こんにちは。
ホントーに久しぶりに、ブログを開きました
なんとか、心機一転、
これからは、ブログを綴ってみようかと思います。
改めて、自己紹介を載せてみようと思います。
突然で、恐縮ですが・・・
私は、18歳のときから、プロテスタントのクリスチャンです。
もともとは、無宗教というか、仏壇、神棚はありませんでしたが、
よくある都会の日本の家同様、
大晦日、正月には、神社参拝とかしてました。
高校生の時、TVで、放映されてた「氷点」のドラマ
(いしだあゆみ、泉ピン子出演のバージョン)
を観て、深く感銘しました。
原作は、三浦綾子。
小学生のとき、友人が、「塩狩峠」の読書感想文を書いていたのを思い出しました。
それで、「塩狩峠」を読み、またまた感動し、三浦綾子作品にハマっていきました。
「泥流地帯」「続・泥流地帯」
「雪のアルバム」「海嶺」etc...
「道ありき」は、綾子さんの自叙伝。
「あなたへの囁き」は三浦綾子の作品言葉集。
三浦作品を読んで、自分を変えたいと思いました。
変わりたい。もっと、素直に、両親にやさしく・・・
反抗的な自分が嫌でした
当時、両親の仲が悪く、
「離婚できないのは、私のせいだ」、と思ってたし、
反抗心から親に口を利かない自分がいました。
けれど、自分の力では、変われない自分がいました。
そんな、高3になったばかりの春、
「大学受験に落ちた、浪人する」という友人の先輩が高校に来てて、鼻で笑ってしまい、傷つけてしまいました。
高校受験では、友達に合わせて、無理して高いレベルに入り、うまくいったので、
まさか、自分もまた、浪人するハメになるとは、考えてもいない自分でした。。。
(成績は、理系科目は、低空飛行でしたが・・・)
高3の11月くらい、マラソン大会が、学校でありました。
進路が決まらず、何のために生きてるのだろう、
とか、悶々と考えていました。
当日朝、片足のひら?(偏平足じゃないけど)が痛くなり、いったん休みました。
後日、再走の日があり、それまでの間、体育の時間、
「さぼってる」と思われている、と体育教師を疑っていました。「治らなくても、再走の日は走れよ」と言われたし。
進路などで、精神的に不安定な中、突如、熱発。
休み明け、登校すると、再走の日でした。
足は、まだ痛いし、病み上がりで、体力落ちてる中、ヤケクソ。
倒れたら、あのセンコウのせいだぞと思いながら、走り始めました。
足を引きずりながら、走り歩きしていると、横っ腹かかえて、脱落者が歩き始め、「だいじょうぶ?」と声をかけました。
自分は醜い、と思っていたのに、そんな言葉が出てくるなんて、上から下ではなく、同じ苦しい立場の人に、声を掛けれたのが、嬉しくて。
そんな時、〈神は愛なり(聖書)〉
近くのキリスト教会に立っていた看板を思い出し、
「神=愛かぁ」「神様はいるかもしれない」。
天から見ているかも。と思ったのでした。
自分から出た言葉ではない気がしたのです。
嬉しくなって、ウキウキしながら、走って(?)いました。
人は愛するために生きるのだ
どんな時でも、たとえ、植物人間になったとしても、
(これは、語弊があるかも。身体が動かなくなっても、)
愛の花を心に咲かせるのだ~
と目覚め、社会福祉を学ぶ道を目指すことに決めたのでした。
それで、受験。
全滅して、さっぱりしたところで、近くの・・・
というか、プレハブで、訪ねてみたくなる、
何かの講師(宣教師?)が来るという日曜日。
キリスト教会の門をたたきました。
大勢に紛れ込もうとしたのでした。
入り口が裏のほうにあって、
2階から、歌声、賛美の練習を、礼拝前にしていた。。
チョロっとのぞき込んだら、初老のおば(あ)ちゃんが、
「あら~」と、やかん(にお水)を手に迎えてくれたのでした。
礼拝は、なんだか「クリスチャンはマンネリ化しがち」とかいう言葉が耳に残ってます
終わった後、ある同世代というか、お姉さんが、
「豊かな人生のための四つの法則」という小冊子↓を読んでくれて、よく分からなかったけど、キリストを受け入れるお祈りを素直にしました。
他の年配のおじさんに「クリスチャンになった気分は?」と聞かれ、「え、クリスチャンになったの?」と、内心。
クリスチャンになりました。
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その後、一浪。
苦手だった、世界史も、予備校で克服。
卒業後は、たまたま求人のあった北陸の精神科単科病院の医療相談室に3年勤務しました。
当時の主任とうまくいかず、追い出され、その後、ヨシケイ、サイゼリヤ、etc…
あとは、また、機会をみて、ブログに綴ります。
お読みいただき、ありがとうございました