脳の残像現象が存在を生む | 大自由の翼のブログ

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今朝はアモールファティ実行委員長ミーティングというものに参加していました。


この会月次でやっているのですが、いつもは土曜日の夜やっていて、パートナーとの信頼関係時間と重複してしまい、なかなか参加できなかったのですが、今回は午前中に開催だったので、何とか参加できました。


今回は初心に返って、アモールファティって何か?アモールファティ実行委員長って何やるの?など基本的なところの振り返りをした感じですね。


今回参加しての気づきは主に二つ。


一つは、昨日の職場の出来事で、若手社員が来週のとある会議での説明が自分はできそうにないので、私にお願いしてきまして、前日にお願いしないでよと思ったけど、その考えにハマっては、脳感覚に囚われることになるし、そうなるのではないかと薄々感じていたので、決断と覚悟で現実を受け止めて、脳から生み出される考えをゼロ化して、アモールファティして一点集中して仕事をしたという話をしました。

その話をしたら、それを聞いていた仲間の1人が「あなたの話の中で、こうなることは薄々感じていたという話をしましたが、現実は自分が信じた結果なので、あなたの思いが現実化しただけだよね」と言われて、なるほどと思いました。

エマニュエルカントは認識が存在に従うのではなく、存在が認識に従うと言っていることにもつながるし、そもそも私が今回のことを予想していたから、そんな現実になっていたんだなと気づきました。実は自分で主導権を握っているとも感じたし、同時に若手社員にできないと思わせてしまったのも自分だと気づきました。


自分がどんな認識なのか?が出発であることを改めて気づきました。


もう一つは、馴染みのある世界から出る、ゼロ化することはどういうことなのか?という話を深めていく中で、脳の残像現象が存在という概念を生み出している、言い換えれば、脳の残像現象がなければ、存在は存在できないということに気付かされました。


脳の残像現象なので、その世界は泡沫、錯覚であり、そこに執着することは、イコール観点固定なのだということなのだと感じました。


みなさんからもいろんな気づきの話があり、素晴らしかったのですが、ここでは割愛します。