*久々にクレヨンでお絵描き(奈良般若寺の石仏とコスモス)


前回の投稿の後、母は亡くなりました


亡くなってからはや四年かぁ


私事ではありますが、念の為記録として残しておきたいと思いました

*面倒だと思う人は飛ばしてね(^_^;)


その後、気の向くまま日々を過ごしておりました


私、陳旧性心筋梗塞という持病を元々持っておりました(約11年前です 心筋梗塞を発症して我慢して病院にすぐ行かないと障害が残ります)

身体を徐々に馴らし、走ったりは出来ないけど、普通に暮らせる状態にしていました(小さい山ならゆっくり登れる程度)


ところが、今年6月30日の出勤時に乗る電車が着いた途端、意識が飛んでぶっ倒れました

いわゆる心肺停止となり、たまたま居合わせた方々が病院関係者?警察官の方と、駅の構内のためAEDが備わっていたことで、迅速な対応により、救急隊が着くまでに蘇生していたようです

(心肺停止からの蘇生の場合、社会復帰出来る確率は0,9%とのこと)


病院に着くなりカテーテルからなにから処置が施され、一気に管だらけになりました


病院に着いた時には完全に意識があり、家と会社に電話させてくれと、携帯で連絡取ってました(^_^;)

病院の方からは、意識しっかりしてるから良かったと言われて、??な状態でした(後日心肺停止していたことを知らされました)


原因 致死性不整脈による心肺停止


今までこんな不整脈発症してなかったんです(T_T)




まあ入院中は、マスクに酸素チューブ(鼻のとこ)、血中酸素計、不整脈を抑える点滴、心電図(無線式)2個と仰々しいこと

プラス 心肺停止によるダメージと蘇生マッサージによるダメージ(肋骨全部と胸から腹の筋肉が激痛)があり、蘇生によるダメージが消えるまで3ヶ月(^_^;)

入院中は、ほぼベッドの中でウロウロあまり出来ず、せいぜい京都タワーを眺めるのみでした




今後の為の処置にあたり、胸の上部皮下に除細動器(ICD)の埋め込みを推奨され、手術を受けました(マイコン入ったAEDみたいなもので、不整脈発生時に発動させるもの)
それと不整脈を抑える薬を追加で

術後の縫合が一部かんばしくなく、退院を10日程延期されました

7月21日に退院したもののまともに歩けず、倒れてしまいそうになることしばしば

京都の7月といえば祇園祭
今年は行けんかったな(T_T)

退院後、1週間後くらいにどうしても遠出がしたく、でも半年は車運転禁止の為、電車で滋賀県米原市の醒ケ井宿へ
今年の夏は暑かった


しんどかったけど、日々リハビリをしつつ会社にも復帰し、電車ではあるが、何だかんだと遠出出来るようになってました


岐阜古川町から、高山の旧町並みへ旅行に

徐々に身体も馴れ、完全ではないけど前の体調に近づきつつあった11月13日の夜
急に立ち上がったのがいけなかったのか?
息苦しくなり意識遠のき、倒れてしまった途端、後頭部を殴られるような「ドンッ!」という音とともに目を覚ましました

こらイカンと思い、入院してた病院に連絡したところ、主治医がまだ勤務してるとのことで、診てもらうことに

やはり不整脈出てました(T_T)
機械が作動してました
こまかなデータもbluetoothみたいなもので確認されてました(脈が200以上?)

しばらく入院となりまた管人生に(T_T)




なんか悲しくて悲しくて

薬強力なのを一つ追加
1週間入院、1週間自宅療養の後、会社復帰

12 月1日 仕事からの帰り、パン屋でパンを買おうとしてレジに持っていったとき
意識飛びそうになり直に元に戻ったけど……

土日は寝て様子見
月曜朝から病院へ
機械は発動しなかったけど、6秒ほど不整脈発生後、自力回復(ICD内データ読取りによる)
入院はしませんでしたが、最初の心肺停止以降、身体が弱ってるのでは?とのことで2週間程自宅療養
実際身体がかなり不調でした

一応会社に復帰しましたが、体調は日々変わるのではなく時間毎に変わる感じ

心肺停止の時、死を覚悟したけど、大丈夫かな?とか考えが甘かった

今回の一連のことで、完全に腹括りをしました

昨日の母の命日を思い、自分を思い、お世話になった方々、家族に思いを馳せる日となりました

長々申し訳ありませんm(_ _)m