他人軸から尊厳軸へ | 大自由の翼のブログ

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今夜は以下のイベントに参加していました。



これは絶対に参加した方がよいと仲間からも言われていたので、パートナーに頭を下げて参加させてもらいました。


実際に参加してみて全体として感じたのは、令和哲学者ノジェスさんが、日本人の特徴や日本の近代史をよく理解してくれていて、これから日本が世界で輝くために何が必要なのか?を1時間という短い時間の中で、端的に説明してくれているなと感じました。


日本人は自分自身をどう規定するのか?自分が自分をどう思うのかという自己アイデンティティを自分で設定するというよりは、他者からどう思われるのか?他者からどう見られるのか?という出発から、自己アイデンティティを設定する傾向がとても強いとおっしゃっていましたが、それはその通りだなと共感していました。

前者が西洋などで見る自己意識であり、後者が日本でよく見られる他者意識にあたるのですが、西洋人は自己意識から自分軸で生きるのに対して、日本人は他者意識から自己意識を作る他人軸で生きています。


なので、西洋は自分の考えや感情をしっかり確立しているので、自分の意見や主張をアウトプットしやすいのですが、日本人は他人軸なので、他者に合わせてしまう傾向があるので、自分の意見や主張をアウトプットしにくいという傾向があります。


では、日本人が昔からそうだったのか?というと、そうではなく、1945年8月15日をきっかけにそうなったとノジェスさんは言っているようです。


1945年8月15日をきっかけに天皇が玉音放送で終戦宣言して、人間宣言をし、西洋アメリカ🇺🇸の要求を全て受け入れていきましたが、この時に日本人は自分の意思で決められない歯痒さや悔しさ、悲しさを感じたのだと思います。


日本人は死ぬことよりもポジションを全うすることを恥としていたので、そのポジションを全うできないのは屈辱の何者でもなかったのだと思います。

なので、その心の傷を背負ったまま、日本人はずっと生き続けています。

また、太平洋戦争で日本はある意味で世界から悪者扱い、迫害を受けていると言えます。そして、そのことで日本の女性たちは、日本の男性が世界に対してとんでもないことをしたと刷り込まれていき、お互いを尊重し合うことがなくなっていったところがあると。

この辺りが、日本の周りに迷惑をかけてはいけない、世間の流れを大切にするという話にもつながり、常に他人軸で生きることを選択する日本に繋がっていると感じました。


でも、ある意味で他人軸で生きるとは自分を否定しているということなので、凄いことともいえます。自分軸で生きるのは自分の個性を尊重して生きているようで魅力的に見えるかもしれませんが、自分軸にハマれば、他者への思いやりや親切が疎かになりがちだし、他者と理解し合うのは極めて難しくなると感じます。

かと言って他人軸で生きるのも、常に相手に合わせる必要があるのでかなり苦しいですね。


認識技術では、だからこそ自分軸でも他人軸でもない尊厳軸を提唱しています。

それが今ここBestBEINGで生きること、そしてそのためには本当の自分が何なのか?を分かってそこに接続することになります。


そして、そのためには1945年8月15日や明治維新は、日本がそれまでの文化や慣習をオールゼロ化して再出発をした日だと再解析する必要があると感じます。


1945年8月15日がただの敗戦で解析するのではなく、自ら終戦して、アメリカの戦争犯罪すらも恨むことなく、オールゼロ化して大きく発展したこと、そして人類滅亡危機、尊厳危機が迫る中、日本がそれを救えるということに気づくことだと感じました。


短くしようとしたら、長くなってしまった💦。