僕の生まれた使命。それはあなたを思い、守り続ける事だ。
僕に生命のバトンを繋ぎ、生き得る機会を与えてくれた偉大なる先祖の為には死ぬ気で生きにゃーいけんと思うけど、あなたとセガレの笑顔を守る為ならば、死んでもかまわんと思える。
あなたに逢えてよかった。この思いはあなたが居なければ成立しない。
この思いが、真夏の太陽のように燦然と輝き、僕の行く末を照らし続ける。
6年目のありがとう。心ん底から、愛しちょるで。
もす。いやいや、相も変わらず「めまいfeat.花粉症」な毎日でございます。
まぁ、人間、日々己を己として生き、律し、感情を淘汰しつつ、前だけを見据え、歩んでいるわけでございますよ。ええ。多種多様な喜怒哀楽に振り回されながらね。あーでもない、こーでもない、と。
確かにね、そりゃ嫌な事だってありますよ。そりゃー、僕だって仕事の電話なんかをね、
「よさこいさーん。お電話です。○○工業の某さんからです。」
「ん、あんがとー。ありゃ?いや、子機は?子機。無いやん。」
「ウフ。ここにあるわよ、コ・コ☆」
と、たわわな乳房に挟まった子機を女豹のように差し出す痴女ライクな事務員さんに囲まれて仕事したいですよ、いや、させてくれ。ボッキング(勃王)でドッキングさせておくれ。
ところがそうはイカン。現実はなんか戦闘竜みたいなメスゴリラがドスンと座っておるんですよ。
人間誰しも波風立たぬ平穏無事な毎日を送りたい。僕だってそうだ。
そんな僕は最近寝る前に今日一日の出来事を座禅組んで振り返るようにしているんです。
「あー、あの時はこうしとけば良かったなー。」とか「うん、アレはアレで良かった!!」などなど、「アレはダメ!!」とか「アレは無いわ、無い」とか否定的な解釈を出来るだけ避けて、感想の感情の語尾を「良かった」で締めるようにしているんです。
この「良かった」とか「良い」を言う言葉、僕は好きですね。響きが優しいし、あたたかい。
まーワシの名前にも一文字入っているんですがね。いやー、「名は態を表す」って本当だね。
僕って、優しくてあたたかいとよく言われませんものねー、特に見た目。よく目をそらされます。
この「良かった」という言葉。この言葉が組み込まれて、この言葉自体が幸せそうに見え、なおかつ、読んだ者をも幸せにしてしまう魔法のような文章がある。
「あなたに会えて、良かった」。これですよ、コレ。日本語の美しさを全面に押し出しつつ、邪魔にならない荘厳な響き。僕はこの文章が大好きです。
勝ち組だの、負け組だの、そげな陳腐な構造物を構築する事にあくせくせんでさぁ、要はこの文章をどれだけ多くの人に心から捧げたか。そして、己が他者にとってそうであったか。
それこそが、今こんな時代にワシらが追い求めていかんとワリーものやと思うんじゃけど。
僕もいつか永遠の淵で生涯を終える。最後のまばたきの向こう側に何を見るのか?
僕には見たいものがある。それはたくさんの「会えて良かった人達」。
この瞬間こそ、人間冥利に尽きると思う。そうなるよう、生きてゆこうと思う。
まぁ、あれですな、子供の成長速度、そして物事の吸収力っちゅーもんはスゴイですな。
今日もまた、言葉が繋がりまして。今までは「パパ、ママ、ジイジ、バアバ、ネエネ」だったのですが、今日は「パパとー、ママとー、」と次の言葉への接続詞を組み込んできやがってからに可愛いじゃねぇかセガレよコノヤロー貯金くれパパ知っちょるんぞお前がよーけー銭持っちょるの。
まー、来月2才になるんですがね。まぁ、家も初めての子供なんでよー判らんのですがやっぱ男の子って激しいらしいんですよ、遊びの度合いが。女の子に比べるとね。
すべてがそうじゃないらしいんですがね、ウチのセガレもガッツリ激しい。あとウンコが臭い。
そして最近ウンコをしても「してない」と言い張る。「ウンコしたやろ?」と聞くと「いやー」と頑なに否定。
いや、どう考えてもしてるんですよ、ええ。嗅覚の衰え甚だしい重度の蓄膿症患者でも
「クサッ」
と臭いを感知出来るくらいの強烈な物体が蒙古斑が世界地図のごとく描かれたケツに挟まっているんですよ、はい。
でもね、ここで無理矢理オムツ交換作業にピットインすると、それこそ身体をよじって暴れはっちゃくなので、大抵はしばらくそのまま遊ばせるんです。肛門回りがかぶれない程度にね。
今日もブツを挟んだまま、布団もぐり遊びをしようと掛け布団を出せと言う。
この遊びは最近セガレがお気に入りで、僕と布団に潜ってキャッキャッ言うだけなんですが、好きみたい。いや、パパはね、お前じゃなくてね、エロ280馬力みたいなオネーチャンと潜っていたい、ぜひ。
これがホントの「肉布団」ってやつだ。なんて神々しい響きなんだ、「肉布団」。
まぁ、ママに見られたらワインボトルで後頭部陥没もんの妄想はどうでもいいとしてやね、あの潜り込んだ布団の中って、結構密閉してるんですよね。すぐ息苦しくなるくらいに。
今日も早速その遊びに興じていたんですがね、だってセガレのケツにはあるじゃない・・・とにかく
セガレノー ウンコガー クサイ。
なにが悲しくて、「ちょっとした異臭騒ぎに居合わせた人」を体験せんといけんのじゃろ?
んで、我慢できなくなって布団を「バフー」ってして、内部の空気を入れ替えしようとするとセガレは「いやー!」とか言うんですよ、あの人。いや、セガレよ。ワシが「いやー!」じゃわ。
でもね、こういった何気ない、見方変えればくだらんセガレとの交流が本当に幸せ。
日々生きていて「喜び」って得ようと思ったら、視点や思考の切り替えで得られる事って多いと思うんですよ。そして一過性の要素が強い部類に属しているとも思うんですが。流れていくような。
「幸せ」は流れない。スルリと抜けてはいかない。そこに留まりはするが、決して澱みはしない。
いつでも、いつまでもそこに居て、悲しい時、苦しい時、挫けそうな時、フッと心を浄化してくれる。
何よりこのセガレの寝顔。これに勝るものは無い。僕は明日も汗をかいて生きようと思う。
