方をすれば寛容。

 

私達が通常「意識する!」と言っている時は、「浅い意識」を促進することが多いです。ものの白黒を特定し、判断する。

「ボーっとしてんじゃねえ!」

「しっかりと、集中して、よく見て、よく聞いて、よく感覚を使って取り組め!」

 

この意識は、「自分自身」に対する捉え方にも当てはまります。

自分の性格、癖、良いところ悪いところ、可愛いか醜いか、カッコいいかキモいか。

自分が具体的にどういう者なのかを明らかにする意識。

でも、「意識の深さ」から見ると、「自分」を確固とした、割り切ったものでは捉えられないと感じさせる「深い意識」も、実は混在しています。

 

【「自分」という枠】

ATの体験を積み重ねていくと、「自分」という枠がはっきりすればするほど、自分の存在が外の世界に対する影響や、同時に外の世界から自分に対する影響が鮮烈に浮かび上がるようになります。

 

例えば、手が椅子の背もたれに接触していく時(ATの代表的な取り組み:procedure: Hands on the back of the chair)、

自分の身体の外枠(皮膚)にどの様な圧力が加わってきて、それが自分全体にじわじわと影響している感覚が芽生えてくる。

同時に、椅子の背もたれを通じて、椅子全体の感覚が自然に自分の中に入って来る。

 

皮膚という身体の境界線が明らかになればなるほど、皮膚を通じて物や他者の身体との交流がものすごいエネルギー交換している現実に直面する。

 

この感覚が芽生える背景には、

上記の「浅い意識」と「深い意識」(というか意識のグラデーション)が複雑に融合しながら、

「自分」が外の世界(ものや人間を含めて)と関わっている、

自分が現実と向き合って存在している。

というプロセスがあります。

 

「浅い意識」は、目に見えるもの(「身体」に象徴される)

「深い意識」は、目に見えないもの(「心」や「マインド」に象徴される)

「心」と「身体」の融合が、意識にも象徴されています。

 

【「自由」の感覚】

自由とは、枠から解放される感覚。

この感覚は、枠があるからこそ、突き抜けたり、行き来できたりするできる。

「自分」という尺度でみれば、

「自分」という規範がはっきりと分かればわかるほど、

その規範から逸脱したり、縛られないことを選択する「自分」が現れてくる。

 

と言えども、「自分の枠」というのも、きっちりした皮膚のような境界線から、

 

熱エネルギーの発散とか俗に言う「オーラ」みたいな、目に見えるか見えないか微妙な境界線もある。

 

そして、こうした複数要素の境界線があって、自分の境界線(枠)が、総合的に作られる。そんな感覚なので、自分が外の世界に影響する感覚も、

自分の言ったこと、行動したことみたいな事実だけじゃなくて、

自分の醸し出す雰囲気とか、内面の経験値や葛藤や深く現実を消化しているプロセスや態度など、はたまた、自分の推測から大きく外れて、「自分」が間接的に影響しているものまで、含まれている。

枠がもう無くなるような感覚。

 

でも、そう言う感覚の世界も「自分」の一部として受け止めている時、

私達は「自由だなあ!」

と感じる。

自分の限界、意識の限界が分かればわかるほど、

「より深淵で予想も出来ない世界が広がっているなあ!」

と感じる。

枠があるからその外にも世界が広がっている。

今、ここにいる「自分」に限界があるからこそ、

限界の向こうにいる自分も見えてくる。

 

「自分」は、

「自由」を単なる野放しの世界として受け取るわけにはいかないし、

自分の枠の中だけで生き続けるわけにもいかない。

 

どんな世界に触れていても、この感覚は当てはまる。

スポーツ競技でルールを知らずにやったら反則。一発退場!

だから、ルールを知るのは大事。

同時に、「ルール」に縛られるだけじゃなくて「ルール」をものともしないプレーを目指す。

 

芸術でも、形式がある。

形式を知らないで、自由に創作活動をしても、それは芸術として認められない。

だから形式(それが形成されたプロセスを含めて)を捉えることは大事。

同時に、「形式」に囚われるだけじゃなくて、「形式」の外の世界に触れることで、

「形式」を超えた作品が生まれる。

 

自分の限界が鮮烈に見える世界は、同時に大きな可能性が見える時。

「自分」が自由になる瞬間。

 

【ATの原点】

アレクサンダー氏の著書「自己の使い方」(The use of the self)で熱を込めて描写されている部分があるんだけど、

彼が俳優として声が出ないで悩んでいた当時、鏡に向き合って観察しているうちに、

自分の頭が背骨との関係性において後ろに下に引き下げられる現象に気付いた。

そして、実際に、それと反対方向(前の方、上の方)に引っ張ってみたら声が自然に出た。彼は大喜びしていたのだけれど、それを繰り返すうちに、実際には、その「引っ張る」という感覚に頼ること自体が結果的に「声がでない方向」に導いていることに気付いて愕然とするシーンがあります。

ここで、彼は以下のように描写します。

 

This indeed was a blow..........

Discouraged as I was, however, I refused to believe that the problem was hopeless. I began to see that my findings up till now implied the possibility of the opening up of an entirely new field of enquiry, and I was obsessed with the desire to explore it.

(それは、私を愕然とさせた。.........しかし、意気消沈させられながらも、この問題は「全く希望のないもの」と信じることを私は拒絶していた。

これまでの私が発見してきたものが、全く新しい世界の幕を開けるような問いかけである可能性として見始めたのだ。)

 

ATを開発したアレクサンダー氏の功績は勿論大きい。

私自身も、人生の多くの時間を費やして検証しようと思うほど大切なものがATの中にある。

だけれども、それは、ただ単にアレクサンダー氏が偉大であったり、天才であると、特別視することで片付けることでは、真の価値を見つけることができない。

彼が、一人の人間として、色んな境遇の中で試行錯誤して見えた世界。

そこには、どんな人間にも共通する「生きること」の本質があります。

 

「自分の限界」という「現実」を心の底までさらす時、

私達は、「今、ここで見える現実を超えた世界」が見える「希望」を持って、活き活きと生きることができるのです。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)は、ATの歴史の流れを長年経験し取り組んできた教師達が、ATの原点に対して問いかけ、取り組み、参加者と共に進んでいく学習環境です。

ATに限らず、本質に触れたい方、是非、レッスン、ワークショップ、クラスにご参加ください。スタッフ一同お待ちしております。

 

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「コントロール」の本質(2)

アレクサンダーテクニーク用語書き換え作業(3)

~東京アレクサンダーセンター(TAC)より~

 

ATでは、「Primary Control」とか「Conscious Control 」とか、

コントロールという言葉を使っているけど、何かしっくりしない気持ちになる方は多いのではないでしょうか?

 

前回に続いて、コントロール(Control)の本質を探っていきましょう!

 

【コントロールって制御すること?】

コントロールを和訳すると「制御」という言葉が当てはまりますが、

「制御している状態」って何かというと、結構違う世界が見えてきます。

 

例えば、典型的な「昭和の家族」は、家長を中心に妻がいて、子供たちがいて、おじいちゃんおばあちゃんがいる3世代家庭。

旦那さんが家族をコントロールしているように見える。

稼ぎ頭はお父さん。稼いだお金を切り盛りする奥さん、家事や子育てを手伝う祖父祖母。子供たちは「お父さん稼いできてくれてありがとうございます!」と有難く育ててもらう。

 

表向きは「旦那さん」がコントロールしているように見える。

でも、特に日本では家を実質コントロールしている黒幕は奥さんだったりする。

 

「制御する側」と「される側」という表向きの関係が、

実は「制御する側」が踊らされていることは多いですね。

 

サッカーでも、試合をコントロールしているように見えるのは、ポゼッション率の高いチームだったりするけど、実はボールを持たされていて、相手のカウンターにビクビクしている構図もあったりする。

この頃のJリーグの「ポゼッション率」と「勝敗」を見ると、単一試合での相関性は見られないというデータもあります。

 

制御しているように見えて、「制御している役割」を担わされているだけ。

という構図もあるわけです。

 

(余談) 私は、診療所の理事長をしていますが、診療所の直接のマネージメントは、受付さんだったりします。(苦笑)

 

【コントロールの主体は不明?】

あるがままに組織や関係性の中で物が動くという視点で見ると、

「制御している」という感覚自体が問われることは多いですね。

 

例えば、「人を上手く使っている人」

(ATでは、上手く「自分が使われている」人) (the use of the self)  は、

自分の能力やプライドを自慢しないで、「相手に制御する権利」を受け渡してる。

「自分は知らないから教えて!」と言って相手の力を引き出したり、

自分が負けている部分を認めたり、

相手にマウントを取らせることで相手の本質を浮き彫りにしたり、

相手を決めつけないことで、相手の力を発揮させて、自分の労力を使わなかったり。

 

とにかく、自分が損をしている(制御されている)ように見える状況を作ってでも、

そのプロセスの中で、総体的には自分が得をする状況を作り出す力を発揮しています。

これは、「相手を利用してやれ!」という意図ではなく、

「お互いの関係性でお互いの力が発揮される構造に導こうとする力」

と解釈するとわかりやすいです。

 

オリンピックや大きなスポーツイベントで勝利した人達のインタビューで「周囲の人達のお陰でこの舞台で勝つことができました!」と言ったり、

格闘技で相手を倒す為に全力を尽くして闘った相手に強い敬意を払いたくなって抱き合うファイター達。

彼らの世界は、自分を中心に世界が活き活きと動いている。自分の頭で制御しようとすることから自由になって生きている。相手も周囲もみんな深く関係して生きている。

自分の内面と「相手」や「周囲」が入り混じり、その力に圧倒されて、敬意を払わずにはいられない。

全てが自分の制御を越えて動いている。

そんな感覚なのでしょう。

 

コントロールの主体が不在になる時、実は「制御する側」と「制御される側」が一緒に働いている。(「心と身体」も)

 

【ATのコントロールとは何だろう?】

ATでは、

*「意識がコントロールしている」(conscious control)と言っているけど、

実は、「意識」が制御しているように見えて、身体や周囲の現実に影響されているだけ。

意識に上るものが、現実や自分の内面の活動(思考とか感情とか身体の動き)に即して

浮かび上がってきているだけ。

自分でやっているように見えて、やらされている中で、意識が同時進行で表れるだけ。

ってみることができます。

「Conscious Control」は、「意識を基準とした在り方」とか?

 

*頭ー首ー背中の関係性(head^neck-torso relationship)と、生命体としての営みの力が

「お互いの関係性でお互いの力が発揮される構造に導こうとする力」が働いていることが「Primary Control」という言葉に代表される。

和訳は、「根源的な基準」?

 

これを勘違いして、頭でもっと制御しようとすると、「やっちまった!」(Doing)になる。

または、「やった気になる」ことで、自己満足の妄想で、現実が見えなくなって、結果的に自分に不利な結果を導く。

自傷行為(self infliction)や自業自得な振る舞いに導かれてしまう。

 

ATの実践では、「自分」が「本来の自分」から外れてしまう瞬間をすごい頻度で目の当たりにします!

(こんなこと言ったら、ATをしたくなくなるかもしれないけど、、、笑)

コントロールする主体は何か?

そこは未知です。主体と客体の関係性(交流)が深く結びついて成り立ったものが、

表向き、何かが制御しているように見える。

 

 

ATの実践は、AT用語を再検証していくプロセスでもあります。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、ATの取り組みを、FMアレクサンダー氏から始まった今日までの歴史を踏まえて、より本来的なATとより本来的な自分に立ち返るものとしています。

ATを単なる目先の効果のみならず、人生を本当の意味で豊かにしたい為の学習を進めています。

アレクサンダー氏が活動したロンドンで、その影響を受けた教師達との経験を30年近く積んだ教師とその取り組みを長く共有するスタッフ達と一緒に、ATの取り組みをしていきましょう。

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「コントロール」の本質(1)

アレクサンダーテクニーク用語書き換え作業(2)

~東京アレクサンダーセンター(TAC)より~

 

ATでは、「Primary Control」とか「Conscious Control 」とか、

コントロールという言葉を使っているけど、何かしっくりしない気持ちになる方は多いのではないでしょうか?

 

プライマーコントロール(Primary Control)なら、心も身体も全部を統合し、生命体としての機能が、「頭-首-胴体の関係性」がコントロール(制御)しているのだろうと少し納得するけど、

Conscious Control (意識的調整?)とかになると、ATを実践する感覚とかなりズレている気持ちになります。

だって、意識を集中してやると無駄な力が入って、感覚も歪んで、自分全体としての力が発揮されないじゃん。

なぜ、こんな「意識」がコントロールしているなんて言うのか?

って疑問に思う人もいるのではないでしょうか?

 

今回は、コントロール(Control)の起源を探っていきましょう!

 

【Controlの語源】

この言葉の起源は、中世のラテン語で、

contra(〜に対して、〜に拮抗して)と言う単語と

rotulus(ロール、歯車)と言う単語で「羊皮の巻き物」を意味していて、

当時は、「羊皮の巻き物」の記録に対して(照らし合わせて)、官僚が民間人の財産チェックをしていたことから始まったそうです。

つまり、本来は、「標準に照らし合わせて確認すること」を意味しています。

 

ところが、18〜19世紀にかけて、科学技術や機械の発達、産業革命が起こると、主に物理学と化学的なものの因果関係を表すように変化していきました。

機械を制御したり、物質の現象を理解するためには、

物理的に「環境の基準を保って(管理して)(Control)」、そこで照らし合わせる実験をしなければならなくなりました。

これが近代科学的な意味の「Controlled experiment」(条件統制実験、対照実験)です。

 

【Controlの変遷】

さて、アレクサンダー氏の時代になるとどうかと言うと、

実験の対象が純粋なテクノロジー(物理的、化学的)な検証のみならず、

生物学、医学、農学の様に、単純な物質ではなく、生き物や自然を扱う様になっていくと、厳密な意味で「環境を一定条件に保つこと」は不可能になってきました。

 

同じモルモットだって、DNAが同一のものはないし、完璧に同じものなんて管理できない。だから、科学は、基準となるものを「Control group」と呼ぶ様になりました。

因果関係ははっきりできないけど、基準を作って比べる。

基準は、アトランダムに抽出したものだったり、プラセボを入れたりして、実験の比較対象に対して。

 

だから、コントロールの意味が、

因果関係で、「これがあの結果の原因だ!」の「原因」から、

「これがあの結果を作る!」と言うことが基準を設定すると実証される。の「基準」

にシフトした時代にアレクサンダー氏は活動していました。

 

【結果と方法】

「コントロール」は、絶対的にものの「結果」を支配すると断言できないものとして取り扱われ出した時代。

科学が、圧倒的な法則を発見するとは言えない分野が沢山現れた時代。

特に人間という生物に関しては、複雑系。

 

アレクサンダー氏のワークと密接に関わったオルダスハックスレー氏も、この話題を本に表しました。タイトルは、「ends and means」(結果と方法)。

因果関係と相関関係の曖昧さ。何かが起こると多数の要因が絡まって結果として何かが現れる。

結果を見て、そこに至るプロセスが一つに規定されない。

プロセスが形成されて結果が現れるのであって、結果を出すためにプロセスを無視して無理に暴力的に方法を決めると、厳密な意味で結果は現れない。

同じ様な結果に見えても質感や本来性が伴わない劣化コピー。

だから、

現代の多くのテクノロジーが人間を退化させている。

社会制度を理想に無理矢理当てはめたりすれば破壊的に作用する。

(資本主義社会の貧富格差や、共産主義の独裁や暴力性など)

時代背景から、こんな発想が生まれてきました。

 

アレクサンダー氏自身も、end-gaining(結果にとらわれる態度)とmeans-whereby(プロセスに関わる態度)という言葉を使って、

自身のワークを進めています。

 

【アレクサンダー氏の「コントロール」とは?】

この背景から、「コントロール」という言葉の真意を紐解くと、

「照らし合わす基準」を意味していると推測できます。

*プライマーコントロールは、人間という生命体としての基準。

外の世界との交流、刺激と反応の中で基準となっているもの。

*Conscious Controlは、意識というものが外の世界との関わりで、相関関係となる基準になる。

 

勿論、このコントロール(基準)とは、人間の(心も身体も統合された)全体性や無数のエネルギーや情報の流れを介したものとして働いていることを本来的なものとして捉えています。

 

だから、意識が身体をうまく使ったり、精神を統一したり、外の世界に柔軟に対応したり、活き活きと生きるためには、意識自体の質が問われるわけです。

日本語で「意識調整」って言うと、あたかも質の悪い表面的な意識でも、上手く制御できる印象を受けますが、

ここでは、意識という基準が「より本来的で、個体としてより統合されたもの」でないと、

生命体として活き活きと生きることはできないことを意味しています。

 

この観点からすれば、ATは、自己の基準に対しての取り組みということはできます。

アレクサンダー氏の言葉では、「improving an individual’s overall standard of living」

 

この解釈は、私のAT実践の中で、アレクサンダー氏の言葉の整合性を検証するプロセスとしての描写なので、

一つの視点として参考にしていただけると嬉しいです。

 

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言葉を知ってわかった気になる自分

燃えよ!AT教師!(11)

 

【レッテル貼りによる安心】

医師として働いていると、明らかな原因が不明の病気は結構多くて、患者さんも不安になることがしばしばあります。

困りごとや症状に理由がわからないと、その対処法も見えてこないので、どうしたらいいかわからない。だから、将来の予測ができない。

たとえそれが治療で治るものでも、治らないものでも、診断名をつけられることは安心材料になることも多いです。

 

医学的に理由がわからないものでも、自分以外にも同じ症状を持つ人がいるだけでも安心します。

膠原病の様にスッキリ治ることが少ない病気でも、

経験的にどういう治療がどの程度有効で、

将来どんな経緯をたどるのかが予測できると、安心しますよね。

 

「本態性高血圧」って診断名もそう。この「本態性」って、噛み砕いていうと、

「よく原因はわからないけど、体質(この言葉も突っ込みどころ満載の言葉!)ですね。なんか元々の運命だったんですよ!」

って言う意味。血圧が高い原因が、動脈硬化とか、腎血管の問題とか、血圧上げるホルモンがいっぱい出るからとか、

これっていう理由が何一つはっきりしないやつ。

でも、実際、症状として出てくるものの多くは一つの原因では説明がつかないことがほとんど。

だって、様々な機能にホメオスタシス(恒常性、一定に保とうとする力)が働いているから。

 

原因が突き止められて、「ほとんどこれのせい!」ってわかっても、

実際には、その原因を取り除く薬が開発されても、異物や原因を無理矢理除去したりしても、

自分という生命体にとってみたら、自分の慣れ親しんだ内部環境を保つ為には、急な変化に対抗する力が働く。

 

レッテル貼りしてわかっても、生命体を扱う時に、そんなに明らかに根治することができないのは、

自分の今まで(過去)の内部の設定とそこに戻ろうとする力が働くからです。

でも、レッテルが貼られると安心する。

 

【レッテルに惑わされない時に発揮する力】

でも、生きることに強い執着があったり、絶対に治したい気持ちが強い人は、情報収集力も発揮するし、

どの医療機関や施術者に行けばより有利な状態になれるかを模索しますね。

レッテル貼られることに安住しないで、自分の状態をなんとか良くしようとする力が働く。

こういう気持ちも、他の人と比べて、「健康的な自分」の基準設定が高い状態で、

ホメオスタシスが働いていると捉えることができます。

 

そもそも「何なのか?」「どのように起こるのか?」

自分の習慣的な反応に甘んじるのを止める力。

真髄を追求する力、自分自身を知ろうとする力。

外の世界と自分を深く関わらせたいという欲求。

あいさつ程度のお決まりの関係では納得しない気持ち。

自分の設定(感情や知識体系)を変えてでも真実に向き合う力

内側から湧いてくる探究心。

 

こうした力(欲求)は、私たち人間の内側に必ず潜んでいます。

レッテルに惑わされない力!

 

【ATの取り組み】

ATが何かを説明するのに、アレクサンダー氏自身も色々苦労していたみたいです。

著書の中でも、「色んな説明をしたところで、結局実際に体験しなくてはわからない」

みたいなことを時々書いています。

 

it must always be clearly understood that the correct sensory experiences to be acquired by means of this technique 

cannot be described in writing or by the spoken word in such a way as to be of practical value.

(ATの価値を見出すことは、ATワークの中で信頼できる感覚の基で得られる経験であり、

本や言葉では描写できないことを常に明確に理解されるべきだ!)

(from Constructive Conscious Control, F.M.Alexander, p94,Gallant 1997)  .

 

例えば、

*「心と身体の統合」(psycho-physical unity)って何か?なんてクドクド説明したところでわかるわけがない。

 

*頭-首-胴体の関係性(head-neck-torso relationship)と言っても、ATを実践していくと、その意味合いや感覚は常に変化していく。

 

*inhibition(インヒビション)の概念を丸暗記したところで、実際にインヒビションが自分の中で起こる感覚を積み重ねないと、

色んな状況で起こる「インヒビションの感覚」を捉えられない。

 

言葉でいくら理解しようと思っても、そこには実体験とそれを消化するプロセスが含まれない。

本来の意味を捉えることはないわけです。

 

現代社会では、情報の流れに乗っていればとりあえず、みんなと同じ様なことをして「赤信号でもみんなで渡れば怖くない!」

という感覚になります。

だから、「理屈」をつけられるとわかった気分になる。

でも、自分の身体で、自分の感覚で、自分自身の感情の動きや思考の流れを捉え、自分の行動や言葉で表現する経験には結びつかない。

 

名前を付けて安住することは、自分の基準(前提)を疑うことなく、検証せず、

周囲の雰囲気にただ身を委ねる生き方に直結します。

 

ATの「効果」、例えば、緊張がとれるとか、バランス感覚が出てくるとか、パフォーマンスが上がるとか。

そういう名前を付けて、その効果の為に学習して取り組んでも、

AT本来の取り組みには到底なり得ません。

 

「とりあえず、他人が良いと思うことをなぞれればいいか?」

と、思っている態度自身の現実に向き合わないと、

「自分の使われ方」(the use of the self)を体験することにはなりません。

 

「私、アレクサンダーテクニークやっています!」

って、ATっぽいことを何となく経験してお話ししても、実践には結びつかない。

AT教師達!俺達がまずは実践していこうぜ!(笑)

 

漫画「ブルージャイアント」でも、「ジャズ」に対する態度を鮮やかに描写しているシーンがあります。

ピアニスト沢辺雪祈(ゆきのり)が、主人公の宮本大とはじめて出会ったシーン。雪祈が言います。

「俺は本当の音で勝ちたい。細々と今のジャズを繋ぐのが目標か?

『オレ、ジャズやってます』なんて言っている奴は、全員おままごとだ」

 

名前に乗っかるだけの活動は、自分を介すことを忘れた生き方。

「レッテル貼り」や「名前を付ける」ことで安住するのは、「レッテル」や「名前」という「結果」に心を奪われること。

(ATでは、end-gaining(結果に囚われる)という言葉で表現されています。)

これは、私達の日常から専門的な活動まで、どんなことに対しても当てはまります。

というのが、ATの実践から見える風景です。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、本来のATの取り組みをお互いに促す学習環境です。

「自分であること」は、本来誰もが持っている願いであり、潜在的な力です。

すごく難しく、過酷に聞こえますが、本来性に立ち返る作業は、誰にとっても、

心から納得する、肩肘張らない体験となります。

「自分であること」の真剣度を磨く取り組み。興味ある方は是非お越しください!

スタッフ一同お待ちしております!

 

 

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生徒を励ましたくなる理由

燃えよ!AT教師!(10)

 

【励まして成長する】

物心ついた時から、自分自身が「励まされて成長したなあ!」と感じる体験を持った人は多いのではないでしょうか?

諦めようと思っている自分に、

「新たな気持ちでもう一回臨んでみよう!」

「ここ、すごく大事だから一緒にやってみよう!」

「諦めない!」

と後押しされて、やってみたことで成功体験を積めたり、

取り組む過程で色んなことを経験できたり。

自分自身を課題に向き合わせて得たものは、時間とエネルギーを費やしてものの在り方や捉え方が変わり、自分を育てる価値ある機会となります。

 

それだけじゃなく、実際に励まされているわけではないけれど、

周囲の人の背中を見て、じっくりと取り組んでいる姿勢を自然に模倣してみたり、

他人の態度を見て、深く印象付けられ、自分を動かす力になることもあります。

 

触発される、スイッチがかかる、目の色が変わる、時間を忘れて没頭する。

こうした変化の体験は、自分がもの(現実)と真剣に関わるモードに必要があれば切り替えられる力、状況に応じたメリハリのある機能を促進します。

(生きてる感を育てる)

 

【励ましが成長を妨げる】

上記のように、励ましてスイッチが入るためには、相手と自分が共に課題(現実)に向き合っていることが重要です。

相手(療育者、教育者などの励まし役)が、自身で向き合う気もないのに子供(励まされ役)に課題に向き合おうと促しても、影響され方は格段に下がるでしょう。

 

「励ます」とは、概して現実に対して「心も身体も一体」になって向き合い、関わることなので、

本人の生きる力を使って欲しいと願う。

生きている存在としてポジティブに認める。

現実から目を逸らさない態度を共有する。

 

という意味合いが含まれます。

だから、「励まし役」自身が生きることに心の底から肯定的な状態でないと、

逆にエネルギーを奪い、「励まされ役」は、課題(現実)に向き合う姿勢を共有されていない感覚に陥ります。

 

カラ元気に、存在肯定に根付いていない口先の励ましは、「偽りの感覚」を拡大させて、逆効果になることもあります。

 

【励ましたくなる教師】

人を動かすのが仕事の一部として期待される立場(セラピスト、教育者、営業、政治家など)の方は、成功例として、相手を励まして行動を起こさせる体験をしていることが多いでしょう。そして、それをなぞれば成功するかもという気持ちで、とりあえずポジティブに励まそうと試みるのは自然な反応です。

 

同時に、「ポジティブに振る舞おう」という自分への問いかけは、頭から出た発想に由来する部分が大きいと、自発的(自分から発生する感覚)な自然な表現が削がれるので、「励まされ役」も人間の機能として同期しない、表面的な反応しか引き起こさないことになります。

 

また、ポジティブに励まそうとする心理には、自分をポジティブに生きている人間として見せたかったり、思いたかったりする要素も入ってきます。

こういう「本来の自分」を欺く行為は、待った無しで、無意識のうちに起こることが多いです。

 

【本来の自分をつかめ!】

では、どうするか?

ATでは、「自分の使われ方」を中心に起こることを消化(プロセス)していく取り組みです。自分の中から芽生えてくる気持ち、思考、行動、現象として起こる全てをありのままに捉えて、自分を飾るために使われない(自分を美化する反応を保留する)(Inhibition)で、「本来の自分」を基準にしていくことに努めます。

 

「本来の自分」に軌道修正し、標準化するのは、どんな人にとっても簡単なことではないですが、周囲の人間と共に、取り組むことで修正力が働きやすい学習環境を作ることができます。

 

「人間を心と身体の統合機能として捉えること」は、手答えのある実態感と、掴み所のない間接的な影響を抽出し読み取っていくプロセスが混在します。

だから、既成の捉え方で理解したり納得することと一線を画します。

 

「相手をポジティブに捉えることがいいこと」という既成の概念で臨むのではなく、

自分を真っさらにして、是非を頭で決めつけない態度。

これは、時間的にもエネルギー的にも流れが徐々に変わっていく部分が大きいので、長期的な視野で取り組むことも重要です。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、自分の中で起こる現実をありのままに受け取る学習環境を提供します。

ATの実践に興味がある方、是非、レッスン、ワークショップ、クラスに参加してみてください。スタッフ一同お待ちしております!

 

ご意見、感想ドンドン書き込みしてください!

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ATは三大ボディーワークではない!?

燃えよ!AT教師!(10)

 

【ATの身体に触れること(body touch)】

アレクサンダーテクニークでは、AT教師が身体に触れて学習を進めますが、

ここでよく誤解が生じます。

それは、ボディータッチ(身体接触)が、ATは身体の構造機能(メカニクス)の理解によってアプローチをするわけではない所です。

ATの場合、心と身体の統合する(まとまる)力、「自分という全体性」がお互いに関わることとして捉えています。

システム理解や意識の芽生えは学習過程では生じますが、それはあくまでも起こりうる結果(現象)として扱います。

 

勿論、各々のAT教師には、固有の身体に関する情報、知識、経験があるでしょう。

無意識のうちにも、自身の身体の認知の仕方によって関わり方や、触れることでの「効果」は様々あるかもしれません。

しかし、ATの視点はそこではなくて、心と身体が統合する方向に、自身が向けられているかどうかにあります。

 

身体(ボディー)をマインド(思考)や心と切り離して捉えない。

意識した「自分」と生命体として存在する「自分」も並行して影響し合っている。

 

AT教師自身も、実践の中で混同や誤解は起こりやすいです。

自分のAT体験の中から成功体験から体系化し、そのやり方を教えると

効果的な学習を促進すると思ってしまう。

しかし、ATでは、理解の促進や方法の習得は、学習過程の中の手段や現象に過ぎないのです。

 

身体に触れること(body touch)が、「心と身体の統合機能」(Primary Control)として関わることから離れて、身体を変えること(改善?)に置き換えられる。

いつの間にか「セラピー」に置き換えられる。

良し悪しのレベル(思考や意図)に還元されてしまう。

 

こういう誤解がとても生じやすいのです。

 

【「ボディー」をどう捉えるか?】

ATでは、ボディー(身体)とは、可視化できる現象と捉えます。

マインドや心は、可視化できないけれど「自分」と言う生命体の一部として、

色んな影響をしている。

つまり、ボディー(身体)とマインド(思考や意識)の関係性は、

「感覚で捉えられるもの」と「捉えられないもの」

「具体」と「象徴」

「象徴」と「内的活動」

「外面」と「内面」

「意識」と「無意識」

「結果」と「過程」

「光」と「影」

「脚光を浴びるもの」と「浴びないもの」

「表に出るもの」と「背後にあるもの」

 

など、こういう対比で見ると、私達の見ている世界が象徴的に映し出されます。

「ボディー」(身体)を変えるために、「マインド」を変えるのではなく

「ボディー」と「マインド」が統合されていく力の中で生きる体験を重ねていく。

ATのワークは、この点で、自分の今までの「常識」(習慣的な決めつけ)を基礎に捉えようとすると、受け入れることが難しい性質があります。

 

「なるほど、わかった!」

って言う「マインド」が「ボディーの情報」を正確に捉えて納得して心地よい気持ちになることもあるのですが、

本当に大事なところは、ボディーも納得(?)して、一つになることです。

自分全体が一つになって関わっている感覚。

深い自己充足感も伴うことは多いでしょう。

自己矛盾も薄まっていく

でしょう。

 

別の言い方をすれば、

良いやり方を見つけること自体より、

良いやり方が自分の中に多様にある中から選択される「自分」の状態に向かっています。

 

【ATのユニークさ】

ATの圧倒的なユニークさは、私達の既成の概念で捉えようとすることが通用しないところです。

ATを含めて三大ボディーワーク(他にフェルデンクライスメソッド、ロルフィング)と言う括りがあるそうです。ヨーロッパではそういう概念は特にない様ですが、

日本で誰からともなく言われ始めた様です。( ネット検索では特定不明!)

ニューエイジ的な流行で日本に紹介された経緯があるのかもしれません。

まあ、そういう捉え方も否定はしないですが、、、

 

ただ、ATを実践している私としては、フェルデンクライスもロルフィングも、同じくボディーを扱っているという枠組みでは同じでも、このカテゴリーに入れて欲しくない気持ちが強いです。

なぜなら、各々の立ち位置がかなり異なるからです。

これは優劣の問題ではありません。

これらのワークに接する態度は、学習する人が真っさらな気持ちで臨んで欲しいと思うからです。

 

そして、自分を真っさらにしてワークを体験していくと、

ATというものがどう定義されるかは、

自分自身にかかっていることも明らかになります。

 

「自分」という前提を疑い、問いかけ続ける。

その状態にこそ「活き活きと生きる」ことが体験され、

既存の価値観では計り知れない世界に出会い続けます。

 

私自身、ATの魅力を知って欲しいし、

共有して欲しいと思っています。

しかし、私自身の体験しているATの現実を歪めてまでして、

世の中の方に人気のあるものにしたいとは思えません。

ATを学びに来る人達には、本当の自分を体験したい本質的な欲求を持って

一緒に取り組みたいのです。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、「活き活きと生きる自分作り」を参加者各々が取り組む学習環境を作っています。

色んな色眼鏡をかけないで、心を広げて挑戦してみてください。

レッスン、ワークショップ、クラスに飛び込んで!

あなたにとって大事なものが見えてくると思います。

 

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「再教育」を再考する

燃えよ!AT教師!(9)

 

【AT学習の特徴】

ATが、教育と称されたり、学習と言われる所以は、体験から自分自身の成長につながる活動であるからです。

それと同時に、既存の「教育」や「学習」と大きく違うところは、

「頭」で覚えたり、「身体」で体験すること自体より、

「頭」も「身体」も全部一緒になって、一個の「生命体」(自分)として関わっているかが大事である点です。

 

FMアレクサンダー氏の言葉を使えば、「Primary Control」

本来的に「自分」という個体を動かしている力。

私達が、本当に活き活きとした人生を歩みたいのであれば、

というか、前提として「人間という生命体」として生きる力に任せようとすると、

「本来の自分」で在り続ける必要があり、

「本来の自分」を基準とする為には、

繰り返し「本来の自分」に戻り続ける活動(プロセス)を積み重ねていくしかない。

そう、アレクサンダー氏は提言しています。

 

だから、「教育」と言っても

「教えごと」としてなぞるだけではできない体験だし、

自分の全部を使わないで得た変化がいくら効果的に見えるものでも、

本来的に、自分自身が「育つ」ことには結びつかない。

 

また、「学習」と言っても

「学ぶ」ことが、頭の理解だけでも、身体の体験に任せるだけでもなく、

心と身体が一緒になって、教材でも課題でも何かの現実に向き合って

影響し、影響される。そういう流れの中で、「本来の自分」全体が「習う」。

 

【再教育(マイナスの学習)】

この本来的な「自分」が関わって「もの」や「人」と交流していると、

今まで

当たり前にやっていたこと、

当然のように感じていたこと、

普通だと思っていたこと、

思い入れが強かったこと、

全然興味がなかったことが、

 

全く違う前提で捉えるようになる自分が現れます。

同時に、今、ここにいる自分にとって、必要でないものを削っていくプロセスも起こります。

一生懸命にやっている振りをする自分

自分に思い込ませて無駄な努力をする自分

やる気やモチベーションを無理に作り出そうとする自分

痛みや緊張にどう対処したらいいか持て余している自分

問題をすり替えて他人に責任を押し付ける自分

生い立ちや境遇のせいにする自分

自己肯定感をあげる為に必死になっている自分

 

なんか、こんなことを気張ってやっていることが無駄に思えてくる。

自分自身に肩肘張らないでいいや!

そういう類のプロセスが起こります。

 

いらない緊張をしない。

自分にとって本当に必要なことの為に生きる。

必要な体験を欲する。

 

だから、いろんな経験を積み重ねてきた自分の上に乗っかって活動するんじゃなくて、

そういう経験を支えてきた土台を検証する。

そもそも「自分」という成り立ちが起こるまでのプロセスに「自分」を開く。

理解して体験して身体で覚えて何かを上手く出来るようになることは、

人生経験として大事なんだけど、その経験自体が起こるプロセスを

新たに、再び立ち返って「本来の自分」から生きる。

 

再教育!

これは、何かを作り出したり、できるようになったり、能力を発揮したり、

そういうもの自体じゃなくて、

その前提となる「自分」を体験する学習。

 

【生涯学習の本当の意味】

この「自分の学習」は、生涯続きます。

寝たきりになって、何もできない「自分」。

もう死ぬかもしれない瀬戸際にいる「自分」。

 

何かできることも生活する上では勿論必要なんだけど、

 

そもそも「自分」が生きていて、本当に「生きる力」を使って生きているか?

死に直面して「生きる力」から外れていないか?

 

私達が生きている証は、今、ここで、死ぬ時まで、「本来の自分」で在り続けることなのです。

 

人間が痛み、苦しみ、傷付き、もがき、満たされない何かを補う為に

「本来の自分」をおざなりにして、

絶望に身を委ねるだけになったり、

その場の苦しみを逃れる行為に及んだり、

無駄な努力をして、できない理由を見つけたり、

 

でも、同時に「本来の自分」は、

満たされない何かを必死に補ってどうにかしようと祈る思いで生きている。

そういう性質も受け入れている「自分」がいます。

今、ここに存在する自分が、起こっている全てのことに向き合っている。

それが、生命体として生きる人間の姿。

ATでは、この原動力を、Primary Control という言葉で表現しています。

 

こうしてみると、ATは「ミッドライフクライシス以降」や「高齢者向け」の学習の様に捉えがちですが、

実は、生命を受け、産まれてきた時から、この再学習は始まっています。

なぜなら、私達人間は、「心と身体」(頭と胴体)が全身のバランスの元に働く、とても繊細な存在だからです。

「本来の自分」から逸脱することが日常茶飯事で起こる存在だからです。

 

ATの実践から、人と関わることは、こうした人間の本質を

「心と身体の統合」を通じて経験を重ねることにもなります。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)では、ATの実践をする環境です。

スタッフと共に「本来の自分」を積み重ねていきましょう。

当センターのレッスン、ワークショップ、クラスに是非ご参加ください。

スタッフ一同お待ちしております!

 

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学者って胡散臭い!?(人間と学問の本質)

AT教師養成講座で学ぶこと(60)

 

【学術的知見があてにならない理由】

ネットの広告を見ていると、

「科学的に証明されたメソッド」

「大学教授も太鼓判の商品」

「医師が推薦する○○」

とか書いてあって、あたかも信頼性が高いことの証拠の様に

「科学的」「学術的」が印籠の様に掲げられていることが多いです。

でも、実際に色んな商品やサービスを試してみても、なんかピンとこないことって多くないですか?

 

そりゃそうで、科学とか学問とかは、物事の規則性、機能、傾向をある条件下(視点)で見出すものであり、物事の本質とか現実(事実)を照らし出すことはできても、

そこから、異なった状況で、具体的な効果や結果をどの程度予測したり、応用できるかどうかは全く別のお話。

具体的な応用と、学術的な考え方の整合性が一致すると感じること自体、

私達のバイアスが入っているのではないかと疑う必要があるくらいです。

 

【理屈が合えばOK?】

では、これを個人レベルで「認知の世界」で起こる現象と照らし合わせて見ていきましょう。

 

例えば、他人が怒りそうな状態になると、「大丈夫だから!」となだめようとするパターンの行動をする人がいます。

この人がなぜそういう行動に出るかというと、例えば、

「家族で凄く怒りっぽい人がいて、そのなだめ役としていつも自分が対処していた」

みたいな生い立ちがあったかもしてません。

 

これを本人が知ると、胸をなでおろすかもしれません。

私達が感覚として入って来たものに対して、無意識のうちに反応(習慣的反応)している時、その反応に至る理由が見つかると、納得して安心する様になることがあります。

 

理屈が分かっていると、とりあえず、理由がわかった気がして、

自分が愚かだったり、頭が悪いからではないのだと安心する。

自分が悪いわけではない。理由がある反応なんだと思えば、

自分を否定する必要はなくなる。

 

こうやって対処していけば、人生は楽に生きられる!

 

と思いますね。

 

【自分自身を疑う力】

しかし、ここには先ががあって、この理屈の認知と行動に納得しとけば、永遠に大丈夫だという保証はないです。(ああ!ここが人間のサガなのじゃな!)

例えば、この人が、夫婦生活をしていて、妻(夫)に対していつも「なだめ役」になることで、

相手が突き上がってDVになったり、

なだめることで「あなたは本音が見えない人間だよね!」

「すぐそうやって、はぐらかすんだから!」

と指摘された時、この人があなただったらどうしますか?

 

この様に、習慣的な行動には、周囲に色んな反応や問題を引き起こす要素をたくさん抱えています。

なぜなら、こういうパターン行動は、ある状況の時にはそぐわないもの(適切でないもの)と映ることが多いからです。

心理分析では、転移(transference)。

自分のパターンを他の人や事情にも投影してしまうわけです。

 

すると、問題の本質は、自分の行動の理屈を理解するだけでは対処できなくなる。

「そもそも、家族の不和をなんで自分がなだめる役を買って出たのか?」

「お兄ちゃんがやれば良かったじゃないか?」

「母親は何をやっていたんだ?」

 

自分の思い込みを疑う。認知を疑う。環境や境遇を疑う。

そこには「自分の習慣の存在」の認知、理解より、

その習慣を作った自分自身の本質に迫っていくしかない「自分」がいます。

「自分はこういう人間」なんて簡単に片付けていた自分が通用しなくなる。

「自分」の捉え方や態度を疑う。

 

ここで、やっと自分自身に目がいく様になります。

「自分ってどうやって使われているんだ?」

ATでは「自己の使われ方」(the Use of the Self)。

 

【客観性は色んな要素が見えている状態】

自分自身がいることが当たり前の状態である時は、

自分自身に客観性を見いだすことはできません。

「自分」という前提は実はすごく多様で、簡単に捉えることができない。

色んな要素が背後にある。

それは他人も同じ。「見えているもの」や「世界」もそう。

 

「学問的に正しいから」という理由で納得することがおかしい理由はここにあります。

「学問的な知見」という前提が何から成り立っているか?

それは、人間が作り上げているのです。

自分を含めた人間たちが、バイアスを持ちながらも、そのバイアスを払拭して、本質を探ろうとする力でなんとか成り立っている。

(学者さんでも、道を踏み外す人は多いと思うけど!苦笑)

 

こういう態度は、科学者だけの問題ではありません。

鉄道員も、スポーツ選手も、弁護士も、コンビニの店員さんも、

 

みんなマニュアルの様に動いている部分と、

そのマニュアルに理屈をつけて納得しようとする部分と、

そもそものマニュアルの前提を疑う部分と、

自分の捉えられうる多様な理由を受け入れて、

自分自身をも検証して

客観性を作ろうとしている。

 

ホームレスのおじさんが、ポツッと言ってました。

「近頃の人はロボットの様に動いている」って。

この人、自分自身がロボットの様に動いて自分を見失うのが嫌になってホームレスになったのかな?

それとも、彼が社会の肩書きを捨てた所から客観性を見出して見えた風景なのか?

わからないけど。

 

【人間と学問の本質】

私達は、客観性を自分の中に見出さないと、「自分が何者なのか?」が見えないし、

「本来の自分」を生きられない動物なのです。

 

「人間の生き方」と「学問の本質」は並行して動いています。

だから、本来、学術的知見とは、多くの人が本質を捉えるために努力した結晶として受け取るとともに、

学者や学会自体にもバイアスが働き、都合のいい様に解釈されるリスクがあることも背景にあることは心得て受け入れるものなのです。

科学的、エビデンス、学会が発表したから、何でも正しいわけではなく、

どんな試行錯誤のもとで結論に至ったか?

論文の表題だけでなく、要約、背景、条件、考察、応用の可能性など

人間が如何に関わり成り立っているのかを消化することは時間のかかる作業です。

 

最近は、学術的知見も、

「かいつまんで言うと、、、」

「結論を言うと、、、」

みたいな丁寧な解説が世に発信されることが多いです。

でも、本当に自分にとって大事なのは、その中から真実を見いだす自分の向き合い方なのです。

 

ATの取り組みとは、真実との向き合い方の練習です。

特に自分の真実。

控えめに見るのでもない。

大袈裟に見るでもない。

浅くも深くも可変していく自分を決めつけないで受け入れる態度です。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)は、自分に向き合う学習環境です。

他人に嘘をついても、世界をどんな風に見ようとしても、

結局、自分にとっての真実に触れ続けない限り、自分の成長を妨げています。

これは、どんな人格者でも、愚かな人間でも、共通の課題です。

自分の為の学習をしたい人!

とりあえず、レッスン、ワークショップ、クラスを体験してみてください。

自分の答えを自分で探すきっかけにしましょう!

 

 

 

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8月        

   31

9月     1  2

    7  8  9

   14 15 16

   28 29 30

   

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便利なものには裏がある!(不便益の効能)

燃えよ!AT教師!(8)

 

【苦労は買ってでもしろ!】

教育の現場では、

「とにかく本人にやらせてみろ!」

「懇切丁寧に教えるな!」

「自分で見て学べ!」

みたいな要素が大事であることは痛感します。

 

いったい、自分が本当に目指しているものが何なのか?

他人がいくら説明したり、説得しても、

本人がいくら気付いて、反省して、頷いて、理解しても、

そうした「捉え方」が自分の行動に反映することとは大きなギャップがある。

 

「わかっちゃいるけどやめられない!」(昭和感覚、わかる?笑)

身に染みないと自分を修正したり、行動パターンを変えることはない。

だから、「つべこべ言わずにやってみろ!」

って言う側面があります。

 

【苦労は取り組む態度によって変換される!】

「苦労」って嫌なイメージですよね。苦しくて、労力を使わなくてはいけない。

ああ、めんどくさい!😂

でも、人間って、自分でしか解決しようのない困難にぶつかるとやるしかなくなります。

逆に、困難に自分の身を投げて、苦労も厭わない状態っていうのは、自分にとって必要なものが明らかな時なわけです。

 

だから、「活き活きと生きよう」なんて悠長なことを言ってる時は、本当に必要なことに直面していない。

「余裕ができたら、趣味程度に気持ち良いことしたい」

なんて、優雅さは楽しめるかもしれないけど、自分の存在を揺るがす様な現実が見えていない。

 

と言っても、私達が生きている限り、そこここに小さな必要性を体験しながら生活している面もあります。

 

「ちょっとやってみようかな!」

「ここは逃げずに自分の思っていることを言おう!」

「めんどくさいけど、やるしかない!」

「これは自分を曲げるべきじゃない!」

 

こういう時は、私達は「苦労」を超えた必要性に目覚めている兆候と言えるでしょう。

だからって、これを美化し出すと道を踏み誤るのだけれど、、、、

 

【自分一人で行動する時間】

世の中(世俗)って、自分の為に考えたり行動したりする機会をことごとく潰していく環境であります。

常に何かの為、他人の為にさせられて、そこで役に立つことで自己評価を高めるという「報酬」を貰って生きている。

「人は一人じゃ生きていけない!」

確かに、それはそういうものなんだけど、この連続が、自分に何が必要かを感じることを麻痺させてしまう。

 

だから、「自分の時間」を作ることは大事なことになる。

「自分」が本当の意味で使われている自覚を持てる体験の積み重ねは、

自分自身しか意図的に作ることはできない。

 

例えば、ソロキャンプしたり。

寒かったら火を焚いたり、テントを張ったり、厚着をしたり、

お腹空いたらご飯を炊いたり、肉を炙ったり、インスタントラーメン作ったり、

空を見上げて、雨降るかどうかで対応策を立てたり、

とにかく、環境の変化に対して自分に必要なことの為に時間を使い行動する。

そんな当たり前のことに自分が癒される。

「ああ、私は自分の為に生きているんだあ!」って。

 

禅寺の座禅会に参加したり、

ATのクラスに通ったりするのも同じ。

他に参加者がいても、それは、各々が自分に必要なことの為に参加している設定。

何か具体的な目的を共有するわけではなく、生産性がなくても、効果や結果が出なくても、自分に必要なものに触れ続ける為にみんな来ている。

だから、他人の為に忖度することは必要ない。

 

【不便が「有益」になる】

「不便であること」は、自分が自分自身の為にどうにかしなくちゃいけないことが増えるということ。

だから、そこには生産性を上げるとか、結果を出すとか、要領よくこなすとか、他人に評価されるとか、

そういうことより、まず、自分が現実に向きあっていることでしか先に進めない状態。

 

こういう時に、自分の為に自分を使うことが、自分の栄養になる。

こんな単純なことなんだけど、なんでもかんでも効率と結果出すために行動させられている私達現代人には、ぽっかりと穴の空いた盲点になっているわけです。

 

便利に得られるものを買って使ってると、サービスも商品も全て消費する為の利用価値しかない。

でも、人との交流とか、ものや環境との触れ合いって、お金で買うという尺度で測れないもの。

 

現代社会に生きているからこそ、様々なものに触れる時、ただ利用するだけじゃなく、お互いに影響し合う関係、お互いを豊かにする活動としていく機会にもなり得る。

そういう風に生きる自分を育てたいと思いませんか?

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)は、表向きの効果や達成感より、自分にとって大事な体験を積み重ねていく学習環境です。

興味ある方、是非、レッスン、ワークショップ、クラスにご参加ください。

スタッフ一同お待ちしております。

 

 

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Tokyo Alexander Centre | アレクサンダーテクニーク 教師養成クラス (tac-self-fullness.net)

予約、ご質問は、すべてメールにて、

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《新入生募集》

*東京アレクサンダーセンターの教師養成クラスでは、2026年9月からの生徒募集(1名)しています。

*若手教師によるトライアルレッスン!

 

*【ウィークデーモーニングクラス(月火水金曜日)】(9:30~13:00)

8月、9月の開校日は、

 

8月        

   31

9月     1  2

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   14 15 16

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《福岡での個人レッスン》は、2026年9月13日(日)、14日(月)です。

(福岡の予約、お問い合わせは、メールで、yoshiinadabsn@gmail.comにお願いします。)

9/13(日)9/14日(月)稲田祥宏の個人レッスンin福岡 – JATS 日本アレクサンダーテクニーク協会

 

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「自己の使われ方」(the use of the self)

アレクサンダーテクニーク用語書き換え作業

~東京アレクサンダーセンター(TAC)より~

 

【AT原理とは?】

ATの原理は、レッスンを進めていくと必ず出くわしますが、

理解しようとするとなんかよくわからない。

煙に巻かれた感覚になる。

 

でも、それはとても自然の反応です。

実際、AT原理は、AT創始者のFMアレクサンダー氏が提唱したものではなく、

彼からトレーニングを受けた人達によって、体系化されたものです。

 

彼の4冊の著書でも、原理に沿う様な描写は沢山しているのですが、

彼がレッスンでワークをする時に、実践としてこれらの「原理」を事細かく説明することはなかった様です。

 

だから、ATから学ぶ私達にとっては、基本はワーク(ハンズオン、プロシージャ、アクティビティなど)の取り組みの中で、現象として見えてくるものとして、参考程度に扱うのでいいでしょう。

 

実際、FMアレクサンダー氏の著書を読んでも、実践の体験を伴わない状態では、チンプンカンプンのことが多いです。

なんとなく一回触れておくことは無駄ではないのだけれど、

 

結局、ATの見ている世界は、心と身体の統合領域(psycho-physical unity)であり、

言葉で表せる部分と表せない部分の境界領域の話なので、

体験と言葉が繋がっていくプロセスを「自分自身」に任せる学習の流れとなります。

 

【使い方(the Use)とは?】

日本にアレクサンダーテクニークが入ってきた当初から、日本語訳として、the Useを「使い方」という言葉を使ってきました。

the Use of the Selfに関しても「自己の使い方」という言葉を使ってきました。

言葉の意味は決して間違いではないけれど、

この言葉がワーク自体の捉え方を歪めているのも確かです。

 

それが何かと言うと、「使い方」の主体が、自分のマインド(認知機能)が司るものという誤解を生じる所です。

頭の理解で身体を「このように使う」みたいな具体的な手法(やり方)が想起されて、

具体的なやり方での効果に注意が向く。

より良いやり方、考え方。良し悪しのレベルで判断する活動がいつの間にか中心になってしまう。

 

ボディーマッピングをして修正した動きが、無駄な緊張がなく、効果的に動ける方法。

歪んだ感覚を解除するエクセサイズ。

 

こういう誤解が、生徒だけでなくAT教師にも起こってしまう。

だから、用語を誤解を与えにくい状態にしていくことは大事です。

 

実際、アレクサンダー氏は、3、4冊目の著書の冒頭に、誤解を招きやすいこの現象について以下のように述べています。

Constructive Conscious Control; as a plane to be reached rather than a method of reaching it

ワークの根幹の「建設的意識のコントロール」(この言葉も書き換えが必要かも!)を

どのように目的に達するかのメソッドではなく、目的に達するに至る時の「状態」

と描写しています。

 

【使われ方(the Use)!】

「使い方」が意識から身体や感情や思考に指令を与える状態を表すのに対し、

「使われ方」は、外の環境や自分の内面の環境の中で、「自己」が如何に対応しているかを表すことに近いので、アレクサンダー用語の書き換えは有益と考えます。

日本のAT界での捉え方に共有性を与える為にも。

 

アレクサンダー氏の活動していた頃、同じロンドンにフロイトが移り住んでいたにもかかわらず、二人の間には何も接点がなかったのも興味深いです。

意識と無意識の世界の関係性を「心理」の世界として探求したフロイト。

心と身体の統合に目を向けたアレクサンダー。

共通性もありながらも、立ち位置が全く違う。キャラクターも違う。

 

だからこそ、共通性は、キャラクターや立場で推し測れないもの。

人間として、知らないうちに影響されているものを受け入れて、

「自己」の規範が見えてくる。

 

そういう関係性で、私達もATと関わっていく必要があります。

アレクサンダー氏も、意固地な性格は散見されます。

しかし、同時に二の句も出ない真実に触れている実感が

私達がATに惹きつけられる理由なのではないでしょうか?

 

言葉の選び方も私達の「自己」の在り方や探求する姿勢を反映します。

日本のAT界でこういう試行錯誤が起こっていくことを期待する自分がいます。

 

東京アレクサンダーセンター(TAC)は、ATの実践から、AT本来の言葉の使い方、態度を検証していく研究施設でもあります。

AT教師の方で興味がある方、是非、私達の活動にご参加ください!

スタッフ一同お待ちしております!

 

 

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《新入生募集》

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8月、9月の開校日は、

 

8月        

   31

9月     1  2

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   14 15 16

   28 29 30

   

《福岡での個人レッスン》は、2026年9月13日(日)、14日(月)です。

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9/13(日)9/14日(月)稲田祥宏の個人レッスンin福岡 – JATS 日本アレクサンダーテクニーク協会

 

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