完全燃焼で生きる | 大自由の翼のブログ

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昨夜は以下のイベントに参加しておりました。



テーマは「完全燃焼で生きる」でしたが、ここ数日の私の生き方はドヨーンとしていて、不完全燃焼そのもの💦。アモールファティ祭も本当はzoomで参加するつもりでしたが、頭痛からくる身体のだるさからYouTube視聴に切り替えました。


そのくらい身体の怠さが半端なかったです。


アモールファティ祭の内容は、そんな私の状態を反省させるかのような内容でした(苦笑)。


詳しい話は身体の怠さもあり失念しているような状態ですが💦、それでも心に沁みる話が多かったです。


なので、私の心証だけ述べます。

そもそも、完全燃焼ってどんな状態?ということですけど、例えるならアヒルで生きるのではなく白鳥で生きるようなイメージ。これは醜いアヒルの子を例えにしているのだと思いますが、結局アイデンティティや心そのものが自由にならなければ完全燃焼するのは難しいということですね。

また一点集中、没我集中も完全燃焼するために必要な要素です。ただ、そのためには一点の曇りもない迷いなく集中することが大切。そのためには、人間が必ず解決しなければならない問題との出会い、認識技術で言えば観点の問題に出会う必要があると感じました。

また一点集中は究極の問題に集中する意味もあるけど、心そのものになった時に、ポジションを得て自分のミッションを全うする集中もあるなと感じました。

その上で、自分が自分の物語を作ることができ、その主人公になれることが重要ですね。


また、完全燃焼するためにはそのための燃料と材料が必要という話が違ったアプローチで面白かったです。

そして、その材料が心という話が刺さりました。その心を燃やすことができることが大切だと。

まあ、自分が自分の物語を作ることができれば、未来確信ができるというのも感動ポイントでしたね。


令和哲学者のノジェスさんは、完全燃焼の根拠と道具が必要という話をしていましたが、根拠が心をそのもの、道具が認識技術、デジタル言語であるという説明でした。

いくら心が大切と言っても、心そのものになれる道具がなければ難しいですね。


最近の私のモチベーションの低さは、やはりこの身体の自分を選択してしまい、環境に支配されて、自由を奪われている感覚になっていたことが大きいのかなと。

というか、普段からこの状態になっているんだと思います。

朝起きて会社の仕事をしなければならない、打合せに出て発言しなければならない、いろんな問題を解決しなければならない、お風呂や食事の準備をしなければならない・・・。ねばならない中毒になっていたのかなと。


でも、これみんな自分の観点、観念なんですよね。

本当は自由にしていいはずなのに、いろんな制約を自分で作って自分を束縛して苦しめる。


なので、観点の外に出て、観点♾を感じて、一つ一つに対してリテラシーを変えていく必要があるのだと今気付きました😁。


結局観点に固定、この体が自分に縛られては苦しみ悲しみは消えない。

自分が不可能性そのものであることに気づいて完全死することが大切だと感じました。