韓国は昨日祝日で、今日久しぶりにダイジとニゴウがそろって幼稚園・オリニチブへと登園してくれました
久々にヒメとまったり過ごせました
1人目産んだ時は、毎日毎日大変で1日あっという間だったけど、3人目ともなると、上2人の方が手がかかるから、赤ちゃんとの時間はマジで平和です。
一緒に昼寝もできちゃうし
ヒメが育てやすいのもあるけど、女の子、楽です
さて、前回からの続きです
妊娠が発覚し、ここからはまた新たなる問題と対峙しないといけません。
私の両親は、3人目反対だからね。
なので、すぐには報告しませんでした。
なので、仕事で疲れ、悪阻に襲われしんどい日々でしたが、同居している親に頼るわけにはいきませんでした。
つわりなんて言えないから。
でも、3人の中でも一番症状は軽く、時々気持ち悪い程度。
仕事中もしんどかったけど、初期は店舗のトップ以外は妊娠報告してなかったので、密かに1人吐き気と闘ってました。
私の中では、
「このお腹の中の赤ちゃんを無事に産みたい。」
の気持ちなんだけど、
どこかで、
「本当に産むことができるのだろうか?」
という不安も常にありました。
両親に反対されたまま産めるのか?
それとも認めてくれるのか??
不安で仕方ありませんでした。
私はまだ、両親に自ら妊娠を報告するのが怖く、報告はポンがしてくれることになりました。
面と向かって反対されたら、おそらく私は耐えられない。
次の検診で順調に育っているのがわかった時、両親へは報告しました。
やっぱり、反対されました。
↑あまり、思い出したくないので詳細は書きません。
今だから言えることですが、
ポン1人で話したが故、話の行き違いがかなりありました。
この時私が一緒にいたら、現在は変わっていたかもしれません。
ポンと2人で泣きました。
とんでもない決断をしないといけない状況でした。
子どもを産むか、家を出るか。
中絶なんて考えたくないけど、初期中絶はもうほとんど間に合わない時期でした。
ポンは、「どっちにするかはヨシに任せるけど、俺は産んで欲しい。」
私はいちどバラバラになりかけた家族が、またあらたに幸せを築いていこうと前向きだったのに。
中絶なんて選択できるわけがない。
私は、この日以降両親から距離を置いてしまいました。
何も手伝って欲しくない。
ダイジの幼稚園送迎や帰宅後のフォローもして欲しくなかったけど、仕事の都合上どうにもならないからそこだけは目をつぶり。
私が一言も妊娠のことを話さなかったのもあるけど、両親も私の身体を気遣うことはありませんでした。
それからどれくらい経ったのか?突然、
父から「産むのか???!!!」
と叫ばれました。
子どもたちをお風呂に入れてた時に、お腹を蹴られたのを、「赤ちゃんいるんだからダメだよ!」注意してたのが聞こえたんだと思われる時でした。
私もあまりの言われ方に、
「産むよ!!」
とだけ叫びました。
こうなるともう親子関係も破綻状態ですよね。
人の命をなんだと思ってるのか、自分の親ながら情けなくて。
もっと他に言い方がないのかな?
父も母を思っての発言だったみたいだけど、もう私の心はボロボロでした。
そうこうしてるあいだに、無事に5ヵ月を迎え職場の人たちに報告もしました。
もちろん、ブラックな裏事情はなにも知らないのでみんな祝福してくれます。
妊娠って、めでたいことだよね。
喜ばしいことだよね。
当たり前のことがすごく新鮮でした。
でもそれを素直に喜べない自分もいました。
おめでとうと言われると、
愛想笑いで、ありがとうございますが精一杯。
そして、地元の人たちには、妊娠をひた隠す日々。
両親を知る人たちには決してバレたくありませんでした。
おめでたくないからね。
反対されてる命だから。
おめでとうなんて言われて、愛想笑いでも微笑めない。
これが私の妊娠生活でした。
安定期入る前の写真。
ガンガン旅行してたな。なんなら子どもたちをプール旅行にも連れてった。
さすがに水に入るな!!とポンから注意されたけど