観点と観点の衝突 | 大自由の翼のブログ

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昨日はセミナーに講義に忙しい1日を送っていたのですが、夕飯に、パートナーとパートナーの親戚親子と夕飯を食ばることになったのでしたが、到着したファミレスに到着すると、何やらパートナーが誰かと電話で話をしている様子。


電話口の相手が何やら声が大きく、パートナーの表情からあまり良い話ではないなと感じました。


その後親戚の親も合流したのですが、その親と電話の相手とで揉めている様子でした。


で、話を聞いてみると大体以下のような話。


電話の相手は、パートナーやパートナーの親戚親子(親はA、子供はBとすると仲良くしている別の親戚(ここではCとする)だったのですが、そのCが昨年の8月のある出来事とその出来事でAさんが Cに送付したメール✉️の内容に激怒😡している様子。


その出来事とは8月にBがCの家に遊びに行った時に、Bがディズニーランドに行った時の話をCの親であるDに話をしたら、DがBに「なぜBはそんなに何度もディズニーランドに行くの⁉️」と感情的になり、服を掴まれて揉み合いになりそうになったそう。

そこにCが仲裁に入ろうとしたようですが、誤ってBに怪我をさせてしまい、頭から血を流れたと。


そのことで、AもAの親も心配になり、病院🏥で診てもらったところ、傷は思ったより深くて止血のために縫ったとのことでした。


現場にいたのは、B,C,Dだけだったため、真相がよくわからないため、AやAの親、パートナーは今回は弾みでなったのかもしれないし、Bも特に責めることはしないということになったと。AからCに対しては、メール📩で、Bが怪我をしてしまったけど、今後はこういうことはないようにお互い心がけましょうというメッセージを送って、その時は、CもDも納得して終わったとのことでした。


ところが、年始になって、Dの体調が悪くなり、その時に、AやAの親がCやDに様子を聞いてお見舞いしようとしたら、突然CがAの親に電話で、昨年8月の出来事のことで突然かなり感情的に話をしてきて、Aの親もかなり困惑して、どうしたらいいのか?なぜ昨年の8月のことを突然言い出すのか?と質問したようですが、埒が明かなかったようでした。

そして、今夜CがAと電話で話をして、かなり感情的に怒りを露わにしてきたということらしいです。


Cの怒りは、Aから送ったメッセージの内容が気に食わなかったらしく、そのことで怒っていた様子。


ただ、Bが頭に怪我をさせたのは、CまたはDであり、その揉み合いになったのも元はDがBがディズニーランドに行ったことに感情的になったことなので、AもBも困惑し、なぜ今更そのことを言ってくるのか?なぜその時に言わないのか?また怪我をしたのはBなのに、CからまるでAやBが悪いように言われて、Aはカチンときているとのことでした。

パートナーがCと話をしていた時には、Cは今になって言ってきたのは言いたかったのを我慢していたということらしい。


以上が聞いた話なのですが、話全体を聞いていて、断片的かつ表面的な話であり、何が事実で何がそれぞれの思い込み解析なのかの線引きができない感じでした。事実として明らかなこともいえば、Bが怪我をして針を縫ったこととか、昨年の8月にBがCの家に遊びに行ったくらいかなと。


話を聞いて色々疑問も多く出ました。

①そもそもDはBがディズニーランドに行ったことになぜそんな感情的になったのか?そもそもDはBの話を聞いて何を考えて何を感じたのか?

②昨年の8月の話を今になって言ってきたのはなぜなのか?Cは言うのを我慢していたということだが、なぜ我慢したのか?

③CはBとDの揉み合いをどのように捉えていたのか?その時にBとDは何を考えて何を感じていたのか?

④CはAのメッセージの何に怒ったのか?


今考えた中でもこれだけ質問が出るので、時間をかければもっと質問ができます。


今回の話は、職場、家族、友人などの人間関係でよくある話ですが、今回の件で感じたことは以下の通りです。


1, 人間の五感覚脳は曖昧で事実と思い込み解析を分けて整理するのが難しい。

2. 人間は自分が正しいと思い込んでしまう。

3. 観点が固定されたままでは、自分の人生や人間関係はうまくいかず、不信不安恐怖孤独孤立は増すばかり。尊厳、愛、自由、幸せからは遠くなってしまう。

4. 仲が良いと思っていても、観点固定状態では、いつかひっくり返ってしまう。特に家族関係やそれに準ずる近い関係性だと、分かってくれるのが当たり前と思いがちで、関係が一旦拗れると泥沼化しやすい。


今回のことでパートナーやAはショック😨🤯を受けてかなり疲れている様子でした。

私もこれまで仲良くしてもらっていたこともあり、5ヶ月前の出来事で、これだけ関係性が拗れてしまうことに少し驚きましたが、以前令和哲学者ノジェスさんが、「観点の問題がわからず、観点のオールゼロ化ができない人間はいつか裏切る」と言っていたのを思い出し、妙に納得しました。


自分が見ている世界が自分も含めて錯覚であり、泡沫であること、それを作り出している純度100%の心と繋がり、観点がオールゼロ化できないと、人が人を理解し合うことは絶対にあり得ないのだと確信させてくれる出来事でした。


パートナーは、あまりよい話ではなかったので私には話したくなかったようですが、今回の件はむしろいい出会いだなと思いました。


この現実が泡沫、錯覚であることが分かっているからこそ、辛い現実とも捉えられるけど、真の問題を発見して解決できる楽しみの機会を得るとも捉えることができます。


今後この話がどんな展開を見せるか分かりませんし、どこまで関われるか分かりませんが、私なりに心、エネルギー、物質のイメージで好影響を与えられたらと感じます。